ズレから戻ったら...

氷の国からの帰還



ここ数日、苦しくて
ブログが書けなかった。

自分の操縦席からズレまくってて
苦しかった!

どんなことも
本当の自分に戻るために起こってる....!
現在絶賛実験中、実感中です(笑)

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経緯

10年間、最高の児童美術教育家だというプライドを持って続けてきた
アートスクール(自営)をやめて、
自遊アーティストとして生きていくと決意した私。

決意するまで
収入源がなくなるこわさ、習っている生徒達や父兄、いろんな人からの評価、視線...
いろんな恐怖で
夫にやめたいといい出せず
3ヵ月もの間、胸の内に秘めていた。

私自信も、
やめていいのか?
続けた方がいいんじゃないのか?
ずっと葛藤してたから。

そして

ついに、アートスクールをやめて、
アーティストとして生きると決意
下矢印
勇気を出して夫に打ち明け
下矢印
夫がクールに快諾
「うそ~!?言ってよかった~!」
下矢印
翌日
夫急変!
大反対!
下矢印
私の心の内を手紙で伝え
夫からも
感動の手書きの手紙を受けとる。
下矢印
これからどうやって
アートスクールを買い取る人を探すか、など
具体的なことを夫と話し合う


ここまでの道程を
今までのブログでリアルタイムに
書いてきました。


ここまでは、よかった。


その後、

夢を叶える手帖術のセミナーに参加しに
平日の午前中にソウルに行って来たり、
ファッションコンサルタントの妙子さんの東大門ナイトショッピングツアーに参加したりと、
理想の自分に近づくスッテップを楽しんでいたら.....(けっこうやりたい放題?)

旦那が怒りだして、

「君はおかしくなった!
洗脳されてる!
 やめるなんて無責任だ!
僕の知ってる君じゃない。
まるで他の人になったみたいだ」

と、冷たい視線で言い、

氷の人となってしまった.....。

普段優しい旦那は、
怒ると
とってもとっても冷たい
氷の人となってしまうのです。

まず、私のこと見ない
視線を向けても、氷の視線。
話しかけてもガン無視。

最初は私も
怒りがこみあげてきて、

「あんたの知ってる私って、
まわりに合わせて我慢するわたし?
良妻賢母が最高の価値だと思って、
そうなろうと努力してきた私のこと?
やりたいことは諦めて、
あなたのやりたいことにいつも
従順についていった私?
なにそれ!
そんな私じゃなきゃ愛せないってこと?
わたしが無責任?
責任って何?
責任って、やりたいこと我慢して周りに合わせること?
あなたなんか、なんのあてもなく急に中国に行きたいって言い出して、妻子を連れて中国に行ったじゃん!めちゃ無責任じゃん!
私が中国生活に慣れて、中国大好きになったころ、また
何の対策も建てずに韓国へ帰るって言い出したじゃん!それは無責任じゃないの?
18年間、どんなことをあなたが決定しても、
反対したことなかったのに、
私がやりたいことをやる、って決めたら
無責任だって反対するの?
私がアーティストとして成功するとかって、考えないの?」

最初は
どんどん怒りが込み上げてきたけど


冷たくされる時間が長くなると

今度はそれが辛くて耐えられなくなった。
悲しくって、涙が出てきた。


そして、

思い出した。

これも
本当の自分に戻るプロセス。

やっぱり
まだ
旦那を私の操縦席に座らせているんだ。


手放そう!
パーッと、鳩を飛ばすように

自分の本音を伝えたら、
結果は手放す。

夜、手紙を書いて
(冷たくされて悲しい、夢を応援してほしい、そんな内容の手紙)
次の日、事務室の旦那の机上に置いた。

読まないで捨てられてもいい。
破られてもいい。

結果は期待しない。
伝えたから、もう
旦那から応援してほしいと思う気持ちも
手放す。




そうしたら
その日の夜
アートスクールから帰宅するとき
旦那に食事に誘われて、
....何食べたっけ?
あ、ハンバーガー食べた(笑)
その後、コーヒーも飲めない旦那に
カフェに行こうと誘われ、
カフェで柚子茶を飲みながら話し合った。

二人でじっくり
お腹の底から思ってることを話して
私も今まで我慢してきたこと、
頑張ってきたことを話した。
旦那は、今まで私に
余りにも依存してきたことを
悪かった、そしてありがとう、
と言ってくれた。


きっと大丈夫。どうにかなる。


アートスクールを、
きちんと引き継ぎの人を探して
やめるまで、まだどれくらいかかるかわからないけど、
今度はお金を中心に置かないこと。
人の目を中心に置かないこと。
これだね。


旦那の誕生日の前夜、東大門にショッピングに行って、零時過ぎに帰宅した私。

まあ確かに、
旦那にぶち切れられるのも無理はないかな、と
今なら思えるのである(笑)