職場にデブがいる。
明らかなデブである。自覚するに容易いデブだ。
それ程までに明確なデブを、デブと認識して何が悪いと言うのだろう。
『デブ』は悪口か。
それと反対にガリガリもいる。
XSでも大きい時があるというのだから、明らかなガリガリだ。
はたまたガリガリは悪口か。
ガリガリは言う。
見てよ、あのお腹。許せないわ。
なんという不毛な宣戦布告。
私は言う。
間違いなくデブではありますね。
ガリガリは大笑いして続ける。
口がきつい、と。
私はデブが悪さをしたら、罪を憎む。
肉のせいにしたりしない。
私の発言はただの分類である。
しかしガリガリは、デブであることによって突き出たお腹を『許さない』と言ったのだ。
他人の贅肉が何をしたと言うのだろう。
こういう時、多くのデブは黙る。
ここ日本、社会一般的にはガリガリである方がもてはやされる。
そんな日本で数少ない、体格に自信を持つデブの友人がいる。
デブの友人が言う。
見てよ、あの胸とお尻。男が可哀想。
そう聞くと、この世は外見にこだわる人がなんと多いことかと思う。
何故人は外見を憎むのですか。
ある肉にしろ、ない肉にしろ、罪を犯していないのに。肉に親を殺されたのですか。
ブッダはどちらにも偏らない中道という考え方によって悟りを開いたという。
中肉中背の私は最も悟りに近いということでよいですか。