クレンズをはじめて、

小さなぶり返しが治まり、

「お?これで治っていくかな?」と淡い期待を抱いたあと

 

 

 

ドーーーーーーーン!!

 

 

 

とビッグウェーブが来た。

 

 

 

 

序章は至極しずかで、

 

体内から

ふっと、感情が消えたような感覚だった。

 

 

 

おや?

何も、湧いてこない。

 

わくわくも、イライラも、悲しみも

何も内側にない。

 

自分の体の中に「生命エネルギー」が

消え失せたような感覚。

 

 

 

 

この感覚、覚えがある。

 

 

 

 

 

それは父が死んだ翌年の初盆。

 

父の兄弟たちが

父の死んだ場所を見たいと言い出して

法要のあと、その場所まで連れて行った。

 

 

母親は「あんたは来んくても良かよ?」と

言ってくれて

本当はたぶん行きたくなかったんだと思うけど、

 

この頃のわたしって

本当に自分の気持ちに鈍感で。

 

「いや、いくよ」とついてった。

(よせばいいのに。。。)

 

 

 

 

現場に来て、

やはりフッと血の気がひいた気がした。

その時の情景をありありと思い出したんだと思う。

 

その気持ちをぐっと抑えて、

みんな解散して

わたしも自分のひとり暮らしの家に帰った。

 

 

 

 

その次の日、会社に出勤後。

なんか、おかしかった。

 

 

 

手足に力が入らなくて、

視界が狭くて、

だんだん息もしずらい。

 

 

でも、今日は4人中2人が有給をとっていて

課長とわたしの2人きりだ。

しかも昨日、わたしは休んでいるので、

帰るなんて言えない。

 

 

やりきるんだ。

頑張るんだ。

大丈夫だ。

 

 

そう言い聞かせても

どんどん体が動かなくなっていく。

とうとう、足がたたなくなって、倒れこんだ。

 

 

意識が朦朧として

どうやって帰ったか覚えてないけど

次の日、目はパンパンに腫れあがって

体中がじんましんで

何も食べられない状態が続いた。

 

 

 

その時に感じた感覚こそが

「絶望」の感覚だと本能的に思った。

 

 

 

体中から生気がなくなり

なんの感情も生まれない。

 

つらいでもない。

悲しいでもない。

「死にたい」とすら思ってない。

 

 

 

 

 

人間って、カラダのシステムが問題なくたって、

エネルギーがないと動けないんだなあ。

 

 

新品の車でも

ガソリンやバッテリーが無ければ

起動もできなければ、動くこともない。

そのままにしておけばやがて内側から朽ちていくように。

 

 

 

 

 

 

クレンズをはじめて

5日目くらいに、

その「虚無」の状態がわたしのカラダに急に現れた!

 

 

 

自分の感情とか思考と別のところで

虚無が広がって

からだのエネルギーがスーっとひいていく。

 

 

 

「憤り」のクレンズをしているから、

「憤り」のエネルギーで今まで生きてきたから、

「憤り」をわたしからクレンズすると、

こんなにも空っぽになってしまうのだろうか?

 

 

もしかしたら

あの父親が亡くなった日から、

エネルギーが空っぽのわたしを生かしてくれていたのは

この「憤り」のエネルギーだったのではないか?

 

 

 

 

そう思うと、急に「憤り」の訴えかけているものがきこえた気がした。

 

 

『生きろ!!』だ。

 

 

 

 

この感覚は

いつ感じたものか

ふと『生きる喜び』の感覚がよみがえる。

 

 

 

これは母親の子宮から

外に出たときの記憶だ。(たぶん!)

 

 

暗くて暖かいところから

急にぎゅっと狭いところを経て

パァーーっと眩しすぎる、まばゆすぎるこの世界に

出てきたときの記憶!

 

 

 

やっとこれた!という感覚なのか、

ここだ!!!という確信なのか、

 

 

その喜びは

今までの自分で覚えている人生経験からは

覚えがないほどの多大なる刺激。

 

 

チカチカして

スパークルしている

ほかに何もない

「喜び」だけの存在。

 

 

 

 

あ~~~~、わたしは

こんっなに生まれてきたかったんだ。

 

もう、「生きる」ことが

これだけの喜びのことなんだ。

 

なにがそんなに嬉しいんだかわかんないほど、喜んでいる。

 

 

ここに生まれてくることが、

最終目的ともいっていいほどの

怒涛の喜び。(日本語がおかしいけど表現の仕方がほかにない)

 

 

 

 

 

こんな記憶を思い出せたのは

内側にまったくエネルギーが無くなってた

今だからなのかもしれない。

 

 

 

ただ、エネルギーがなくて

ふらっふらなのは

間違いない。

 

 

 

そのあと、2日間ほどベッドから動けなくなって

あの時と同じように目がパンパンに腫れて

蕁麻疹が体中にできて

 

「ステロイドが抗生剤、ここは飲むべきか、、、!?」

 

とひよったけど、

飲まずにひいた。

 

 

 

そう、飲まずに、スッとひいた

のだ!!!

 

 

 

これ、超うれしい^^!!

 

 

 

皮膚のかゆみと赤みは

あるものの、

内側のエネルギーも戻ってきた。

 

 

 

そしてようやく分かった。

 

 

 

この「虚無」の感覚は

「真菌」の感情だったんだ!!

 

 

 

 

おそらくこの「虚無」の感覚こそが

「死」の感覚なんだと思う。

 

そして今回は

クレンズしている真菌の「死」の感覚が

自分の感情かのように現れていたんだ。

 

 

 

っていうか、そういう現象起こる可能性ありって

本にも書いてあったというのに、

 

びっくりするくらい

自分の感情と見分けがつかない。

(きっと普段から、真菌の思考に支配されている時間あるに違いない)

 

 

でも今回、生まれてきたときの記憶が

白昼夢的によみがえったのは、

この「死」の感覚が

自分のものじゃなかったからだ。

 

エネルギーがカラダから失せつつも

「死」の感覚と別で自分の意識があったから

深堀りすることができた。

 

(そんな中でも深堀りするわたしに拍手)

(ただじゃ転ばん(笑))