アレについて憤ってるんじゃない。

「憤りたい」から、アレを持ち出してるんだ。

 

 

 

このシステムが自分の中に存在してるのは

なんか確かな気がする。

 

 

 

こーわ

超こわ。

 

 

 

 

じゃあ、なんでそんなにも憤ろうとするのか?

なんで憤ることがそんなに大事なんだ?

 

 

 

 

「憤り」をさかのぼると、

小学6年生のわたしが出てきた。

 

 

 

人より思春期も遅かったわたしは

小学6年生くらいまでは

父親からは「ほにょこ」とあだ名をつけられるくらい

のほほんと暮らしていて

 

イライラすることもないし

他人のことがまったく気にならなくて

自由奔放にクラスの全員と仲が良かった。

 

そんな自分が「憤り」を採用したのは

中学3年生の姉が

担任の女性教師に目をつけられて

部活でいびられたり、泣かされたりしていた事がきっかけだ。

 

それは姉からきいたんじゃなく

母にきかされた。

 

わたしは姉が大大大好きだったし、

それをきいた母親が憤慨してるのをみて、

なんとなく一緒に憤慨することが、家族、っていう感じがしたのか、

 

幼いながらも「わたしもそのつらさを分かってるよ」と

言いたかったのか

 

 

そのタイミングで、私のクラスで

「いま悩んでることをクラスのみんなに発表しよう」

みたいな企画があり、

 

人より幼かったわたしは

「え?みんな悩みとかあるの???」

「どうしよう、わたし何もない、、、」と

本気で困って、

 

そこに書いたのが

「姉が担任の先生にいじめられているのが悲しい」

だった。

 

 

 

しかも、発表がはじまると

みんなが書いてる悩みがけっこう深刻な感じだったので、

これを書いちゃった手前

自分も真剣にこれに悩んでる、、、ことにした(笑)

 

 

なんか、そうでないといけないような気がした。

真剣に悩みがあるみんなに失礼というか。

わたしもみんなと同じように

何かに悩んでる人になりたかったというか。

 

 

そうしてるうちに、

本当に自分も、姉の担任の先生に憤っている感じがしてきた。

 

母の憤りにシンクロしただけだったのが、

どんどん自分の感情のような感じがしてきた。

 

 

 

 

 

 

この記憶が、わたしのカラダがもっている

最初の「憤り」の記憶みたい。

 

 

これより前の「怒る」は

ものすっごいこどもっぽい、

数時間で忘れ去られるようなものでしかなくて

 

 

きっと、この「憤り」を覚えることが、

わたしの大人の仲間入りの条件で

それを証拠に、わたしはここから急激に思春期を迎えた。

 

 

 

 

「憤り」がもたらしてくれたものがある。

 

 

★他人へ視点がいくようになった

・わたしはもともと他人にあまり関心があるタイプではなくて

自分の興味とか、楽しいことにしか視点がむかない

狭い世界で生きていた。

・でも「憤り」は、わたしを自分だけの世界から連れ出し

周りの人間を観察させた。

・みんなのいろんな面が、みんなの意識が、

クラスの流れが、ヒエラルキーが、先生の意図が、親の感情が

すごく気になってたまらなくなった。いつも観察していた。

・考える力がついて、良し悪しなども考えるようになったので

批判する思考をもつようになった。

 

⇒わたしの観察力、分析力、洞察力、共感力などの能力はここで培われたと思われる。

 

 

 

★強力なエネルギー源

・憤りのパワーはものすごい強力で

のほほんと過ごしていては

乗り越えられなかった壁を越えさせてくれた。

・大学受験絶対ムリと分かっていたとき

姉が友達と電話しながらわたしにきこえるように話していたのが

「法学部?あ~、無理無理。絶対ムリ。どうせ落ちて教育学部だって」

と言われて絶対法学部受かったるわ!と奮起したの覚えてる。

 

⇒自分はできる!!という自分への信頼とプライドをゲット。なるほどね。

 

 

 

 

 

 

こんだけメリットあるので

手放せないわけなのだ。

 

 

 

 

 

でももう一歩踏み込んで考えてみる。

 

 

前の彼と出会ったのは、

 

震災業務に疲れ果て

同僚も父親も自殺して

私に頼りっきりの母親のプレッシャーに押しつぶされて

心と体を完全に壊して

抜け殻のように、

生きてるか死んでるかもあんまりわからないような状態の時に出会った。

 

 

それは絶対に必然で

わたしに必要な出会いだった。

 

 

なんで、ここで、この出会いが必要だったのだろう。。。