日本に起きた政治の刷新とでも言うか、
なんだけどね。
確かに主権者が天皇から国民に移り、
憲法も刷新されたんだけど、
そもそも日本は
自由民権運動を経て
『民本主義』なる新語を生み出す程の
民意の反映された政治体制であったし、
戦争中に内閣が変わるなど、
極めて法に厳格な政治体制でもあった訳で、
そういう部分を眺めると
あの当時の政治責任は
帝国憲法に規定された主権者たる天皇の
責任を追及するのは些か疑問に思う訳で。
兎も角、近代日本は選挙が行われ、
政治に民意が反映されるような
民主的な政治体制であった事は確か。
となると、
大戦後に起きた日本の政治変革とは
民主化では無く、自由化なのでは?
と思う次第。まぁ、確かに
民主主義の成文化ってのはあるけどさ。
東アジアで唯一、
政治的近代化を果たしていた日本は
欧米諸国に虫喰いにされてた
当時のアジア諸国を啓蒙する事、
植民地からの解放、
各国の自主独立を謳い、
欧米列強に対抗する為に
共栄圏構想に走り始めた。
が、コレってのは
日本が中華思想に染まったとも映る。
啓蒙者たる日本という意識は、
他者から見れば
独善的な押し売りでしか無い。
しかも軍事力を伴う手段ともなれば
尚更である。
そして啓蒙者たる日本という意識が
日本人に『こうあるべき』という、
あるべき姿を強要してしまい
選民思想や全体主義に通じてしまう。
この手の面倒事は時代を問わずである。
『雰囲気•風潮』の問題だからタチが悪い。
日本という国の文化は
雰囲気•風潮を重要視するから
全体主義に陥り易い。
『みんなと一緒』の安心感ってヤツ?
民意の反映による全体主義。
流行に敏感なのも、
そういう土壌があるからこそだし
昭和のアイドル文化なんてのも
そーいった要素が極めて強い。
インターネットが普及してから
情報の取捨選択の幅が広がり、
自己表現ツールとしても活用され、
様相が変わった様にも映るが
情報取得の競争が激しくなっただけで
根底は何も変わってない。
自由化の波ってのが行き渡ると
そこはまた競争原理の世界にもなる。
この競争に疲れ果てた時、
または競争に打ち勝ったものが
極めて強大になった時、
全体主義が萌芽する。
事の善し悪しは別として
今の日本ってそんな感じじゃない?