吾思う。無駄を排除して 合理化、効率性を高めるってのは 一理あるんだけれど、 その無駄とされるモノこそが 『文化』なんじゃねーかな、と。 一見、存在意義が見出だせないモノでも、 その存在ありき、で 別の何かが存在してたりする。 そーいう関係性が文化を紡ぎ出してるのでは。 で、そんな文化に基づいて 別の何かが産み出され、 文化的な枠組が拡大してく。 ムダを排除するってのは 個性とか『らしさ』を否定することに 繋がってっちまう。 …誰得なんだよってね。