毎年恒例のお涙(寄付金)ちょーだい、な番組。 | つれづれなるまゝに

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狂ひたるモノ・侘助

正直、辟易としてる。
人はそれぞれ立場が異なれ、
精一杯頑張ってる訳じゃん?

なーんか、
リスクを負ってる人達に
第三者が無理難題をやらして
(認知度を高めるとか
理解を深める為とかな方便で
強制では無い雰囲気の醸成っやつ?)
それをまた第三者が
上から目線で眺めておきながら
理解したつもりになって
涙を流すって構図が
見ていて息苦しいのよな。

そりゃ頑張ってるよ。
みんなそれぞれ自分のスタンスで。
その事を蔑ろにして
あえて無理難題な課題にブチ当て、
尚且つその事によって
寄付金収集を図るってのは
行き過ぎた独善的な売名行為だべさ。

『やらない慈善よりやる偽善』
なんて言い方もあるし、
現実として金銭的には
福祉に貢献してるかもしれない。

けれども自分の中では
金銭に代えられない
大切なナニカがあるとも思う。

福祉目的の寄付金を集める事は
とてもいい事だとは思うけど、
それはそれで寄付金の運用に関する
詳細な事後報告や
寄付金集めに関する
周知の手段としての
行為の線引きやらは必要なのでは?

人間ってのは所詮、刺激を求める生き物。
周知活動の為とはいえ
番組構成としてもなんらかの形で
エスカレートはしてくであろう。

が、そこで障害者を出すならば
第三者の関与の無い、
ヤラセ的な企画モノでもない
純粋なドキュメンタリーとか、

現実として
社会福祉が必要とされる方達からの
実直な問題提起が行われ
諸問題の周知なり、
なんらかの形で結果に繋がるような
そーいうモノであって欲しい。

障害者が体を張って自らをネタにするのは
それはそれで構わん。
それが自身の意思によるものであるなら。
生きてく術でもある。
が、それを第三者が流用し、
お株を奪うのは、どーも頂けない。
印象論かも知れんが
結局はソコに行き着く。

何事にしても
『やってあげてる』アピール
ってのが一番イヤ。
これってのは言葉にしなくても
無意識な態度で伝わるモノでもある。

日本の国家としての対外支援にしても
こーいう要素的なものが一部分でもある限り
この印象は拭えないとも思う。

ま、こんな意見も
余計な御世話なシロモノかも知れんけどさ。


昔と違って現代は
仲介者や代弁者では無い、
当事者の声ってのが
認知され易くなってる筈なんだけどね。

こーいう規模の大きな事案ってのは
なんらかの利権が存在してる事も儘あるからねぇ。
議員の集票システムとか
予算の振り分けとか、
税金対策とか諸々にね。
まぁ、
それによって成り立ってる生活がある事も確かかと思うんで、全部を否定するのは、それはそれで難しいのかもね。
聖人君子なんぞ、この世にはおらん。

が、行政なり、企業や諸々の団体、
個人レベルであれ、それぞれの立場で
営利やらなんやらを度外視して
それを志す努力は尊い事だとも思う。