EUに属する事が正義、
みたいな論調の報道ばかりで
違和感しか覚え無いのよな。
それはそれとして、
英国のEU離脱を先導してた人達にしても
離脱の方向性が決定づけられた途端に
先導役からドロップアウト。
未だにビジョンが示されて無いっつー。
近年、責任感の欠如というか、
丸投げというか、
無責任な価値観が蔓延しとらんか?
民主主義な社会では
そーいう風潮こそ
独裁者を招き寄せちまうんだが。
危機意識の無さっつーのかね。
冷戦終結以降、自由主義陣営は
盟主を自認する米国に責任を丸投げしてきた結果、責任回避が当たり前な風潮が生まれて来てたのかも知れん。
まあ、共和制国家ってのは
期間限定な独裁政治ってのを
容認しがちではあるけど。
結局、人間社会ってのは
制度や価値観の差異はあっても
生贄にも出来る独裁者を
どこかで望んでるのかもな。
王が王として君臨し讃えられるのは、
その社会が行き詰まった時、
全ての責任を王に付託し、
生贄として害されるからであろう。
ただ、日本の場合、王殺しの観念は
保元の乱➡︎平治の乱➡︎源平争乱➡︎承久の乱➡︎南北朝時代を経て
武家政治の成立・確立と共に
役割分担が明確になってから
顕著には現れなくなったかな。
とはいえ、
明治維新・王政復古が成った近代日本の
唯一の主権者であった昭和帝は
第二次大戦終結の折には、生贄として処される覚悟であったようですが。
実際、害される事はなかったけれども
その後の生涯は
『生殺し的』なエグさだったと思われ。
見方を変えれば
日本国民が国際社会に捧げた『生贄』ですわな。
いざという時、
自らを生贄として捧げられる、
捧げられてしまう存在こそが『王』なのであろう。
ここで言う『王』とは
権威・権力・権限の保有者全般ね。
『王殺しの価値観』ってのは
結局、政治も祭祀も
責任論として呪術的・土俗的な
習俗・価値観が根底に存在してるのよな。
各々がコレを容認し難いからこその
責任転嫁だったりするのかも知れんなぁ。
頽廃というよりも
人間社会の宿痾なのであろうか。
離脱の方向性が決定づけられた途端に
先導役からドロップアウト。
未だにビジョンが示されて無いっつー。
近年、責任感の欠如というか、
丸投げというか、
無責任な価値観が蔓延しとらんか?
民主主義な社会では
そーいう風潮こそ
独裁者を招き寄せちまうんだが。
危機意識の無さっつーのかね。
冷戦終結以降、自由主義陣営は
盟主を自認する米国に責任を丸投げしてきた結果、責任回避が当たり前な風潮が生まれて来てたのかも知れん。
まあ、共和制国家ってのは
期間限定な独裁政治ってのを
容認しがちではあるけど。
結局、人間社会ってのは
制度や価値観の差異はあっても
生贄にも出来る独裁者を
どこかで望んでるのかもな。
王が王として君臨し讃えられるのは、
その社会が行き詰まった時、
全ての責任を王に付託し、
生贄として害されるからであろう。
ただ、日本の場合、王殺しの観念は
保元の乱➡︎平治の乱➡︎源平争乱➡︎承久の乱➡︎南北朝時代を経て
武家政治の成立・確立と共に
役割分担が明確になってから
顕著には現れなくなったかな。
とはいえ、
明治維新・王政復古が成った近代日本の
唯一の主権者であった昭和帝は
第二次大戦終結の折には、生贄として処される覚悟であったようですが。
実際、害される事はなかったけれども
その後の生涯は
『生殺し的』なエグさだったと思われ。
見方を変えれば
日本国民が国際社会に捧げた『生贄』ですわな。
いざという時、
自らを生贄として捧げられる、
捧げられてしまう存在こそが『王』なのであろう。
ここで言う『王』とは
権威・権力・権限の保有者全般ね。
『王殺しの価値観』ってのは
結局、政治も祭祀も
責任論として呪術的・土俗的な
習俗・価値観が根底に存在してるのよな。
各々がコレを容認し難いからこその
責任転嫁だったりするのかも知れんなぁ。
頽廃というよりも
人間社会の宿痾なのであろうか。