うん。
まぁ、以前ほどの危機感を抱いてないオイラではある。
前回の記事に関しちゃ
『憂い』と『うざったさ』の表明だわさ。
各方面からの極論が騒がしいとは思うが
だからこそ世間は極論に流され難いとも思う。
が、そーいう極論が各方面から出てくる以上は
それなりに
それら極論を多少は汲み取ったカタチで
政治というものは推進されていく。
極論が一方に偏っていれば
オイラとしても危機感を抱いたとは思うけど、
現状、そーでもない。
なんだかんだで自民党が主導する政権運営というのは
中道体質なんである。
そりゃ政党内部や支持者達の中では
党として掲げている理念を
推進したい・して欲しい、という願望もあるだろうが、
なんだかんだで『前例主義&和の精神』という
これまた無意識的な
日本的な志向を蔑ろにも出来ないのである。
…小泉政権時にやらかしちゃってるし。
結局、意見を並べ、合議し、
軋轢の激化を防ぐ為にも
各方面に配慮・妥協した政策になっていく。
この部分は
国内問題への対処としては肯定出来るが
国際問題への対処としては微妙に映る事は確か。
兎も角、国内の部分に視点を据えて考えると
理念先行型の意見、極論というのは
現実・現状を許容出来ない人達の意見であって
現実・現状への対処を求められる政治に於いては
物凄く邪魔な思想・思考・志向である。
現実・現状を踏まえてない、
理念に拠った対処法というのは
概ね成功せずに事態の悪化を招く。
理念先行というのは
ゲームで言うところの『縛りプレイ』なんすよ。
『べき論』によって選択肢を自ら放棄してるんだもの。
こう捉えるとナカナカ阿呆でしょ?
まぁ、政治制度に基いた
原理原則としての『べき論』は
否定しませんけどね。
物事の善悪というのは
時代の価値観によって評価が変わるものだし、
正誤に関しちゃ
後代になってみて初めて客観視が出来る代物。
『解』を得んが為に突っ走る必要性は何処にも無い。
過去の類例を鑑みて対処法を選択して行くだけなのよさ。
そして
対処法としての成功例を実績として積み上げられた時、
初めて『理念としての理想』への挑戦が出来るんだとも思う。
序に申さば『理念としての理想』というのは
『御機嫌伺いの美辞麗句』でしかないのよね。
ん~、またしても小難しい。
オイラ的にはコレでも
のほほ~~~~~~~~んとしているんである。
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