疲れるんだよ | つれづれなるまゝに

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狂ひたるモノ・侘助

『べき論』で行動する人達と関わるのが。

個人が行動原理として
『べき論』に依るのは一向に構わんのだが
その価値観を他者に強要すんな、と思うんだわ。

『自分はこう思ってるよ』で済む話なのに、
余計な同調圧力をかけてくるなよ、とね。

うざったいったらありゃしない。

『自分が理解できない価値観は否定対象』ってのは
単に『己の狭量さを表明してるだけ』なのになぁ。

自己判断に自信が持てないから
寄る辺を見つけて『べき論』の根拠にする。
この手法は
多数派に与する事での保身にも繋がるんだけどさ、
それを以って
『べき論』を他者に押し付けてんじゃねーよ、と。

法に則った『べき論』ってのは『法の遵守』であり
国民の義務としての『べき論』である。

この『法に則ったべき論』と
『個人的価値観のべき論』は別物である。

この違いを認識しない、若しくは敢えて無視して
多方面で『べき論』を用い、
全体主義的な雰囲気を作ろうとする人達ってのは
思想の左右を問わず居る訳だ。

その雰囲気に染まる事が
その人にとっての保身であり安心感の基盤になってる。

何と言うか付き合いきれん。

まぁ傍から見ればオイラが自由に過ぎ、
我儘勝手で無責任な存在に映るのかも知れん。

ただ思うのは
自分がやりたいと思いつつ為し難い物事を
いとも容易く実行してしまう他者の存在ってのは
嫉妬の対象に成り易く、
挙句には反感を持ってしまったりするんだべなぁ。

無いものねだりと云う意味で
お互い様の物事でしかないのだけれど。

嫉妬したり反感を持ったり、
侮蔑・軽蔑の対象にしたりってのは
個人の自由である。

思いたきゃそう思えばいい。
が、それを公言した場合、
私人に対しての『名誉毀損』になる可能性があるわけだ。
それこそ
『法の遵守と云うべき論』から逸脱した行いに成り得るってゆー。


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