社長山内の天性の勘が働いたのか、企業の商品としては異例の経緯で作られたウルトラハンドは大ヒットした。それを契機に軍平さんは任天堂の玩具開発担当となり、以降もウルトラマシン、光線銃、ラブテスター、テンビリオンなど数多くの商品を手がけることになる。
軍平さんの作るモノのには一貫した哲学がある。
それは、世の中に行き渡り安価になった技術を使い、それをこれまでとは違った視点から研究し、まったく新しい、誰も思いつかないような利用法を提示してみせること。
すなわち枯れた技術の水平思考である。
既存の技術をさらに高めるやり方ではなく、そのままの形のものにアイデアによって付加価値を付ける。
このあまりにも有名な哲学がわかりやすくあらわれた例がゲーム&ウオッチだろう。
ある日軍平さんが新幹線の中で、退屈しのぎに電卓をいじって遊んでいるサラリーマンを見かけた。それをヒントに電卓のようにいじって遊べる携帯するゲーム機のアイデアを思いつく。
当時は電卓の価格競争により液晶価格がだいぶ下がってきたころで、コスト的にもそのアイデアを実現するのはさほど難しくはなくなっていた。
任天堂の新しい商品、ゲーム&ウオッチはその手軽さが受け、売れに売れた。シリーズ化され何種類も発売され、日本国内だけで1200万台、全世界で4300万台も販売。
そのゲーム&ウオッチシリーズの中には画面の横に十字キーがあるものや、上下に二つの画面があるものなど、直接的なつながりはないものの現在の携帯ゲーム機の源流を垣間見ることができる。
ゲーム&ウオッチの大ヒットにより得た莫大な利益のほとんどを使い、社長山内は大きな博打に打って出た。
新しい家庭用ゲーム機、ファミリーコンピュータの開発である。
いまさら結論を言うまでもなく、山内はこの大博打に勝利する。そして任天堂はゲーム業界において確固たる地位を築き、任天堂を世界的企業に押し上げることになった。と同時にそれは任天堂が家庭用ゲーム業を専業とすることを意味していた。
ファミコンの成功とともに、それを牽引する宮本茂など新しい世代の技術者たちが頭角をあらわしてきた。その流れの中で軍平さんも、「ヒットメーカー」「スター開発者」から、数多くの技術者の一人、あるいは「過去の人」のような見方をされるようになる。
このころから軍平さんの理想と、任天堂の方向性がかい離し始める。
ご存じの通り家庭用ゲーム機はハードの性能を元にソフトが作られる。そのハードの制約の中でさまざまなゲームソフトが作られるわけだが、当然人は同じような内容、グラフィックではすぐに飽きがくる。より表現が豊かで、よりボリュームがあるものを求めるようになる。そうなってくると必然的に機能向上を目指すしかない。現に任天堂も同業他社のようにファミコンの後には16ビット機能を備えたスーパーファミコンを発売している。ゲーム機という縛りができた以上、それは必然ともいえる。
任天堂の方向性は軍平さんの遊びの理想、そして哲学とは違ったものになっていく。
