若い頃の苦労は買ってでもせよ



気なんて使わずにすむような生き方


肩の力を抜いて流れに身を任す


こだわりなど持たずに


自分の好みに従って判断する


でも、自分の好き嫌いなんて


先天的に決められた


まして好きになる努力なんて


まず興味があって


してみてから好き嫌いがわかる


はずだ


経験してある程度自分の個性が分かったら


後悔しない物や事を選べるようになる


やってみないで分かるということは


目ぼしいだけだ


しかしそのめぼしさは


将来的にやるときに楽しみに変わる


想像力が養われているからだ


何もないところから


何かあるところになる


その喜びも何にも代えがたい


気なんて使う必要ない



気、エネルギーを使う時に表れるストレスがある。それが爆発したら、精神が病んでしまうかもしれない。だからまじめ一徹ではなくて少しチャランポランなほうがいいというのはこれが理由だ。でもまじめでもそれ自体が悪くないのだから平和を希求することくらいは周りに流されずにいられるのが本当なのである。



正直者が馬鹿を見る



正直じいさん畑を耕し


仰向いて空を眺めた


目を凝らして見るものもなく


ただボーッと雲が流れる


太陽が顔を出してきたので


もうひと頑張りだと


畝をつくって種を撒いて水をかける


これを三日かけてやる


意外と土地が広いななんて


これが当たり前、昔の人は健脚だ


夕方になると家には帰るが


すぐに寝てしまう


夢の中では畑は豊作だ


以上、昔の人の夢の持ち方でした



平安時代か江戸時代の小作人の気持ちを詠っている。今では「夢」は職業を選ぶが、昔は継いだ畑の豊作を夢見るのである。それでも天変地異は起こるから、代々の知恵でなんとかしのぐことは百無理かもしれないが今の人より自然にたいして畏敬の念が深かったから死活問題を抱えて過ごしていたのであろうか。今の人たちには昔の苦労を分かった上で職にあたってほしい。そして今しかできないことを夢をもって生きていってほしいと先代は願っているだろう。