この頃は、会話が低俗で、「合わせなくちゃ」と思わせたりしてストレスフルになったりして家族に中る人そしてそれで死にまで至らせしめる事例がニュースなどで取り上げられています。社会的問題です。誰しもの希望はSDGsくらいなものでしょうか。 三個の例を挙げたいと思います。会話が常に平和で新しくあるためには、可能性と具体性と方向性を堅固にしなければなりません。それは17個の目標の中からひとつ選んでそこから自分は「初心」を得て、「自分にあってるな」と確認して、それを忘れずに、誉めて伸ばしてもらいたいのか、反骨精神だからそれを認めてほしいのか決めて迷惑にならないように、自受法楽(コトバや会話だったら「詩」「ことわざ」「理論」で円を描く)してあまり人を追いがちにならないようにして、たちどまってもいい、大切なものはいつだって「自分の言葉」なんだから、それが出るようになるまで充電期間だっていいじゃん的な、日光浴を楽しむだとか海水浴だとか森林浴だとか自然に触れてそれから人と混じりにいっても遅くはない、とにかく健康な心身が一番なんだから(順番的にも速度的にも)、備えをしっかりしたら十分楽しんで笑顔で話したり、ときには、「それは問題だよね」と確認しあったりして時間を過ごすのです。そうすると充実した一日が訪れます。送ることができます。SDGsのゴールに着くまで、その内容を宿題にしてみてもいいんじゃないでしょうか?「自分の言葉」が出るには「体験」という自信をつけることのできる、生きていること、または活きていることが求められるでしょう。そうして一人立ちをしていくのです。
百聞は一見に如かず
みんなが横向いて
後ろの僕が前向いても
誰も見ない風景みてる
ほら、今イタチが!
木陰に姿くらました
誰に言っても頭の後ろしか見えてない
僕だけの宝物の記憶のイタチだ
隣の子の頭の後ろは見えていなくても
他人と違う生き方は思わぬ方からやって来るみたい。どんな映像も全く同じとは限らない。どんなに頑張ってもこの時は隣の頭の後ろは見えなかった。しかし、イタチの姿ははっきり見えたのだ。これは他の子には見えていないだろう。個性とはこういう風にできていく。
千差万別
ちぎった紙は
元は1枚のちり紙だったのに
元と違う形に小さくなる
握りしめた手は
なぜか懐かしい気持ちになる
お父さんと握った手は永遠の思い出となる
笑顔を見るたびに
やはり懐かしい、いやそれ以上に美しく思う
異国のスポーツのサッカーをした僕の記憶では