軍用犬といえば、陸軍だけで使っていたようなイメージがあります。報道や表彰の対象となったのも、戦場を駆ける陸軍の犬達でした。
軍用犬関係者ですら海軍犬の存在を知る人は少なく、帝国軍用犬協会宛にこのような問い合わせがあった事も。

問「東京附近に於て海軍軍用犬と書いてある犬箱の中にS犬の入つてゐるのを見ましたが、海軍でも軍用犬を用ひますか？」
答「海軍でも随分軍犬を使つてゐます。上海の陸戰隊の軍犬等は今事變の花形だつたではありませんか。又海軍鎮守府、海軍々需部で使はれてゐます（昭和13年）」

“事変の花形だつた”にしては知名度が低いのですが、日本海軍の歴史には結構古くから犬達が登場しています。
明治37年2月9日、日露戦争の端緒となる戦闘が行われました。仁川港から出撃したロシア艦隊を日本艦隊が迎撃した、いわゆる仁川沖海戦です。
此の時、ロシア巡洋艦「ワリャーグ（Варяг）」を大破・自沈させたのが装甲巡洋艦「浅間」ですが、その艦内では犬と猫が飼育されていました。

「浅間艦上愛養せる英国産の猫、其名を『ミス、タマ』と呼ぶ。同上の狗児（仔犬）名は『ミス、キジ』（『日露戰争寫眞畫報』より、明治37年）
このタマとキジが浅間で飼われるようになった経緯は不明です。

浅間はイギリスで建造されましたから、猫が乗艦したのはその時かもしれません。

別の資料では、タマとキジの名前が取り違えられています。

浅間艦にミス、タマといふ洋犬あり。戰鬪が始まると彈丸雨注の間を飛び歩き景氣よく吠え、敵の艦影を見ると吠へ出す。

これ亦た一の戰員ともいふべき

『近時書報（明治37年）』より

写真で見る浅間猫はキジネコっぽい縞模様ですし、猫＝キジ、犬＝タマが正解なのかもしれません。まあ、どうでもいい事ですけれど。
いずれにせよ、キジとタマは浅間乗組員達のマスコットであり、正式な軍用動物ではありませんでした。
日本海軍が軍犬を採用するのは仁川沖海戦から28年後、昭和7年になってからの事です。

浅間以外にも犬を飼っていた艦は何隻かありました。
日清戦争で日本海軍に鹵獲された元清国北洋艦隊巡洋艦の済遠でも、明治37年の夏頃に小型犬を飼っていた事が記録されています。
済遠は同年11月の旅順攻撃で触雷沈没しますが、其の際に犬がどうなったかは分かりません。

「海軍大佐小田喜代蔵君、特種の重要任務を奉じて旅順丸に在り。常に其の二愛犬を船中に畜ふ（『日露戰争實記』より　明治38年4月15日撮影）」

また、仁川沖海戦で自沈したワリャーグでも犬が飼育されています。
此の犬は、自艦沈没後に野良犬「ワリヤーク」となってソウル市街を彷徨していたとか。

ワリャーグ乗組員の記念撮影。最前列、向かって左から2番目の水兵が仔犬を抱いていますね（明治37年）

大正8年になると日本陸軍が軍用犬の研究を開始、制式配備に向けて動き出しますが、海軍では関心すら持たなかった様です。
昭和3年頃から、海軍技術研究所が番犬を飼育していたという記録があるのみ。

陸軍犬の活躍を日本国民と日本海軍に知らしめたのが、昭和6年に起きた満洲事変でした。柳条湖事件で軍用犬の那智・金剛・メリーが戦死したニュースは、同年末から国内で広く報道されます。
此の時はじめて、日本の国民は「陸軍が犬を実戦投入しているらしい」と知ったのですが、それは海軍も同じだったのでしょう。

そして、翌年に発生した第1次上海事変に於いて、海軍は陸軍犬の活躍を目の当たりにします。
第1次上海事変では、中国の19路軍と日本海軍の陸戦隊、日本陸軍の第9師団、混成第24旅団、第11師団、第14師団が激しく交戦しました。
昭和7年3月3日、呉松砲台を占拠した海軍陸戦隊は、上陸してきた陸軍第11師団歩兵第44聯隊に夜間警備を任せて後退します。しかし、第44聯隊は通信機材の揚陸を完了出来ておらず、暗闇の中で各地に展開した部隊間の連絡がとれない状況に陥りました。
この時、陸軍部隊の連絡網を支えたのが軍用犬です。
通信文書を携えた第11師団所属の伝令犬「英智」は、危険なクリーク地帯を駈け巡って部隊間の通信を維持、以降も敵敗残兵に対する警戒任務を行いました。
犬を使って緊急事態に対処したこの事例は軍部でも評価されており、香川県の師団本部へ凱旋帰国した英智には、那智・金剛に続いて甲功章が授与されています。
因みに、歩兵学校で生れた英智を育てたのは、後に那智・金剛・メリーの主人となる板倉至中尉（当時）なのですが、その話は那智・金剛編にて。

上海事変から凱旋帰国した英智は、甲功章を授与されます。

【呉にクマがやってきた日】

満洲・上海両事変での戦訓をもとに、日本海軍は軍用犬の配備を決定します。これを発案したのは、広島県に拠点を置く呉の鎮守府（※海軍の艦隊統括機関）でした。
しかし、「軍用犬を採用する」と決めたはいいものの、具体的に何をどうすればよいのかは誰も知りません。大正時代から運用研究を重ねてきた陸軍と違い、海軍は犬の訓練・運用に関するノウハウを全く持っていなかったのです。
緊張の高まる国際情勢を鑑みると、ゼロから軍用犬の研究を始める時間的余裕は無く、イロイロと検討した結果、運用実績のある陸軍に協力を要請する事となりました。
それから陸海軍間でどのような交渉があったのかは不明ですが、結果として1頭の陸軍犬を海軍へ転籍させる事で話が纏まります。
海軍行きに選ばれたのは、陸軍歩兵学校軍用犬班に所属するシェパード犬の「クマ」。

海軍に始めて犬が入つたのは昭和七年の秋で、千葉の歩兵學校で萬能犬として知られてゐたクマが陸軍から海軍へ轉籍して呉に移つて来たのに始まる。
クマ公は歩兵學校時代御馴染の管理係の除隊兵につれられて、一緒に呉の軍需部の火薬庫へ引越して來たのである（三宅海軍少佐）

さて、陸軍に比べると、海軍の軍犬運用法については想像し難いものがあります。
関連する資料も少ないのですが、幸いにも上記の三宅海軍少佐による解説が残されていますので、下記に引用していきます。

海軍に軍用犬があると言ふと、早合點をされる人々はすぐ吃驚して、船の中で何に使はれるかと尋ねられるが、決して船内に使つてゐるのではなく、陸上の平凡な役目を引き受けてゐるわけで、即ち火藥庫や倉庫等の番犬となり、又守衛の相棒となつて巡回をやつてゐるのである。
海軍に於る軍犬の使用は日尚極めて淺く、從つて其の數も尚尠なく、且任務が地味な爲に、陸軍に於ける其れの如く華々しい手柄話も無いのであるが、使役せられてゐる現場に於ては極めて重寶がられ、評判がよいので漸次海軍部内に其の存在を認められつゝあり、且海軍の實用状況と同様の使役方法は、部外にも澤山ある様に思はれる

海軍少佐三宅正彦『海軍と軍用犬（昭和10年）』より

海軍の火薬庫や艦材置場、軍需品格納所の多くは、保安上の理由から辺鄙な場所や離れ小島に設置されています。敷地面積も広大である事から、厳重な警戒が必要な割に人員が足りず、警備担当者の苦労は並々ならぬものがありました。

之が守衛警戒に當るものは一通の苦勞ではないわけで、何とか好い方法もがなと常に研究せられてゐた所、時宛も軍用犬の利用が日本でも盛となり、其の外國に於ける聲價並に國内に於ける實績等により、其の効果が認められし結果さてこそクマ公の海軍入となつた次第である（三宅少佐）

しかし、複数存在する海軍施設の警備に、クマ1頭ではとても足りませんでした。この為、呉軍需部では陸軍以外からも犬の寄贈を募っていた様です。
昭和7年7月、中国山東半島で活動する畜犬団体「青島シエパードドッグ倶楽部（TSC）」に対して、現地駐在の海軍将校から非公式の打診がありました。
ドイツ租借地だった青島には、20世紀初頭から警察犬として多数のシェパードが移入されています。
当時の青島は、東洋に於けるシェパードの一大産地となっていました。満州事変で戦死した那智・金剛姉妹も、TSCから関東軍へ寄贈された犬です。

日本シェパード界の黎明期を支えた青島シェパード・ドッグ倶楽部（TSC）

呉鎮守府は上海事變の陸上戰に鑑み、軍用犬の必要を痛感したところから、今般管下特別陸戰隊に軍用犬班を新設されることになつて
當地（青島）で三四頭の優秀犬を購入したいと、藤原駐在武官を通じて其斡旋方を倶樂部に依頼されたのであつた（TSC 会報より）

最初は施設警備ではなく陸戦隊に配備する予定だった様ですね。

藤原駐在武官より、呉鎮守府に於ても陸戰隊に軍用犬を養成して陸軍同様に働かせて見たいとのことであるから、倶樂部に於て海軍の方にも何分の援助を願ひたいと、非公式に私共迄御話が有りましたので、及ばずながら尽力致しませう。と御返答申し上げておきました所、最近鎮守府長官より武官に對し公式に通知があり、取り敢えず血統の異つた牡、牝三、四頭を青島に於て購入することゝなりましたので、當倶樂部では二頭を寄贈することに話が出来て居るのであります。
會員の方で、御寄贈下さる方が御在ゐますならば、宜しく御援助あらんことを切に希望する次第であります

昭和7年7月16日開催、TSCの第三回定時會員總會記より

これを聞いたTSC会員達から次々と申し出があり、10頭の青犬（青島系シェパードの俗称）が海軍へ寄贈される運びとなります。
昭和7年9月5日、藤原駐在武官の後任である田中穣海軍少佐から、呉海軍軍需部長宛に「軍用犬寄贈ニ關スル件報告」及び海軍省軍務局宛に「寄贈軍用犬ニ關スル件照會」という文書が提出されました。

今般、當地シエバードドツグ倶樂部（青島館陶路取引所ビルデング二階六十一号代表者津下信義）ヨリ寄贈ノ軍用犬十頭、別紙呉軍需部長宛照會ノ通リ取リ計ヒ候

軍艦球磨ニ搭載送付致候寄贈軍用犬ニ關シ、其ノ細目別紙ノ如ク通知有之候ニ付御照会申上候。猶ホ前武官藤原少佐ヨリノ申継ニ依レバ、各犬ハ何レモ優秀ニシテ價格高價ノモノナル由ニ候間左様御承知願上度候

TSCから寄贈されたのは、下記の10頭です。

デニー：2歳牡、中村梅造氏寄贈　見積価格60円
ダッヂ：5ヶ月牡　畝矢卯吉氏寄贈　見積価格40円
トム：1歳5ヶ月牡、畝矢卯吉氏寄贈　見積価格120円
ラッキイ（ロッキー？）：9ヶ月牝　血統書有、津下信義氏寄贈　見積価格260円
ラスコ：1歳2ヶ月牡：乾眞五郎氏寄贈　見積価格70円
ビロ：1歳牡、血統書有　島津茂市氏寄贈　見積価格260円
フク：9ヶ月牝、血統書有　高松興蔵氏寄贈　見積価格260円
アヅマ：3ヶ月牝、淺野浩利氏寄贈　見積価格40円
バニー：2歳1ヶ月牝、岡田隆夫氏寄贈　見積価格40円
ヂミー：1年7ヶ月牝　田村多吉氏寄贈　見積価格60円
計10頭　見積額合計1,210円

右ノ内『ビロ』號ハ一九二六年ノ二回ニ渉リ『インターナシヨナル　チヤムピオン』ノ榮譽ヲ獲得シタル『エリツヒ・フオン・グロツケンブリング』號ノ孫ニシテ特ニ優秀ナルモノニ有之將來種牡トシテ御飼養相成度候

上記リストに名前が出ている浅野浩利さんは、有名な陸軍犬「那智」「金剛」姉弟の元飼主でもあります。そういえば、アズマが海軍に供出されたのは、満洲事変で2頭が戦死してから丁度1年後の事でした。
9月22日、青島からの報告を受けた呉海軍軍需部長より、海軍大臣に宛てた上申書が提出されます。

寄贈犬受納方ノ件上申
左記ノ者ヨリ當部宛軍用犬トシテ『シヱフアード』種洋犬各頭書ノ通寄贈方申出候ニ付テハ當部各附属地警戒ノ爲其ノ必要有之候條通常物品トシテ受納方御認可相成候。
追テ之カ飼料及其ノ他雑貨トシテ年額約八五○圓ヲ要スルモ各相當費目ガ既配布予算内ニテ支辨可能ニ有之候。
(中略)
本軍用犬十頭ハ軍艦球磨ニ托送既ニ到着目下當部秋月火薬庫ニ仮収容致居ルモノニ付、御含ミノ上至急御認許方可然御取計シ得度
十月十四日、呉軍需第一三ノ一九六号寄贈犬受納ノ件認許ス

上申書は海軍大臣に承認され、呉に集結した陸軍犬クマと10頭の青犬達によって、日本海軍軍用犬の歴史がスタートします。
尚、上記引用文中に「軍艦球磨ニ搭載送付致候」「軍艦球磨ニ托送」と出てきますが、青島のシェパード達を広島まで輸送したのが、青島近海で哨戒任務中だった軽巡洋艦「球磨（くま）」でした。

クマの呉移轉の後一ケ月にして、永く青島附近に警備に派遣されてゐた軍艦クマが面白いお土産を持つて歸つて來た。即ち海軍に軍用犬使用の希望がある事を知つた青島在住の邦人諸君が奮發して献納して呉れた壮幼十數頭のシエパードが是である。
『海軍の犬はクマに始まる』と誰か冗談を言つてゐたが、何の因縁かクマ公と軍艦球磨とが以上述べた様な關係にあるのである（三宅少佐）

さて。
呉へやってきた青犬達ですが、陸軍歩兵学校で軍事訓練を受けていたクマと違い、未成犬や訓練不足の犬も混じっていました。

之等献納犬は概ね優秀なもので、随分羨しい様なのもゐたが、中には『下さるものに』の感なきにしも非るものもゐたし、訓練は出來てゐないものも多かつた（三宅少佐）

頭数の増加に伴い、呉の軍需部では陸軍歩校出身者以外の軍犬管理担当者を増員し、関係者一同で訓練を開始します。実用段階まで仕上げるのに半年近くを費やしましたが、訓練を終えた10頭は、クマと合流して呉軍需部での火薬庫警備任務に就きました。
呉では11頭を種犬とした繁殖も行われ、殖えた軍犬達を全国各地の軍港や要港の軍需部・工作庁に分配。

其後各地共に之等の犬がお産をしたり、又地方有志からの献納があつたりして、現在合計四十頭にまで増加してゐる。
（中略）
種類は何れもシエパードで、之以外のものは未だ用ひられてゐない。使役されてゐる犬の年齢はクマの滿五歳を頭に二年を少し過ぎたものが最少である。
現在の使用數は前述の如く全国で四十頭で、使役の場所は呉、横須賀、佐世保及舞鶴で十三ケ所、服しつゝある任務は、火藥庫地帯、燃料貯蔵所及船用品の格納所等の巡視警戒で、其の方法は守衛の帶同巡廻並に犬のみの單獨巡廻である（三宅少佐）

これら海軍犬に関する初期の運用状況については、少数ながら資料が残されています。

『横須賀海軍軍需部軍用犬近況（昭和10年）』より海軍軍用犬舎

横須賀海軍石井利吉軍犬主任は横濱の大野屋旅館に宿泊中の自分を訪れて、現在の海軍に對する御話を左の如くなされました。
丁度此の日には横濱の東洋畜犬学校の水越氏も來訪されました。
“横須賀では呉から二頭連れて来て、目下火薬庫の歩哨に立たせ時間で場の看視に廻らせますが、實に正直にきちんと廻つて來ます。
よく滿洲の話を聴くと人間の歩哨は深夜になると定位置に居らぬ、どうしても動くそうでありますが、犬がゐると犬は正直にコワイモノがないからきちんと規定の個所を廻つたり立つたりしてゐます。
大切な火藥庫にはなくてはなりません。
せめて吾が軍港にも五六頭居れば完全な仕事が出來ませう。
將來は全海軍の主要港には軍犬が配置される様になると思ひます”

帝国軍用犬協会静岡支部　吉川生『陸軍にも海軍にもなくてはならぬ軍犬（昭和8年）』より

『横須賀海軍軍需部軍用犬近況（昭和10年）』より

横須賀鎮守府では昨秋彫刻家日名子實三氏より軍用犬シエパード種ブランカ號の献納を受けたが、これが昨年十二月に見事な仔犬九頭を分娩し、何れもムク〃と育つて今では大きいのは二貫七百匁になつてゐるのもある。
此の話を聞いて喜んだのが日名子氏母堂池田のゑ刀自、丸で自分で腹を痛めた子供のやうに、いとしがつて此の程お乳料十円に添へて次の様な自作の歌を送つて來た。

九匹まで犬子を産むのも國のため
あら賑やかな犬の年かな
人ならぬ犬にも心あるならば
教へを受けて國につかへよ

お産の大役を無事に果たしたブランカ号は、今では相變らず部内各所警備の重要任務に就いてゐるが、現在軍需部には四頭の軍用犬の成犬あり。
近く浅田甚右衛門氏（※日本シエパード犬研究会理事）からと横濱の内田正一氏から一匹宛献納される事となつてゐるので、全部で六頭。
それに今度生れた小犬九頭があるので順次基本訓練を行つて配備區域を拡め、海軍部内の重要部署に夫々配置する事となつてゐる

日本シエパード犬研究会（NSK）『軍港の護り・献納シエパード軍（昭和9年）』より

上記に登場する浅田NSK理事献納犬。

同じく内田氏の献納犬。いずれも『横須賀海軍軍需部軍用犬近況』より

横須賀のブランカたちについては、このような資料も。

軍用犬飼育訓練の状況に就て
當軍需部に於ては各火藥庫及燃料地帶其他必要なる地域の監視巡回警戒等の任務に宛つる爲、軍用犬を飼育訓練しつつあり。
軍用犬は現在十三頭を有し、郷戸火藥庫、外箱崎燃料地帶及霞ヶ浦軍需支部に二頭を配し、實地勤務に從事せしめつつある以外は全部之を吾妻山軍用犬犬舎に収容し、毎日軍用犬係守衛二名を附して基礎的訓練を励行し、相當の成果を擧げつつあり。
将来は各火藥庫並に燃料地帶全部に亘り配犬の豫定なるも、新設工事の爲部外者の出入多く危險を顧慮して差控へつつある現状なり。
軍用犬一頭の飼育料毎月約三圓五十錢なり（横須賀海軍軍需部　昭和10年）

『横須賀海軍軍需部軍用犬近況（昭和10年）』より

昭和十年九月十日、左記ノ通寄贈物品受領致度候條御認許相成度。
寄贈品、軍用犬ト軍犬舎各五。大連市飛騨町六十七大連新聞社。
軍用鳩二十羽、旅順市旅順重砲兵大隊。　
海軍軍需局参考。
軍用犬ヲ具備品ニ設定ニ關スル件
軍用犬ハ火藥庫地帶、倉庫地帶ノ警戒用トシテ有効ナルモノト認メ左記要領ニヨリ具備品トシテ處遇スルコトトス。
記
一、官営需品定額表外備品（砲術長主管）トシ、最小限度定數ヲ設定ス。但シ、新規購入ハ行ハザルヲ立前トス。
一、食餌ハ兵員ノ殘飯ヲ充ツルヲ立前トシ其ノ不足分トシテ需品消耗品直買豫算年額一頭宛三十圓以内請求ニヨリ支給スルコトトス。
一、犬舎ハ移動式トシ、艦営需品定額表外備品トシテ整備ス

昭和十年九月十日旅順要港部司令官海軍大臣殿
寄贈物品受納ニ關スル件上申左記ノ通寄贈物品受納致度候條御認許相成度。
記寄贈品名數稱號寄贈先軍用犬五頭
大連市飛騨町六七大連新聞社犬舎五舎軍用鳩二〇羽旅順市旅順重砲兵大隊（終）

官房第四一八

昭和十年九月二十七日起案
昭和十年十月七日海軍大臣旅順要港部第一七二号寄贈物品受納ニ關スル件認許ス但シ。
軍用犬及犬舎ハ砲術長主管艦営需品定額表外備品トシ軍用鳩ハ海軍軍鳩實驗研究用應役鳩トシ整理スベシ。
（終）
官房第四一八七號旅順要港部第一七二號

『横須賀海軍軍需部軍用犬近況（昭和10年）』より海軍軍用犬舎

佐世保海軍でも呉軍港から先般訓練の積んだ純シエパード一頭と福岡から一頭を購入し二頭を前畑火藥庫で飼育し、陸軍の犬取扱兵であつた人を雇入れ軍用犬飼育専門にあててゐるが、暴風雨の夜、淋しい山中で、きめられた時間には間違ひなく廣い構内を忠實に巡視し、人間もおよばぬほどの厳重な警戒を続け、成績が非常によく、火薬庫の番兵さんから非常に可愛がられ感謝されてゐる

『佐世保海軍にもシエパード（昭和9年）』より

長崎は海軍方面で仲々盛んで、佐世保の海軍が軍需部で火藥庫とか、あゝいふ様なものゝ警戒に使つて居る。私が講演した時、軍需部長が行つて聞いて来いと云ふので、犬係のものがわざ〃やつて來た。それ程熱心です。
帝国軍用犬協会(KV)座談会『坂本・有坂・關谷三氏に地方犬界を訊く』より、坂本健吉陸軍少将の談話。昭和10年9月20日

最近海軍の某所では夜間定時刻に自動振鈴を合圖に、訓練せられたる犬が一定の路線を巡廻し、怪しき者を認めたる時は警備員に是れを急報する等、大に活躍してゐる

警視廳獸醫課警部　伊東壽『私の提唱する警察犬制度（昭和11年）』より

訓練中の海軍犬摩耶號。横須賀鎮守府檢閲済のため、背景が一部修正されています（横須賀海軍軍需部軍用犬近況より）

前述の海軍技術研究所警備犬は、昭和7年から陣容が強化されました。

恵比須の海軍技術研究所では、八年前からシエパード犬を飼育し、數萬坪に亘る宏大な構内の警戒に當らせてゐる。犬の警戒時間は深夜一時間で、警戒員と共々建物から建物へと巡邏し、構内に茂る草叢にも警戒の眼を怠らず、雨の夜も風の夜も涙ぐましいばかりの勤務に服してゐる。
現在の勤務犬はラーク號（三歳牡）、ジヨン號（三歳牝）メリー號（七歳牝）の三頭で、この犬陣の基礎は今から四年程前に、同研究所庶務課長寺田大佐の手によつて築かれた。
寺田大佐は同所庶務課長就任前、横須賀の砲術學校在勤中、同軍港の警備犬の勤務振りに着目し、深く研究するところがあつたが、研究所に移ると共に、同所犬陣の強化を計り、今日の犬陣の基を拓いた。
現在の三頭の中、花形は三歳の牡ラーク號で、勇猛無比、突撃に最も妙を得てをり、却々荒い氣性である。『下手間誤つくと、こちらが、喰ひつかれてしまひますよ』と犬陣監督の任に當る松田海軍少尉は笑つてゐる。
犬の出身地は遺憾乍ら詳かでない。
系統も明かでなく、犬舎號もないが、彼等は厳格な勤務に服する一方、又研究所内での人氣者で、技術研究所一點張りの緊張した空氣も、彼等の愛嬌で、微笑ましくも緩和されるのである。
最近ジヨン號とラーク號の間に五頭の可愛いゝ仔犬が生まれた。犬陣の擴大に寺田大佐の喜びは一方でない。
松田少尉も『生まれをつた哩、何とか強さうな名が欲しいものだ』と目下思案中である。
昨年秋のこと、素晴らしい仔を作るつもりで、ジヨン號に荒木大將の愛犬シトー號を交配し、又メリー號に俵藤氏のウィンゴルフ號を掛けたが、前者は受胎せず、後者は流産に終つたので、今回のお目出たは一同から喜ばれてゐる。
同研究所には別に犬係の隊員がゐる譯ではなく、庶務課その他の軍人が、激務の間に訓練その他の面倒を見てゐるので、犬の育成も容易ではない。
松田少尉が専ら犬に當つてゐるが、これも片手間に行ふと云つた譯で、頗る多忙を極めてゐる。
『いや却々忙しいですよ。本當は専任を置けばよいが、其處まで手が廻らず』
犬陣の擴大強化につれ、衛生方面にも意を用ひてゐるが、海軍には獸醫がゐないので、警視廳の荒木獸醫が、顧問獸醫で、時折り見回り、訓練その他についても同獸醫が指導の任に當つてゐる。
同獸醫の談―『今後益々犬舎は充実して行きます。人手の足りないのは如何ともしがたいが、誰も熱心なので成果は擧つて行きませう。
今に精鋭分子が續々現はれて來ますよ。横須賀軍港に負けぬ犬陣を布くつもりで、折角一同努力中です

『海軍技術研究所の犬陣（昭和11年）』より

以上の様に、昭和10年頃までの海軍犬の任務は施設警備、陸軍で言うところの「守衛犬」レベルだった様です。

こちらも横須賀軍需部で訓練中の摩耶號

使役の効果は關係者の所見を總合するに、相當廣き場所、特に構内に森林や草原を含む土地を厳重に警戒するには可成大勢の人數を要し、尚且目の届かざる所もあり、相當の困難を伴ふものなるに、之に十分訓練せられたる軍犬を併せ用ふれば極めて徹底せる警戒をなし得る上、相當数の人數を節約し得らる。特に夜間に於てその感深し。
夜間に於ては人間のみの巡回者は、幾人をも組として派出する場合に於ても單に視力のみを以てする面々の集りに過ぎず、且その視力たるや暗黑の中に於ては極めて微力なるものにして、心許なき事甚敷きに引かへ例へ一頭たりとも犬を使用する場合には、其の鋭敏なる嗅覺と聴覺と暗中尚白晝と異らざる視力とを併せ用ひ、到底比較にならぬ範圍迄を警戒し得るわけにして、犬を伴ふ事は數人の人間を伴ふよりも尚氣強く感ぜらる。
從つて、從來犬嫌いのもの迄がすべて之を帶同巡廻するを欲するに至れりと云ふ。
他方猛犬ありて近寄らば危險なりとの風評のみを以てしても一般市中人の恐懼は予想外にして、最近は警戒地帶の境界に近き土地に於ける枯木拾ひ竝に草刈を行ふものさへも、次第に減少しつゝありと言ふことである

この様に、近住民が海軍施設に近寄らなくなる事で、保安上好ましい状況となる二次的効果もありました。
しかし、海軍に出入りする民間業者にとって、海軍犬は恐怖の対象となります。

或る火藥庫地帶では常に官用人夫が澤山出入りしてゐるが、之等の者が平常の服装をなして一定の通路を歩いてゐる時には犬共も知らぬ顔でゐるが、一度服装が異るか、又は定所外に出入せんとすれば、猛然と襲撃して兩三回負傷者を出した事ありと謂ふ

これらの話を聞いた近隣住民は益々恐怖を募らせました。

尚、犬を一般住民が怖れ過ぎてゐる爲、かつて某所に於て軍犬二頭がコンクリート壁の部を水泳により迂回脱出したことありて、此の爲、村中大騒ぎで宛も日露戰争當時ロシヤの捕虜が脱走した時ほどの騒ぎが起きたといふ珍談もある（三宅少佐）

横須賀海軍軍需部で訓練中のリガー號

犬を怖れていたのは民間人だけではなく、当の海軍将兵達も同様でした。

離れ島の某警戒地には水兵が小舟で用足しに出入するが、之に對しては係員が出て應對する迄は絶體に上陸させないので、憤慨する人や面白がる人が出來てゐると謂ふ事である（三宅少佐）

続出する被害に海軍当局も頭を悩ませますが、敵味方の識別については訓練も困難と云う事で、新規入場者に対する注意喚起程度しか対策はありませんでした。

当初は、「海軍の現在就けてゐる任務の如きは極めて平凡（三宅少佐）」ではあったものの、將來へ向けての様々な應用策も検討されています。特に、水難救助や漂流物の回収任務、及び海軍陸戰隊の警戒・支援任務に犬を使えないかという意見が出されていました。
欧米の水上警察では、ニューファウンドランドを使った水難救助犬を使役していることが知られており、日本の畜犬団体でも水難救助訓練は盛んに行われていました。
海軍が犬の水泳訓練を行っていたのかは不明ですが、このようなエピソードも。

某海岸の監視所犬は、僅か十ケ月の時、海上百米先方を浮流する水兵帽を見付け吠へ立てたので持來を命じた所、遊泳未訓練なりしにも拘らず海中に突入、之を持ち返り、直に本艦へ送付せしことあり。海上の見張等にも極めて有効な事を示せるものとして關係者一同大喜びせりと謂ふ（三宅少佐）

まあ、海軍だからといって軍用犬を無理に泳がせる必要はありません。海洋での軍事任務については、（幸か不幸か）もっと適した動物達が存在していますから。

この事に関し、昭和9年に面白い発想をしていた人がいます。
福岡県大牟田市へ有田サーカスが興行にやって来た時の事。地元在住のNSK（日本シェパード犬研究会）会員、西村六ニ氏はサーカス見物に出かけました。
彼が注目したのは、曲芸をするオットセイ。
その芸達者振りに感心した西村氏は、上演終了後に有田団長の元を訪れ、オットセイの訓練法について語り合います。

私は思ふ。陸に軍用犬が必要なら同様に海軍にも軍用犬を必要とする筈だ。海の軍用犬、……オツトセイ……の訓練を海軍でやつて見たらどうだ。
或程度の偵察、通信、運搬なら陸に於けるシエパード同様オツトセイも充分やりこなせると思ふ。否、水の上の仕事は陸に於ける犬より実にオツトセイの利用價値を高めはすまいか。
黑煙を吐き白波を蹴つて疾駆する巡洋艦の舷側から通信筒を頸にしたオツトセイが激浪の中に飛び込んだり、掃海隊と行動を共にして沈設機雷の在所を知らせたり……。こんな事は果して妄想かな？

西村六ニ『大牟田犬信（昭和9年）』より

妄想どころか、ヨーロッパの軍隊では西村氏と同じ事を考えていました。
「動物兵士全書」によると、この話から8年後の1942年、スウェーデン海軍が軍用アザラシを発案、対独戦用に研究していたとあります。
ただし、その運用法は乱暴極まりないものでした。

海洋哺乳類が補助戦闘員となったのはごく最近のこと、初めて戦闘に使われたのは、第二次大戦がおきてからのことである。
先陣をきったのはスウェーデンで、同国の海軍省が一九四二年に、いわばドイツの潜水艦を掃討するため、水中を航行する船の下を泳ぐよう訓練したアザラシを用いた。
それらのアザラシの背中には磁気に反応する携帯用の機雷が取りつけられていて、アザラシもろとも爆発した。
このような海中戦の戦術は、当時は画期的なアイデアとして極秘とされたが、のちにアシカやとくにイルカを用いた軍事実験へ道を開くことになった

マルタン・モネスティエ著『動物兵士全書』より

アザラシ特攻隊といえば米海軍特殊部隊SEALsが有名ですけれど、本物の特攻アザラシが存在していたとは。ソ連軍の対戦車自爆犬並みに酷い話です。
スウェーデンの自爆アザラシ達のうち、何頭が戦争の犠牲となったのでしょうか。

現在、世界各国で軍用イルカや軍用アシカが配備されているのはご存知の通り。
その任務は海中での機雷探知、海没した船や航空機の捜索、電波発信機を装着して敵艦隊の状況を偵察するなど多岐に亘ります。中には水中銃を装備したり、敵フロッグマンの水中呼吸装置を破壊する訓練を受けた「殺人イルカ」も実在しているとか。
テクノロジーの発達によって任務の範囲を縮小した軍用犬と違い、彼等は新たな軍用動物として水中戦に投入されているのです。

こちらは在郷軍用犬の水泳訓練大會。

話を犬に戻します。
守衛犬の成績を高く評価した海軍では、最初の計画に戻って陸戦隊専属の伝令・警戒犬の運用も検討し始めました。陸軍同様、大陸や島嶼部での戦いに犬を用いようとしたのです。

現在に於ては、極めて小範圍の役務に就いてゐるのであるが、將來は之に甘ずる事なく新しい用途を開拓して行く必要を痛感するもので、就中、陸戰隊の敵前上陸及先年の事變當時の市街戰等には、其用途極めて多きを推定せらる所である。
此の方面の活用に関しては、尚陸軍其他、一般先覺者諸賢の教示に俟つ所大なるものがあり、御援助を願ふ次第である（三宅少佐）

陸軍に「御援助を願ふ」とありますが、軍犬運用ノウハウの提供ついて、犬猿の仲だった陸海軍間でどのように話が進んだのかは不明です。

大陸での情勢が次第に緊迫していく中、陸軍犬と共に海軍の犬も戦場へデビューしました。

（次回へ続く）

日本の海軍犬史 其の2

日本の海軍犬史　其の2