生年月日 不明

犬種 スコティッシュテリア

性別 牡

地域 東京府

飼主 秦一郎氏

 

私の家のスコツチのミミーはまだ仔犬の頃、一旦庭に放したら最後、主人の私は勿論、三度々々食事をやつてゐる女中がいくら呼んでも絶對に捕まらなかつた。しかし當時六歳の私の長女がミミちやんミミちやんと呼びさへすれば、彼はすぐに傍らに寄つて來て實に難なくつかまるのであつた。

大人がこれに躍起となつて何んとか捉へようとぢれればぢれるほど、益々彼は捕捉しがたい動物となる。幾度でも手許まではやつては來るが、ひよつと手を差しのべようとすれば、彼は逸早くもう手許をくぐつて逃げて了ふのである。

其後、私が苦心して彼を手許に呼び寄せ、難なく捉へることに成功するまでには、彼の心理の研究に相當長い根氣と時日を要したが、その女中には今以て容易に捉らないのである。

これは決して私の家のスコツチばかりではない。多くの他の實例や文献に徴しても殆ど例外はないやうである。偶には訪問者の誰彼の差別なく膝下に跳びついて、矢鱈に御世辭を振り蒔くスコツチを見たが、それは私の經驗中わづかに一頭だけであつた。

これだkでもスコツチ・テリアが、如何に一條繩ではゆかぬ氣むづかしい氣分の犬だかが解るであらう。

かういふ犬を手なづけるには天地間、ただ自分とその犬との二人きりだ。それ以外には絶對にゐない、といふ深い覺悟を以て臨まなければ駄目である。

この傾向は一見、如何にも偏屈で、冷淡で、ひねつこびた、時には小面憎い犬のやうにさへ考へる人もあるであらうが、それは彼にとつて實は大きな誤解と謂はなければならぬ。

彼のこの並はづれた求愛こそは、何者にもまして深い、貴い愛情の發露なのである。

 

「スコツチテリアの特性について(昭和13年)」より