ドーベルマンの進路檢討の座談會

出席者

相澤晃

武久孝雄

中込政重

野呂横行

古屋千秋

横井準一郎

白木正光

 

【審査員の立場】
野呂
スイスのある審査員は「犬を發達させるのにすぐ標準に合せやうとするのは不可で、まづ理想を頭に置いてある目標に達したら次に他の點を改良すると云ふ風に一定の目標を置いて、互ひに協力して進むところに初めて眞の進歩がある」と云つてゐる。
横井
それは審査の立場だよ。
野呂
審査にしても審査員の抱負が必要だ。現在の犬は滿點のものはないが、我々は理想的の方面及び計劃的の方面からこれを見ると、たとへば相對的にはAが優つてゐるが、將來の蕃殖上にはBの方がより効果的と思ふ場合は、Bをあげる。
それが一般にも理解されて初めて明朗な審査が出來るのではないか。
古屋
君の意見は理想論として立派だ。話は違ふが獨逸のシユテフハニツツはその意氣でやつてゐたから獨逸シエパードはあれまでに發展した。
極端かも知れぬが、彼が死んで(※シュテファニッツは昭和10年に死去しました)シエパードも死んだと私は云ひたい。
野呂
犬の判定にしても、横井君と共通の點もあるが、同時に性能の判定にも形態の判定にも開きがある。戦闘に立つて歩く人は、ハツキリした意見がなければならぬ。又その當局者の意見がまち〃であつては、一般は迷つて仕舞ふ。
横井
標準は決つてゐるよ。現在の日本のものはスイスのものを鵜呑みにしてゐる觀はあるが、そして帝犬はドーベルは軍用犬なりの建前で進んでゐる。
野呂
根本の標準はやたらに變るものではないから、それをかれこれ言ふのではなく、こゝにドーベルは軍用犬なりとして、そのサイズはどうかとか、作出上に特に注意すべき現代の缺陥はどこにあるとか。
横井
無論さう云ふことは考へられてゐるが、まだ實驗的にそれが瞭り判つてゐない。そこで審査の衝に當るものは、その時代の犬種の缺陥を一番よく摑んでゐる人でなければならぬが、野呂君は逃げるし、現在そんな人はゐない。
古屋

いや横井さんの審査は十分信頼される。たゞ地方の支部展等の審査には困る場合があるが、現在は新しい人の出るまでのつなぎとして、長く犬を飼つてゐる人に出て貰ふよりほかない。

(次回に続く)