生年月日 不明

犬種 スパニエル

性別 不明

地域 新潟縣

飼主 永野然氏

 

スパニエルといってもイロイロな種類があります。大正時代にはコッカースパニエルが主流となりますが、明治時代はどんな品種が来日していたのでしょうか?

新潟県の猟犬史としても興味深い記録です。

 

扨、前々獵期余の飼養犬スパニール初獵期十二月廿七日の日曜日、一日間雉子山鳥十七羽を獲、前獵期十一月中インゲリシユ・セツター初獵期朝飯前雉子七羽を獲、其内五羽は獵場に直立せる儘一歩を動かさずして獲なるが如き事は當獵期にはあらざりしも愉快なる獵は數多し。

其一、二記せば十一月初旬六才に四才の我兒鐡砲打に連れ行けと云ふ事度々なり。四、五丁西山に連れ行けば、鳥の捕獲は必ずれとも當地方は秋季降雨日多く爲に道路甚惡しく、年少の小供の同道困難なり。

幸二三日晴天打續道も宜しと思ひ、大急ぎにて歸宅す。短日なれども尚日没迄二十分あり。

故に兩兒を同道せしに獵犬スパニール山下の道路、余の足元より香を取り、山に上り行けり。小供連れなれば犬に随いて上る譯にゆかず、松林中の細道に停立し居れるに五、六十間隔たりたる山腹より雄雉子を追出せり。

幸なる哉十余間の頭上松林中を飛行す。

一射せしに枝葉に當りながら落ち來ると同時に四才の兒うまくいつたと發聲せり。分別なき小兒にも其愉快なりしなり。

其れより二三十歩澤に下りたるに雄雉子一羽飛出し、一射直に落下。引續ポイントす。

飛込むや否三羽出、内二羽を獲、尚歸路に向へ三四十歩雄雉子一羽を追出し枝茂れる杉にとまれり。夕刻の爲判然せず。

宜く見れば尾のみ少しく見え、体は此處ならんと一射せしに杉枝と共に落下し直に犬は持ち來れり。

獲物夕刻二十分に五羽。

 

十一月中旬西山に出獵、細道の左に香あり。間もなくセツター「ホイ」藪にてポイントせり。

飛込めば山鳥一羽左に出て初矢之を落すと同時に右へ二羽飛出せり。後矢にて其一羽を落す。此左右打分は同道せし隣家農夫の倅より賞詞を得たり。

其れより先方の山には雌雉子二羽を獲、次に前通り(即ちケンタイ沖)水田に出、鴨を打たんと歩行中、直江津停車場と余が住宅の中間なる處の細川淵小菅藪中より雄雉子二羽飛出せり。少しく遠く且鴨目的故九號彈慥の處を打たけれども落下せず。

同時に後方に三羽の雄雉子飛出せるを見、直に後に向て後矢を打たれ共、是亦落下せず。

其時附近に居りし獵好きなる知友の農夫走り來り、只今のは前の鳥を御打ちに成ましたか。

左様と云へば先の萱藪の中に落ちたと思ひますと大根片手に彼は藪内に行捜索すれども見當らず。犬の銜來らざるに人の目に見へぬは當然なり。

然とも犬は其藪より一羽を追出し一射負傷の儘五十間程先なる農夫二人、業中の處に落たり。知己の農夫は犬より先走り行拾ひ來れり。

其者に一羽遣し相分れ、其藪の後に廻りたるに田の中より犬は一羽の雄雉子を銜來れり。之は萱の中に落たと云ひしは其先田の中なりしなり。

尚百歩計りにして雄雉子一羽を獲、正午過歸宅せり。此日獲物雉子山鳥七羽。

十一月中の或日、西山に出獵中雄雉子一羽飛出し松林中故速射せしに百余間先方迄北に向て飛行するを見止たるも落下の様子なし(當地は十一月頃は右様の鳥を追ひ行より他の鳥を打つ方得策なり)。故に山を登りつゝ犬を呼び居ると暫して來るを見れば獲るとも思はぬ鳥を銜來れり。

余のセツターは非常に鼻が強き上北風なりし爲、落たる事分明せしによる。

次に其隣山腹森林中にて山上より山下に向て山鳥矢の如く飛下するを射撃せしに、經尺程の松樹に當り四五間も打返て落つ。

銜來るを受取れば、鳥は腸を飛出せり。右二例の如きは獵期中屢なり。

當地の雉子山鳥は時季により深山より次第に來り、次第に去るもの故土地に永住するものと違ひ捕獲により割合に減少せず、降雪多き年は十月下旬、山鳥既に里家附近に迄非常に出て來る。

昨秋は出て來るもの皆無の有様故、余は十月中に於て降雪少なき事を豫言せり。果して言の如し故に當獵期雉子山鳥捕獲總數僅に八十羽余。内山鳥は十羽内外にして且總數の三分二は十二月中の捕獲なり。

降雪多き年には十二月以後に於ても多數捕獲するの例なり。

尚記すべき事甚だ多けれども雉子獵は前記に止め、閑を得ば余の獵犬スパニールに對する初獵期の愉快及び余の銃獵進歩の履歴、獵期末歸り山鴫獵の愉快等を掲載するの考を持せり。

 

越後直江津 永野然「當期間雉子獵中の一節(明治39年)」より