生年月日 不明

犬種 不明

性別 不明

地域 岐阜縣

飼主 篠田一氏

 

(昭和元年)
 
京都雲ヶ畑獵區に於ける獲物。
岐阜の名手篠田一(中)、岩佐浩、安藤の三氏。二月十二日、十三日兩日の獲物、猪五頭、鹿五頭。
獵犬は有名の三公。
 
 
去二月十二、十三の兩日、尾野陸軍大將を筆頭として、大阪の河井新耳君、神戸の有坂忠平君、岐阜の岩佐浩君、大野佐左衛門君、安藤、清水、山岸、中村の諸氏及び斯く云ふ拙者、是れに板倉喜太郎君を加へ、一行總べて十一名。
四頭の獵犬を率ゐて洛北雲ヶ畑獵區に入獵仕り候。
第一日、第二日とも猪鹿六頭宛、都合十二頭の獵果を擧げ、就中河井氏の射止めたる猪は、廿四、五貫の逸物に有之。
大野氏と小生のとは十七、八貫に候ひき、第二日の第二回狩立には、實に三十餘頭の猪群を狩出し、其壮觀言語に絶し候が、此際七、八貫の仔猪三頭、獵犬の爲めに脆くも咬み殺されしは殊に痛快に感じ候。
今獵期は前後三回獵區へ入獵致し、鹿廿二頭、猪十頭を仕止め候へども、今年は例になく猪の多きは意外に感ずる處に候。
尤も鹿は獵區設定當時に比して、たしかに半數を減じたるかと觀測せられ候。
此獵區も矢張絶對に牝鹿の捕獲を禁ぜざれば、コゝ數年の後には著しき凋落を見るべくと懸念致され候。
岐阜縣池田山の鹿狩は、小生毎年の如く試み來り候處、其捕獲率と蕃殖率との權衡を失ふて、將に絶滅に傾かんとしたるを、縣當局に具陳して、十ヶ年間捕獲を禁止したる結果、辛うじて其随力を食ひ止め、禁獵後丁度四年を經たる今日、大に渠等(かれら)の繁殖を見たるは何より嬉しく存じ候。
先頃も其情況を視察すべく岩手獵區に入獵し、初めて鹿獵相試み候ところ、意外にも同獵區内のみにても、四、五十頭は棲息し居る事實を確かめ申し候。
此の分ならば禁獵滿期の頃は、府中、青墓、八幡、本郷、宮地、小島、春日の諸村に於ける鹿群は、十分舊觀に復して遥かに雲ヶ畑を遥かに凌ぐに至るべくと存じ候。
池田山の鹿は雲ヶ畑の其れと異りて形大きく、又角も甚だ立派のものに御座候。岩手獵區にては最初思惑違ひにて、山奥のみ捜索致し居り、夕刻に及んで漸やくそこと反對の方向に於て、渠等の群を發見致し候も、最早制規の時間を過ぎて、如何とも手の下しやうなかりしは遺憾に存知候。
何れ此の冬は會心の一獵相試み可申と樂しみ居り候、其節はまた改めて御通信申上ぐべく候。
怱々。