戦前の日本犬界も例によって男性主体だったワケですが、明治後期あたりから猟犬の訓練知識を学んだ女性ハンターが登場。

やがて愛犬団体へ参加する女性が増えるとともに、海外で専門知識を学んだブリーダーの徳田てる子氏や下川いね子氏、トリマーの鵜野福子氏といった専門家も現れました。

 

阿部幸市氏撮影(昭和15年)

 

霧立のぼる

アンベル號の救助訓練に参加した女優の霧立のぼる(昭和13年)


岡田嘉子

女優の岡田嘉子(ソ連への亡命前)と水谷八重子。水谷さんが連れているエアデールテリアは岡田さんの愛犬花子。


犬 

澤田退蔵博士令嬢。昭和初期の犬の訓練に参加していました。

 

訓練士については、女優の水谷八重子(初代)が舞台上でシェパード実演を披露するなど、こちらも戦前~戦中にかけて広がりをみせていきます。

今回は戦前の女性ハンドラー、玉置芳子さんの記録を幾つか取り上げましょう。

 

大連玉置義一氏夫人でまだうら若いのに、夫君の命で約二年の豫定で犬の研究に夫君と別れて昨夏西宮白山ケンネルに入所。
ミス・コツクスに就いてエアデール種の飼育・管理に實地に學んだが、二月中旬上京。
今度は帝犬赤羽養成所に入所して荒くれ男の中に伍してシエパードの飼育、訓練を眞劔にやつてゐる。近頃奇特な夫妻である。
「人の噂(昭和11年)」より

 

惡辣なる抗日テロの本拠、國際大都市天津の英、佛租界、百五十萬の生命を預かる天津特別市公署では、東京の警視廳ともいふべき警察局に護衛警備犬を飼育すべく、去る○月、天津○○にて○○○○部○○大佐、日本○○○本部(※検閲による伏字)隊長林野中佐、目黑少佐及び各○○警察局長以下主腦部が玉置義一氏の説明と玉置芳子訓練士指導のもとに訓練名犬と謳はれるアルゴス・フオム・ハウス・シラサギ號の各種訓練、應用訓練を見學檢討し、○○と協議の結果愈々試驗採用と決定し、五日當協会員所有の登録犬中より優秀犬のみ七頭、北支初めての警察犬として赴任したが、これ等はこゝ六ヶ月間に北支特有のさ行を爲すべく訓練される。
指導官焦科長、上原技正、指導員川島訓練士、取扱警官巡査部長以下七名の豫定である(昭和14年)

 

玉置さんの愛犬ダゴー號(昭和18年)

 

婦人の愛犬家は多い。

しかし訓練界に身を投じ、基礎的に犬を學び、訓練の要諦に觸れようとする婦人は、さうザラにあるものではない。

我が國稀れにみる特異の存在と云つてよいであらう。

岡山に生まれ、同地の高女を卒業すると同志社出身の玉置義一氏に嫁した。

夫君義一氏は今年廿九歳の青年社員で、目下故郷遠く大連の某社に勤務中。自分が親しく内地で研學の自由を持たないため、芳子夫人は夫君の命で昨秋内地へ犬の修業に戻つて來たと云ふのである。

 

芳子夫人はまだ廿四歳のうら若い女性で、紅顔、明眸 、シングル・カツトのよく似合ふ、女學生と間違へる程若々しい麗人である。

「よく、遥々ゐらつしやいましたね」

「えゝ、何にも知らないものですから、少しでも勉強したいと思ひまして」

「大連では駄目ですか」

「研究の點は内地が第一だと思ひますわ。實際に犬を役立てることは向ふの方が盛んですが、研究と云ふ點、例へば解剖やなんかといふことになると……」

犬學研究の熱に燃えて、澄んだ目は益々美しく輝いて來る。

 

芳子さんが内地留學を志し、内地を踏んだのが昨年のことで、直ちに兵庫縣西宮の城山ケンネルに入所。ミス・コツクスについてエアデール種の飼育管理を三ヶ月學んだ。

「訓練の方は兎に角として、まづ手始めに飼育の方面をやつたのです。まるつきり初心者ですから、コツクスさんにおすがりして、たゞ一生懸命學んだのです」

エアデール種が一段落つくと、大連の夫君から指令が來た。

「次はシエパードについて勉強せよ。君が熱心な研究結果の一日も早く大連に齎されんことを余は希望す。努力と精進!その勞苦は、必ずや光輝を以て酬はれん」

芳子夫人はこの指令に基づいて二月初旬上京。

赤羽に寓居を定めるや同月十日から帝犬赤羽訓練所に入所した。訓練研究生としてシエパード犬の勉強が始められた。

 

仕事は午前八時から―。

雨の日も風の日も、せつせと訓練所に通ひ、訓練見習士に交じつて犬の世話もすれば、獸醫室の有賀主任獸醫について病理解剖のメスも振ふ。

「何しろ仕事は、あれもこれも、といふ譯で夕方は七時頃、いえ、もつと遅くなることさへあるのです―」

「お疲れでせうね」

「それは、もう家へ歸るとグツタリ。けれど一と晩寝て夜が明けると、元氣を恢復して、家になどグズ〃してをられません」

レーザーの背瀬に乗馬ズボン、長靴を踏みしめて立つた姿は、凛として如何にも頼もしい。

「今、主としてなすつてゐる勉強は?」

「病犬についてゐます」

 

「何しろ婦人の身で、よく單身乗込んで來られたですね。何か他に動機でも?」

「さあ……」とニツコリ笑つて、あとは無言。

「抱いてゐらつしやる抱負を一つ」

「ほ、ほ」と笑つて「私なんか駄目なんですの。たゞこれによつて刺戟された人でも出ればよいと思つてゐます」

「おひとりで淋しくありませんか」

「別に……」

「夫君を想ふ……」

失禮な、とばかり笑殺されてしまふ。

 

「シエパード犬はエアデールに比べてどうですか」

「何にも知らないものですから……」

何れとも明言しないところ却々如才がない。

「ところで、修業はいつまで?」

「大體一年半のつもり」

「大連へお歸りになつてからの仕事は、御主人が計劃して下さるさうですが、あなたとしてのお考へは?」

「さあ、別に……」

―訓練所に咲く名花一輪……。

その端麗な容姿と、燃えるやうな熱意は、軍犬界の輝かしい存在である。

 

彼女の帝犬訓練所入りが傳はるや、早くも書を寄せて、訓練士を希望する一婦人が横濱から現はれた。

芳子夫人の修業は婦人愛犬家の間に、確かに一つの波紋を與へるものであらう。

とにかく男子でもなま齧りの犬學で、大家風を吹かす人の多い犬界で、若い婦人、殊に家庭を持つ人が、夫君と別れて犬學修業を志し、實地に荒くれ男と伍して犬のことを勉強しやうといふ熱意は尊敬してよい。

 

「朗らかな話題(昭和11年)」より