新型コロナとウクライナ侵攻では、話し合いが通用しないウィルスや話し合いが通用しない独裁者に対する無力さを痛感させられました。

戦争や災害や疫病といった「非常時」においては、いとも簡単に異常な集団心理や同調圧力が生まれます。マスクや消毒液ならまだしも、なぜかトイレットペーパーを必死に買い占めていた人々とか、何だったんですかねアレは?

感染症への不安が生んだ同調圧力、その挙国一致が防疫上は頼もしいというか不安というか、前の戦争から変化してねえなあ、みたいな。

私も大衆のひとりなので、ソレに共感する部分はあるのですが。他人事じゃねえなあ。

 

前の戦争において、「自粛」という形で銃後社会をコントロールしたのが国民精神総動員運動。

その同調圧力は犬にも向けられました。「役立たずのペットは毛皮になって国家に貢献しろ」という商工省・農林省の施策はマスコミを介して一般市民による犬への敵意を生み出し、膨大な数の犬猫が殺戮されました。

中でも甚大な被害を受けたのが日本犬。消滅の危機から復活しかけた日本犬は、戦禍によって再び大打撃を受けたのです。

 

幕末の開国を機に、舶来物が大好きな日本人は珍奇な洋犬に飛びつきます。

洋犬ブームの勢いはすさまじく、明治20年代の鉄道整備とともに全国へと波及。各地に定着していた和犬は、洋犬との交雑化によって姿を消してしまいました。

猟犬としての用途しかなかった和犬は、狩猟に特化したポインターやビーグルとの競合に敗れたのです。

昭和2年に秋田犬保存会が、翌年に日本犬保存会がそれぞれ設立されたことで、日本犬の復興活動はギリギリセーフで間に合いました。

 

同時期からはブルドッグにかわってシェパードが大流行(シェパードの繁殖は儲かる副業だったのです)。国内飼育頭数が増えたことで調達も容易になり、ドイツを教科書とする日本陸軍歩兵学校はシェパードを基幹戦力としました。

昭和6年の満州事変において、関東軍はシェパード主力の軍犬班を実戦投入。これを知った内地のシェパード界も親軍路線へ方針転換します。さらに陸軍省の後押しで民間ペットの調達窓口である社団法人帝国軍用犬協会が設立されると、国策としての「軍犬報国運動(シェパードの繁殖普及活動)」がスタートしました。

以降、「軍国日本を象徴する犬」はジャーマン・シェパードとなったのです。

何でドイツの牧羊犬が軍国日本の代表なのだ?と言われても、当の軍部が主力軍用適種犬に規定していたので仕方ありません。

 

同じく昭和6年には文部省が秋田犬を天然記念物指定。郷土愛を利用した日本犬保護運動を喚起するため、地域名を冠した在来犬たちが次々と天然記念物指定されていきました。

そして翌7年、あの忠犬ハチ公がデビューします。

忠犬ハチ公ブームの時期は陸軍省の軍犬報国運動と文部省の日本犬保存運動に重なっており、更に昭和10年度の小学校用教材として忠犬ハチ公物語『オンヲ忘レルナ(小学2年生用)』と軍犬武勇伝『犬のてがら(小学5年生用)』が掲載されました。

『オンヲ忘レルナ』の秋田犬と『犬のてがら』のシェパードを混同したのか「忠犬ハチ公はファシズムに利用された」とする主張もありますが、軍事利用されたシェパードは軍国主義、天然記念物たる秋田犬は国粋主義の範疇で評すべきでしょう。

話をハチ公教材に限定すると、修身(現代の道徳)の授業で用いられた上、当時の教育指導要領には「報恩の精神を教えるのが目的」と記してあります。それを単純な道徳教育とみるか、臣民根性を植え付けるための洗脳ととるかは人それぞれ。

 

昭和12年に日中戦争が勃発すると、日本犬界も戦時体制への迎合をはかりました。

「愛犬家は戦争に犬を奪われた被害者である」というのは負け戦になってからの話であり、勝った勝ったと浮かれていた開戦当初は犬界をあげて戦争に協力していたのです。

農林省の狩猟報国(野獣毛皮の献納運動)では猟犬を有する猟友会が、牧羊事業ではコリー団体がそれぞれ協力を表明。

中でも、軍事分野とは無関係なのに矢鱈と盛り上がっていたのが和犬界でした。

開戦に便乗しようと、日本犬保存会は帝国軍用犬協会と共同で日本犬軍用化研究をスタート。

他団体の和犬愛好家たちも「日本軍は国産の日本犬を採用しろ」などと無茶苦茶なクレームをねじ込み、「日本犬は武士道精神をもつ犬である」などと非科学的な主張を垂れ流しました。

戦時ペット界は日本テリア、ポインター、シェパードが三大勢力を占め、日本犬の規模は中堅クラスに過ぎません。少数派ゆえに国粋主義の時流を利用し、日本犬の存在を誇示したかったのでしょう。

国の宝である日本犬を戦争へ巻き込んだのは、愛犬家自身だったのです。

すべては消滅の危機にあった日本犬を復活させるための手段。おそらく戦争はすぐに終結し、軍国日本における「国策に協力した日本犬」としての地位も向上する筈でした。

しかし予想に反し、日中戦争は泥沼化。大陸の戦線は、膨大なヒトとモノとカネを呑み込み始めます。

自由経済体制は戦時経済体制へ移行し、銃後社会の空気は次第に重苦しくなっていきました。

 

昭和13年の広告より

 

上の画像にある「國民精神總動員」とは、第一次近衛内閣が閣議決定した戦時体制下の政策。簡単に説明すると、国家への滅私奉公を国民に強制するものでした。

戦時体制への迎合によって日本犬を護ろうとした愛犬家ですが、「贅沢は敵だ!」をスローガンに掲げる国民精神総動員運動は日本犬界そのものへ牙をむきます。

耐乏生活を強いられた一般市民は、鬱憤晴らしに「この非常時にペットを飼うのは贅沢である」という同調圧力を生み出してしまいました。

中央省庁による、犬を敵視する国策も強化されます。その旗振り役だったのが商工省でした。

昭和14年、軍需皮革の確保を急ぐ商工省は「皮革配給統制規則」を改正。三味線用の犬革(加工革)も国家の管理・配給対象としました。更に同省は犬皮(原料皮)への統制拡大を目論み、警察が管轄する駆除野犬の遺骸まで狙い始めます。

昭和16年には戦時食糧難を予測した農林省が犬革統制に追随。「狩猟報国に貢献する猟犬は保護し、無駄飯を食むペットは毛皮にすべきである」と主張しました。

昭和18年に商工省が軍需省へ改編されると、犬革統制の圧力はますます強まります。

太平洋戦争以降、愛犬家の戦地出征や飼料不足によって畜犬団体は次々と活動を休止。気づいた時には既に遅く、愛犬家は組織的防衛手段を失っていました。

物資不足が深刻化した昭和19年末、軍需省と厚生省は全国の知事へ「軍用犬、警察犬、猟犬、天然記念物以外のペット」を毛皮として献納するよう通達。それに従った全国の都道府県市町村では、夥しい数の犬猫が殺戮されました。

このルールは全国で統一されておらず、中には保護対象の軍用犬や猟犬まで毛皮にしてしまった県もありました。

天然記念物である日本犬は戦禍の及ばない山間部へ疎開させられましたが、多くは飼育放棄されるか劣悪な環境で病死していきます。

 

戦争が終わった時、生き残った日本犬はごく僅か。更に衛生状態の悪化でジステンパーや狂犬病が猛威をふるい、戦後復興期に犠牲となった犬も少なくありません。

日本犬保存会が早期に活動を再開できたのは幸運であり、残存していた個体群をもとに日本犬は再復興したのです。

 

同じ頃、復興のドサクサに紛れて戦時の記憶抹消が図られました。

戦時体制に迎合した黒歴史は、近代犬界が崩壊したことによってウヤムヤにされます。主犯である軍部も消滅してしまいました。

幸にも、戦時を総括する主体が消えてしまったのです。

犬革の統制をはかった政治家や役人も、それに同調して「畜犬を撲滅せよ」と煽ったマスコミも、扇動されて愛犬家を非国民と罵った一般市民も、軍犬報国を叫んだ愛犬家も、カワイソウな被害者へ変身しました。

 

特に何かしらの教訓を垂れたいワケではなく、今回は「こんな歴史がありました」というお話しです。

新型コロナ騒動で再び同調圧力を生み出したワレワレ日本人は、たとえば狂犬病が再侵入した場合に何をやらかすのでしょうか?もしかしたら「この非常時にペットを飼う奴は非国民」という世界が復活するかもしれませんね。