私が犬の小説を書くなら、勞役の犬の事を書いて見たい。さうしたものが見付からないからだ。
犬の小説として、アンドレエフの「殘された犬」よりも有名な「フランダースの犬」ウイダ女史の作である。しかし、少年ネルロに對して、パトラツシユは、吹雪の夜死をともにしたといふ事で、勞役の犬ではない。メーテルリンクの「群盲」の中の犬もさうだ。
犬の藝術作品で、私の讀書で知つてるところで、一番古いのはゲーテの作「フアウスト」の中で、メフイストの化けた犬(勿論翻譯で知つたのだが)、なほ、人にきくところによると、イギリスの詩人バイロンに、ニユーフアウンドランド種の犬禮讃の詩があるとの事だ。どんな詩か、翻譯ででも讀んで見たい。
ツルゲニエフの、トレソルといふ犬が、子を護る雀の母性愛にうたれて、後退りをしたといふ小品や、ジヤツク・ロンドンの「野生の呼聲(堺枯川譯)」「ホワイトフアング」や、いろいろ、外國にあるいい犬の小説の事を考へると、日本文學にも、せめて、一作でもさうしたものがほしい。
私の才能が、さうした収穫がのぞめないなら、人がしてくれてもいい。とにかく、犬の藝術作品を熱望せずにはゐられない。
もつとも、書かざる作品は、つまり材料は、前にあげたブリアン號の事だの、次の話だの、今度の事變に附随してゐる。
その話といふのは、皇軍慰問隊の一人、あるレコードのかゝりの人が、ソ滿國境の○○へ行つた時の事。
慰問隊接待係の○○中尉が演奏會の夜、どうしても所用のために來られなかつた。しかし、その代りにと、從卒が、一匹のシエパードをつれこんな傳言をした。
「中尉殿は、せめて、今夜の演奏を、愛犬になりと聞かせてやつてくれ、との事でありました。」
かねがね、犬が、人間同様、音樂を喜び、ラヂオや、レコードをきいてゐる外國寫眞を畫報なんかで知らされてゐる私は、この戰地エピソードを讀むと、レコードをきいてる犬の顔を考へて見た。
音樂を聞いてゐる外國の犬の寫眞が四枚ある。
一枚は、北極探検の勇者マクミラン船長とともに無電音樂にきき入る純エスキモ犬。二つの耳をツンと立て、眼をぢつと据ゑてゐる。
もう一枚のは、乙女のひくヴアヰイオリンを青年の腕に、後から白い前脚をかけ、これは耳を前にひらくため、後へ引いてゐる。とにかく耳と、耳の上の方に、心を集中させてゐる顔附だ。
北滿○○の演奏會で、○○中尉の愛犬の、レコードにきき入つた犬の姿もこんな風だらうと想像される。兵とともにレコードに夢中になつてる犬は繪にしてよく、犬の小説は、こんな事を一つのシーンとして展開するのだ。
徳安に殘された犬、彈丸運びの犬、戰死したブリアン號、レコードをきく犬。これらの上に想ひをはせて、戰場の犬が、この頃の私の心の一角を占めてゐる。

 

『愛犬随筆・戰爭と犬(昭和13年)』より