明治38年に南樺太が日本領になって以降、内地には多数のカラフト犬が移入されました。同時に犬橇文化も持ち込まれましたが、日本においては娯楽としての扱いでした。

荷役用途としてのカラフト犬は、北海道や東北沿岸部で漁獲物の運搬に従事しています。

かなりの頭数が飼われていたものの、樺太から犬を持ち出す行為は原則禁止でした。意外ですねえ。

公に遮断されていたことでカラフト犬の研究も進まず、長毛・短毛・大型・小型と多様性に富んでいた彼らは急速に消滅。樺太がロシア領となった戦後は、「カラフト犬は単一品種」と勘違いされたまま日本から姿を消してしまいました。

 

 

樺太は植民地で拓務省の管轄に属し、拓務省の規則に依つて樺太の動植物は、檢疫を受けなければ他へ移出(※日本領内の移動なので輸出ではなく移出)することが出來ないことになつて居るのであります。

それで檢疫を受ければよいのでありますが、現在樺太に檢疫所は儲けられて居ませんので、輸送の手續が立ちません。

つまり移出禁止の状態です。

公獸醫の健康證明書を添へて願出ても鐵道では受け付けて呉れません。

 

内地から樺太へは獸類でも鳥類でも、どしどし送られて來ますが、樺太からは送られないと云ふ一方的な施設です。

 

樺太には元來狂犬病始め犬の恐ろしい疫病は無いのです。テンパーの如きも當地方には五、六年前までは無くて、仔犬を育てるに何の心配もありませんでしたが、シエパードなどの新流行犬が移入せられるやうになつてから傳播しました。

以上のやうな譯で、外地の惡疫を内地へ入れまいとして定められた政府の制度は、樺太の犬に關する限り反對の現象を呈して居るのであります。

 

樺太犬は多量に内地へ迎へられると云ふ傾向があるのであれば、地方經濟の何とかと運動の方法もあると思ひますけれども、樺太の飼育者は、樺太犬を内地へ移入して果して健康を維持し得るや、又使役の用途ありやを懸念するので、誰れも移出に就いて積極的態度に出ないで居るやうに見受けられます。

 

以上のような次第でありまして、樺太犬の内地移入の途は今の處開かれてをりませんから、もし樺太犬御希望の方が居られましても、直接移入はお諦めをお勸めするより外ありません。

 

しかし樺太犬は内地に移入せらえて居る數も相當あるやうに思はれますが、其れ等の多くは購入者が直接樺太に渡られ、汽船を利用して持つて行かれたものと思ひます。

汽船を利用すると無難のやうです。

今一つ御参考までに申上げます。汽船や發動機船を利用して北海道には多數の樺太犬は移入されて居ります。殊に小樽市中では五十集屋衆は荷車の先曳をさせて随分使用して居ります。

先年私が旅行した時尋ねましたら、百頭位はあるだらうと云ふことでした。今は尚多くなつて居るでせう。

 

これで樺太犬御希望のお方は小樽札幌あたりをお探しになるのも一方法と思ひます。但し優秀犬の保證は致し兼ねますが、體軀大きく毛が長く、誰が見ても、今日賣出しのあの有名なアイヌ犬とは一見區別が付きます。

 

尚、樺太の短毛種大型、同小型、長毛種等の説明に就きましては、日本犬保存會理事秦一郎氏の詳細なる記述が連載されてありますから、疑問の方は御閲讀下さる様御願ひします。

樺太犬の標準は未だ設定されて居りません。樺太廳中央試驗場では近い内に、被毛の顕微鏡檢査、血液檢査、其他科學的檢査に依つて樺太犬の標準を設定するやに聞いて居ります。

樺太・川村秀彌