惟ふに本事變勃發以來將に五年、皇軍の精鋭は既に大陸の過般を席巻して今や大東亜共榮圏の確立に向つて大進軍を續けて居ります。
而して其前途は尚遼遠であると謂はれるのでありますが、此の果敢なる進軍に方り、我が敬愛すべき將兵の爲忠實なる戰友ともなり、從順なる伴侶ともなり愛兒ともなり、大なる慰籍物ともなりつゝ彼等と共に最後まで、誠實なる活躍を続けて行くでありませう處の、此の可憐なる小戰士の殆んど全部が我々軍用犬協會々員の手によりて蕃殖せられ、飼育せられ、訓練せられ、愛撫せられ應召せしめられたものでありますから、此の小戰士の活躍振りが戰闘の結果に齎らす大小の影響はまた吾等がその一半の責任者であると云はなければならないのであります。
元來至誠を以て軍犬報國をこれ念とし敢て私利私慾に堕するが如き邪意を有せざる本協會々員に取りまして、此の事實はその許されると許されざるとに拘らず、至上の名誉であると共に、軍用犬に關する限りに於て、本軍用犬協會の負荷すべき重大なる責務であるとして本協會の目的貫遂に精進し、軍をして愈々益々軍用犬に信倚する所を大ならしめなければならないと考へる次第であります。
希くは會員諸君、東亜新秩序建設の天業に参加すべき吾等の小戰士の稟性の陶冶に、體質の改善に、飼育の簡易化に、訓練の適正に就て充分なる精査と研究を重ねて、以て優良犬育成の資となし、本記念展覧會開催の目的を達成するに遺憾なからん事を切望します。

 

陸軍中将 香月清司(昭和16年)

 
いくら「私利私欲に堕するが如き邪意を有せざる」飼主だったとしても、軍に愛犬を売る以上は対価を受け取る権利があります。そしてこの年から、軍によるシェパードの買い取り価格が引き上げられました。
……イロイロあったのでしょう。


帝國ノ犬達-ガスマスク

昭和11年6月27日、東京市防空宣傳行進に参加した帝国軍用犬協会の「義勇軍犬隊」。あくまで民間のボランティア団体であり、画像の犬も民間のペットです。
「侵入した敵機が毒ガス弾を投下した」という想定で、ご主人もワンコもガスマスクを着用(この防毒面はメーカーからのレンタル品なので、演習後は返却しました)。
 
【防空演習と在郷軍用犬】
 

昭和12年、大陸での軍事衝突は本格的な日中戦争へ移行。その前後から国内各地で始まった防空演習にも「銃後の犬」が動員されています。
軍の演習に協力したのはKV(帝国軍用犬協会)とJSV(日本シェパード犬協会)が編成していた「義勇軍犬隊」でした。同隊は軍部の活動を支援するボランティア組織で、民間人とそのペットが参加しています。

義勇軍犬隊が運用するのは、空襲による電話線断絶や毒ガス投下、スパイの妨害工作に対処する傳令犬や警戒犬。そして爆弾で倒壊した家屋から被災者を探し出すレスキュー犬といった、高度な訓練を受けた在郷軍用犬たちでした。
当時の民間犬界には、訓練を受けた多数の犬達が「予備兵力」として存在していたのです。

救助犬
昭和10年の近畿防空演習にて、空襲の被害を受けた家屋(という想定)へ梯子で突入する帝国軍用犬協会義勇軍犬隊の民間レスキュー犬。包帯などを収納する衛生嚢を装着しています。

 

レスキュー犬は戦前の日本でも大活躍。当時の山岳遭難事故でも、訓練を受けた在郷軍用犬が捜索にあたっていました。お世辞抜きで、我が国の負傷兵捜索犬が世界有数のレベルに達していたのは事実。
しかし、本土決戦に備えていたレスキュー犬たちは、米軍の戦略爆撃に太刀打ちすることすらできませんでした。

帝國ノ犬達-軍犬隊
関西での防空演習の際、大阪朝日新聞社前に展開するKV会員と義勇軍犬隊。

これら民間組織が、後に国防犬隊へ繋がるのです(昭和10年)


昭和11年、帝国軍用犬協会京都支部は民間義勇軍犬隊を創設。これに大阪支部も続きます。
軍用犬の働きをPRするため、関西地方では専門の訓練所まで設立していました。
 

「軍犬報國の大旆を眞向に振りかざして一歩一歩確實な歩調を辿つてゐる京都支部では、軍用犬飼育は一朝有事の際、直ちに軍用に供し得べきを本旨とし、鑑賞は第二義ならざるべからずとて、今回第十六師團の後援のもとに、會員を糾合、第十六師團義勇軍犬隊を創設すべく準備中である。
創立の上は隊員服を制定し、常に軍部と聯絡を保ち、協會の目的達成を期する事となつた。尚ほ名譽顧問に第十師團長を、顧問に同参謀長と獣醫部長を推す豫定である。團の新築軍犬舎の見學を爲して午後四時散會した。

『義勇軍犬隊生る 全國で初の試み(昭和11年)』より

帝國ノ犬達-阪神防空演習
昭和12年7月26日より五日間、阪神防空演習にはKV大阪支部から多数の会員及び愛犬が参加しました。
 
大阪支部第一小隊訓練所開設さる
軍犬隊第一小隊は以前小隊長佐野儀太郎小隊長として統率してゐた東淀川區十三方面の會員を以て組織せられてゐたものであるが、佐野氏支部嘱託となつた關係 上二ヶ小隊に分れ、一つは第三小隊を引継ぎ(横山隊)、一つは石川泰治氏第一小隊長として此の小隊を統制してゐたものである。

去る十二月四日、時局柄隊員の士氣を引立て、益々軍犬報國に邁進する意味に於て訓練所開設式を擧行された。稀に見る快晴で小春日和を思はせ、広い假訓練所(式場)には早朝から、其の辺のフアンが詰めかけてゐる。
師團側より塚越獸醫部長、勝部獸醫部々員、安井獸醫准尉、騎兵第四聯隊付伊藤少尉参列せられ、又協會側からは小川幹事、岩本幹事、吉田幹事、龍門書記出席、午前十時、式始まる。
型の如く司會者の挨拶ありて、國旗掲揚、宮城遥拝、君が代合唱、次いで出征將兵に對し一分間の黙祈を捧げ、終つて石川小隊長の挨拶ありて、佐野氏の指揮に よる基本訓練の公開、尚、今事變に於て直ちに使役し得る如き傳令訓練、警戒勤務、其他應用訓練等の公開ありて、多數觀客を感激せしめた。斯して意義深い開設式も午後三時司會者の挨拶、國旗降納で終了した。
尚當日は警察署關係の方も多數招待ありて観覧せられてゐた。第一小隊員は次の通り二十六名で、隊長は石川泰治氏、隊員一同和氣藹々裡に一意軍用犬の訓練に精進してゐる(隊員名簿省略・昭和13年)

 
帝國ノ犬達-軍犬隊
関西の防空演習にて、「毒ガス弾が投下された」という状況を想定して訓練をおこなう義勇軍犬隊。
 
【KVとJSVの歩み寄り】
 
義勇軍犬隊に参加していたのは帝国軍用犬協会だけではありません。当時の日本には、もう一つの大規模なシェパード登録団体が存在していました。
KVがNSC(日本シェパード倶楽部)を強制合併した昭和7年、その横暴に憤った旧NSCメンバーは新たにNSK(日本シェパード犬研究会)を設立。更にJSV(日本シェパード犬協会)として社団法人化します。
KVとJSVは戦時を通じて激しく対立し、戦後の日本犬界まで禍根を残すこととなりました。
両者の和解や合併を促す動きもあったのですが、JSVは皇族出身の筑波藤麿を会長に据えて激しく抵抗。筑波会長もお飾りの宮様ではなく、防波堤となって陸軍の圧力からJSVを護り抜きます。
 
意外な事に、いがみ合っていた両者が歩み寄りを見せる場面も幾つかありました。派閥抗争に明け暮れていたKVソウル支部に対し、愛想を尽かした陸軍からの依頼で幹部更迭と組織再建をJSVが請け負ったケース。
もうひとつが義勇軍犬隊です。
 
中央犬界では合同問題が持上つたり、色々悶着を起したりして一向埒が明かないで居る時、こゝ京都の地では義勇軍犬班の組織で中央の軋轢を尻眼にKV・JSV兩支部が事實の上に於て完全に手を握つた。
元來京都はJSVの金城湯池といはれて居るだけに兩支部の反目も相當顕著なものがあつたが、先般行はれたKVの役員改選、JSVが社團法人となつて委員の擴張、JSV支部事務所移轉などで排他的氣分が薄らぎ、從來一方の役員になると他方では其會員であるものでも之を嫌ふ傾があつたのが、先般の改選で双方の役員を兼ねるものが出來、それ等幹部の氣持が一般會員に波及して兩者の融和が比節著しくなつた矢先へ今般義勇軍犬班の組織は愈々融和に拍車を掛け、殊に第一回の顔合せとも云ふべき別記陸軍記念日の演習参加に兩メンバーの顔が揃ひ相當仲のいゝところを見せたのであつた。
KVとJSVが全國に魁けて京都に於て先づ握手した契機となつた義勇軍犬班とはどんなものかと云ふと、それは其の組織に先だつて兩者有志より出したそのサーキユラーが雄辯に物語つて居る。
『此度三月十日陸軍記念日を卜しまして京都義勇軍犬班と云ふものを京都在住の愛犬家に依て組織したと第十六師團提案でJSV京都支部、KV京都支部、京都府警察犬協會の各有志者が集つて此義勇軍犬班を賛助したいと思ひます。之が出來上りましたら軍部民間合同で總ての仕事をと存じます。
かねて市内を自轉車にて犬を牽行することにも特別な方法が出來ると思ひます(現在京都に於て自轉車にて犬を牽行する際、可なり八釜敷注意する警官がある)、其他萬事好都合と存じます。奮つて御参加下さい』
要するに此義勇軍犬班なるものはオール京都軍用適種犬飼育者の党派を超越した團躰であり、今後これを會費を徴収しない會員組織として地域的に區分して役員を定め完全なる連絡を保ち、軍部その他に行はれる行事に何時にても参加出來るやう結成される筈である。
 
ドツグニユース『KV、JSVの融和(昭和11年)』より
 
敵国の空襲など思いもよらなかった緒戦の段階で、軍犬隊の演習内容はナカナカ勇ましいものがありました。
 
日露戰役後星霜こゝに三十一年、戰捷を回顧し躍進ニツポンを壽ぐ陸軍記念日は、非常時の聲と共に全國津々浦々に至る迄軍國色に塗り上げた。
この日京都に於ては軍隊、青學の聯合演習が行はれ、今般新に組織された義勇軍犬班が加はり、傳令、赤十字勤務に勇壮果敢なる能力を發揮した。
即ち午前九時に三十數頭を引連れた軍犬班は出町柳橋附近に集合、早暁からの牡丹雪は小止みなく降るほどに積むほどに洛北の戰線は白一色、南軍四大隊に参加した軍犬班は傳令勤務に從事しつゝ飛雪を蹴つて一路北軍への進軍、上加茂、松ケ崎の線に南北兩軍衝突。喊聲を呼ぶ白兵戰に移り、將に肉彈戰に入らんとして休戰ラツパは響き渡つた。
時午前十一時。同十一時半より府立一中前、北大路線北側に整列、河村留守司令官、鈴木知事、淺山市長の觀閲を受けて、分列式に参加、午後一時記念撮影して解散した。
 
しかし、太平洋戦争への突入から戦局の悪化へと至り、遂には本土上空へ米軍機が現れます。

軍犬隊が想定していたのは、「防空網を突破してきた少数の敵機による、限定的な空襲下での活動」というもの。ドーリットル爆撃隊レベルの空襲ならば、瓦礫に埋もれた被災者の捜索や断絶した通信網の支援などに貢献できたことでしょう。
しかし、米軍による本土空襲はそのような甘い想定を上回るものでした。沖縄の地上戦ですら、義勇軍犬隊が活躍できる余地などなかったのです。
 

KV大阪支部義勇軍犬班第6小隊編成式(昭和13年1月21日、天王寺区北河堀町での記念撮影)

 

【幻の国防犬隊】
 

サイパン陥落、フィリピンへの米軍上陸と戦況は急速に悪化。それに続いて沖縄や台湾、最後は本土が侵攻目標となるのは誰の目にも明らかでした。
軍需皮革確保のための皮革統制は一般のペットにも及び、多数の犬猫が殺戮されました。当時の八王子警察署が発行したペット献納回覧には、こう書いてあります。
「私達は 勝つために 犬の特別攻撃隊を作つて 敵に体當りさせて立派な 忠犬にしてやりませう」
……彼らは敵に体当りどころか、毛皮にされてしまったんですけどね。
そもそも無訓練のペットを戦線に配備したところで、何の役にも立ちません。

 
では、「訓練されたペット」はどうだったのでしょう?たとえば大日本軍用鳩協会では、昭和17年頃から民間義勇部隊である「國防鳩隊」を編成。民間人メンバーは陸軍の指導を受けながら防空訓練に励んでいました。
 
国防鳩隊員は、自作の鳩車で移動鳩訓練にあたっていました(昭和17年9月撮影)
 
軍用鳩協会に続き、帝国軍用犬協会が「犬の特別攻撃隊」を編成したのは昭和20年のこと。

民間の飼主と飼犬で構成される郷土防衛部隊、それが「国防犬隊」でした。
戦争末期の昭和19年11月、KVは会員に対し「郷土防衛のため国防犬隊を編成し、軍に協力せよ」と呼びかけます。愛犬を軍へ供出する側だった飼主たちは、いつの間にか自分自身が義勇部隊の一員となっていました。

 
軍部は、民間のボランティア組織やペットも総動員した本土決戦を計画していたのです。

残された僅かな資料をもとに、帝国軍用犬協会国防犬隊の姿を記しましょう。

犬

 

會員に訴ふ

帝國軍用犬協會副會長 東京支部長
匝瑳胤次

過般の議會再開日に於ける小磯首相の決意闡明に徴しても明かなる如く、今や皇國は危急存亡の重大岐路に立つてゐるのである。即ち首相の言に曰く「―戰爭の短期終結を焦慮する敵は、或は近き將來に於て直路我が本土を目指して盲進し來るが如き事態の發生をも當然覺悟しておかねばならぬ。すなはち本土戰場を覺悟せねばならぬ。
もしそれ皇土の戰場化するあらば敵をしてまた起つ能はざらしむるの神機は正にこの秋に存するものと信ずる。かゝる熾烈な戰局下、今こそ吾等帝國軍用犬協會々員の頭上に、その本來の大使命たる軍犬報國の實を擧ぐべき神機は正に到來せりと私は信ずる。
會員諸氏よ!打つて一丸となり、鐵の決意と炎の愛國心を以て總決起せねばならぬ。今更云ふまでもなく吾等協會々員の使命たるや、「軍犬資源の培養に努めて軍の要望に應へること」「軍犬を率ひて直接國土防衛上軍に協力すること」の二つに盡きる。
この後者の大使命こそ、既に敵機の連襲によつて國土も亦戰場化する今日、その責務の重大性はもはや言を贅するまでもあるまい。すなはち今般本號別掲の如く、かねての本協會々員の熱望を陸軍當局の指導下に實現―國防犬隊の組織編成を決定して、本隊の規定概要を明かにした次第である。
總則第三條の―本隊は非常事態に際し軍の行ふ國土防衛に直接協力し、軍犬報國の實を擧ぐるを目的とす。換言すれば、吾等會員の平素念願する所の使命はこゝに具體的にその御奉公の道が拓けたわけである。
自己飼育の愛犬が、軍の要望を充たして重要なる軍務に服するを見て、誰か感奮興起せぬものがあらうぞ。今日以後の會員諸氏の双肩にかゝるもの、頗る重且大なりと云はねばならない。
と同時に、優秀なる軍犬の需給源たる本協會の使命も亦、一層加重せられ、軍の需要に對しては絶對、充分にこれを確保せねばならぬ。それが爲め、眼前の緊要事たる飼糧その他の問題について、協會としては目下鋭意それが解決策に邁進努力しつゝあること言を俟たぬ。
今や帝國は、皇土を中核とする決戰段階に突入し、帝國軍用犬協會國防犬隊の勇戰力闘すべき日は、刻々に迫りつゝある。
會員諸氏よ!吾等かねての熱望はこゝに實現された。
光栄ある國防犬隊々員として、諸氏は益々各自の總力を發揮して、それを勝利の一點に凝集せねばならぬ。すなはち飼育に訓練にその他萬全の用意をつくして、以て斷じて我が國體と我が國土をを護り抜かん絶對不敗の態勢を整ふべきである。私は會員諸氏の健闘と精進を切に望んで已まぬ。
最後に本協會東京支部に於ても、本號所載の國防犬隊規定概要とは別個にその細則を最後的に決定して、近く發表する運びであることを付記しておく(三月十七日記)

 

勇ましいというべきか悲壮というべきか。超巨大台風襲来に備えて雨合羽を用意するレベルの対抗策ですけど。
小規模だった義勇軍犬隊と比べ、国防犬隊では大隊クラスにまで規模を拡大し、軍との連携も強化されています。参加は志願制であり、除隊申請も認められていたところは民間団体の限界でしょう。
単なるボランティア団体だった義勇軍犬隊と違い、国防犬隊は国民義勇戦闘隊と似たような準軍事組織として軍の命令下で行動しました。
加入・脱退は任意だったものの、イヌの手も借りたいほど逼迫した状況下でソレが通用したかどうかは不明。
以下、国防犬隊の規定を記します。

 

社團法人帝國軍用犬協會 國防犬隊規定

第一章 總則
第一條
本隊は社團法人帝國軍用犬協會國防犬隊と称す。
第二條
本規定に於て、社團法人帝國軍用犬協會を協會と略称す。
第三條
本隊は非常事態に際し軍の行ふ國土防衛に直接協力し、軍犬報國の實を擧ぐるを目的とす。

第二章 組織
第四條
本隊は協會々員中の志願者にして滿十六歳以上の男子及び犬を以て組織し、本部を東京都に置き、支部を國内各地に置く。

第三章 編成
第五條
其ノ一 常時編成
(一)協會國防犬隊本部
本部隊長一名 協會長を以てす。
本部副隊長二名 協會副會長を以てす。
本部隊付五名 協會専務理事及び常任監事を以てす。
本部隊書記若干名 協會本部書記を以てす。
(ニ)協會國防犬隊支部
支部隊長一名 協會支部長を以てす。
支部副隊長二名 協會副支部長を以てす。
支部隊付若干名 協會本部専務理事及び常任監事を以てす。
本部隊書記若干名 協會支部書記を以てす。

隊員
數に依り大隊、中隊、小隊、分隊等を設け、各隊に長一名を置き、各隊を概ね左の如く編成するものとする。
一名一犬とし、五名を以て一分隊
ニ分隊を以て一小隊
ニ小隊を以て一中隊
ニ中隊を以て一大隊とす。

其ノニ 出動編成
支部國防犬隊の所管師團司令部の指示に依り、之に適應する如く臨時に編成するものとする。

第四章 指揮系統及び任務
第六條
支部隊長は本部隊長の指揮を受くるの外、出勤服務に關しては所管師團司令部の指示に從ふものとす。
第七條
國防犬隊は所管師團司令部の指示に依り出動し、概ね左の任務に服するものとす。
(一)主要軍事施設資源及び要地等の警戒。

(ニ)傳令勤務の補助。


第五章 隊長任免任期
第八條
大隊長以下各隊長の任免は支部隊長是を爲すものとす。
第九條
大隊長以下各隊長の任期は一ヶ年とし、重任を妨げず。

第六章 隊長職責
第十條
本部隊長は國防犬隊を指揮し、各支部に對し國土防衛協力に必要なる訓練管理の指導に任ずるものとす。
第十一條
支部隊長は本部隊長の指揮を受け、部下支部の編成訓練管理の責に任じ、本部隊長及び所管師團長に随時情況を報告し、當該師團長の要求に即應し得るの準備を得るものとす。
第十二條
支部隊長所管師團司令部より出動の指示を受けたる時は、師團指示及之に對し採りたる處置の概要を直ちに本部隊長に報告するものとす。出動を解除されたる時は、出動間の情況を様式第三により出動詳報として解除後速に報告するものとす。

第七章 隊員の資格
第十三條
隊員は協會々員たる満十六歳以上の男子に限るものとす。
第十四條
隊員は協會登録犬を自ら使役し得るものに限るものとす。
第十五條
左の各号に當該するものは隊員たる事を得ざるものとす。
(一)精神病者
(ニ)心神喪失者
(三)聾唖者及び盲者

第八章 入隊及除隊
第十六條
隊員たらんとするものは様式第一に依る志願書を隊長宛提出するものとす。
第十七條
國防犬隊を除隊せんとするときは、豫め様式第二に依り所属隊長を経て支部隊長に願出をなすものとす。

第九章 隊員の身分取扱及給与
第十八條
國防犬隊本部及び同支部所要人員は、陸軍又は支部所管師團司令部臨時嘱託(無給)とす。
第十九條
隊員は昭和十六年九月三日陸支普第一九五○号「勤労奉仕ヲ行フ団體(者)ノ取扱要領ニ關スル件」に依て取扱はれ、非常線通過其の他活動容易なる如く便宜を與へられるものとす。
第二十條
隊員の出動服務時に於ける給與は、昭和十六年十一月四日陸支普第二五三○号「部外團體(者)ヲ防衛ニ協力セシメタル場合ノ給與ニ對スル件」及び昭和十七年 三月二十五日陸亜普一六三号「國民勤労報國協力令ニ依リ陸軍ニ協力スルモノノ給與ニ關スル件」に依て取扱はるるものとす。
第二十一條
出勤中の犬に對しては昭和十九年七月二十九日陸亜普第一○一六号「軍犬軍鳩ニ係ル飼糧定量ニ関スル件」に依り飼糧を官給さるるものとし、已むを得ざる場合 は一頭一日一圓を基準とし、代金を以て支給せらるる事あるべく又其の損耗に對しては詮議の上軍に於て補償せれるることあるものとす。
第二十二條
國防犬隊に必要なる所要施設資材は軍に於て準備さし、之が貸與を受け得るものとす。

第十章 隊員服装
第二十三條
隊員服装は各自の軍服又は國民服(或は之に準ずる活動に便なるもの)を着用し、左腕に「國防犬隊」と墨色せる白布を附するものとす。

第十一章 會計
第二十四條
會防犬隊本部の経常費は協會の助成金によるものとす。
第二十五條
國防犬隊支部の經常費は協會の助成金並に一般寄付金を以て充するものとす。
第二十六條
本部の會計年度は毎年四月一日に始り翌年三月三十一日に終るものとす。

第十二章 付記
第二十八條
本規定に定められたる事項に就ては本部に在りては本部隊長之を規定し、支部に就ては支部隊長より本部隊長の承認を受け之を規定するものとす。
第二十九條
國防犬隊支部は左の通り備へ付たるものとす。
一、隊員名簿
ニ、編成表
三、年度訓練計畫表
四、會計簿
五、出動詳報

様式第一 入隊志願書

犬

様式第ニ 除隊願書

犬

様式第三 出動詳報
一、出動に關する師團司令部の指示
ニ、出動に際し採りたる支部隊長の處置
三、出動間の情況(通常日時を逐ひて記載す)
四、出動解除に關する師團司令部の指示
五、出動解除に際し、支部隊長の採りたる處置
六、將來の参考となるべき事項
七、人犬死傷病の情況
八、各人犬、各隊の功績の情況

 
これが通知された直後、社団法人帝国軍用犬協会は活動を停止します。その為、国防犬隊が実際に編成されたかどうかは疑問でした。
同時期にはペット毛皮献納運動がスタートし、日本犬界自体が崩壊していますし。

本土防衛に民間のペットを動員しながら、いっぽうでは毛皮目的でペットを殺戮していく。集団ヒステリーとしか呼べない戦時下の混乱期に、国防犬隊など編成する余裕があったのでしょうか?
 

そう思いながら記録を調べていると、ある新聞記事が目に止まりました。


帝國ノ犬達-国防犬隊

戦争末期の混乱の中、幻のまま消えたと思っていた国防犬隊。
実際の編成へ向けた動きがあったとは……。
熊本県だけではなく、石川県でも国防犬隊が編成されていた記録を見つけました。こちらは義勇軍犬隊と同じくJSV会員も参加しています。

 

其後皆々様如何ですか。すつかり變つた立場に立つて初めてお便り致します。愚痴や繰言は一切止めて新しい日本人道、日本の再建に只管進むだけと確信して私は相變ずがんばつてゐます。
其後金澤JSV松本支部長は應召され、谷氏(今では村氏)は早く出征され、云はば金澤のJSV残党八名で組織してゐました八犬會(松本、村、相坂、越澤、友田、大友、小森、加藤)は其後度々會合し、大に時局を論じ哲學を語り夜を更かしたのでありますが、犬の方はみんな無くなつて(飼料難が甚しいですから)最後に小森氏が一頭(シヤルクの仔)、私が一頭(チンチス×クロチラの仔)を死守して居たわけです。

五月、當地の國防犬隊を組織して小森氏と共に奮闘、隊員十五名の爲或程度まで配給も得てホツとしたのですが、之も今では當然解散。一層困難な状態になつてゐます。
シヤルクも大分やせましたしビルク(タカイシ)も名もない百姓の手に渡つたと云ふ事です。當地へ今春歸つて來られました北海道の松下小三郎氏がネルダイヤサカ(ジーガー展で四席、支部展で優勝した犬)を持つて居りましたが、之も飼育難で困つて居られましたので私がいたゞいて苦心を重ねて飼育してゐます。骨と皮にやせてゐたのでしたが、私の方へ來て今日で廿日になりますが、少しコンデイシヨンをとりかへしました。あと一ヶ月もたてば元のSGネルダになると思ひます。

金城高女内JSV金澤支部 加藤二郎(昭和21年)

 

戦争末期に犬へ向けられた敵意の中、国防犬隊は「犬のホロコースト」からの避難所となった事でしょう。本土決戦の矢面に立つ準軍事組織の犬が生き残り、戦争とは何の関係もない愛玩犬が殺されていったというのも皮肉な話ですね。

日本の犬は、破局へ突き進む日本と運命を共にするしかなかったのです。


たとえ国防犬隊や国防鳩隊が運用されていたとしても、実戦で活躍できたとは思えません。

帝国軍用犬協会が国防犬隊の編成を訴えてから二ヶ月後、米軍はカーチス・ルメイ少将を新たな司令官に任命。以降、戦略目標限定爆撃から無差別爆撃へと方針を転換します。

都市ごと焼き尽くす米軍の空襲下では、どんなに訓練された犬であろうと為す術などありませんでした。

その果てに行われる筈だった本土決戦の場で、犬に何が出来たというのでしょうか?
 
(次回へ続く)