近時、節米の聲喧しく、爲めに我が畜犬が兎角論議の的となつて居るのは實に慨嘆の至りであります。即ち他力に依つて生かされて居る畜犬に、如何に節米だからと言つて食餌を與へなかつたら死んで了ひます。
畜犬反對節米論者は、犬は無用の動物だと言ふのでせうか。食餌を與へず餓死せしめやうとするのでせうか。其の無慈悲!其の冷酷!考ふるさへ慄然たらざるを得ないのであります。
當地の某は筆者に對し、「今日、此の食糧不足の非常時代に犬を飼ふ程、時局不認識はない」と暴論?を吐いたのであります。
其處で筆者は「貴方は今日の畜犬を何のやうに見ておいでですか?」と訊ねると、彼氏曰く「恰度、子供が玩具を弄んで楽しむやうに、犬を娯樂の相手として飼つて居るのが今日の愛犬家だ」と答へたのであります。
筆者は餘りの事に呆然として、次の言葉を續ける勇氣もなくなつて了ひました。
これに依つて見ると、世上畜犬反對論者の如何に畜犬に對する認識を缺いて居るかがよく知られると思ひます。成程、多数の愛犬家の中には唯單に愛玩的にのみ飼育して居る者、必ずしもいないとは言へますまい。然し飼育者の悉くがさうだと斷ずるのは、短見も甚だしく、一を聞いて十を知らざる井底の蛙にも等しい徒輩だと思ひます。

 

酒井照厳『犬界の新體制と飼糧問題(昭和16年)』より

 

帝國ノ犬達-スプラッツ

戦前に輸入されていたスプラッツ社ドッグフードの販売広告(昭和8年)


銃後社会で食糧難に苦しんだ証言はたくさん伝えられています。

人間の食事にも苦労した時代、ペットの餌はどうだったのでしょうか?

 

飽食の時代に生きる我々からすると、酒井さんの考えが尤もだと思うはず。しかし、戦時下における一般大衆の意見は、酒井さんへ暴論を吐いた「當地の某」側でした。
昭和15年に北代議士が唱え、愛犬家の猛反発を受けて立ち消えとなった「駄犬撲殺論」は、戦時食糧難によって復活します。戦時下の愛犬家たちは、周囲の白眼視に耐えつつペットを飼う状況へ陥りました。
国家の食糧難は、ペットの飼糧問題へ深刻な影響を及ぼしていたのです。


犬の餌に対する日本人の認識は、戦前から「たかが犬の餌」派と「されど犬の餌」派に分れていました。
残飯を与えていた人もいれば、より良い犬用フードを買求める人もいただけのコト。当たり前ですが、愛犬の健康を願う気持ちは今も昔も一緒です。
その需要に応え、骨粉などのサプリメントは大正時代から、ドッグフードも戦前から販売されていました。

ちなみに「ドッグフードは戦後に進駐軍が持ち込んだ」とかいう解説、アレは完全な間違いです。欧米との貿易は幕末に始まっているので、「江戸末期から昭和20年8月15日までドッグフードが輸入されなかった」と思う方がおかしいのです。
きちんと調べれば、戦前のドッグフード広告なんて幾らでも見つかりますよ。
 
犬 
大正15年に発売された犬用サプリメント


【外地の飼糧問題】

国家総動員法が成立した昭和13年、早くも配給制度が始まりました。あらゆる物資を軍需優先とする戦時体制が強化されたのです。
大陸での戦いは一向に終わらないまま、日本はアメリカ相手の戦いまで始めてしまいました。

戦時下の人々を特に苦しめたのが食料不足。
国内の食糧生産には限度がありますし、前線にも大量の補給を廻さねばなりません。生産者である農業や漁業の担い手も続々と戦地へ出征していきました。
日本国民は、その鬱憤を「この非常時に無駄飯を食むペット」へと向けます。
しかし「無駄飯を食うな!」と言われても、ペットを飼うには餌が必要です。愛犬家は、「犬の飼糧問題」を真剣に検討する必要に迫られました。
この問題は、まず外地の愛犬家を直撃します。

 

内地の方々が白いお米を腹八分目以上にお上りになつて、節米など云ふ風が何處吹くと云つた顔をなさつて居つた頃、わが臺灣では深刻な節米運動の實施に逢つて、明日の食物から心配しなければならぬ羽目に陥入つて居りました。それは丁度、全臺湾展の爲めに平岡審査員がお見えになつて居られた時でありましたから、同審査員は審査に視察され、御自分でも、お薯が澤山で何處にお米の粒があるかと云ふ様な御飯も召し上がられた事と思ひます。
人間が此程度ですから、數頭の犬を飼育して居られる處では、殆んど薯やオカラばかりの主食に水牛肉の少い土地では、魚の臓物を煮て混ぜてやると云ふ飼糧が何日も續けられたのであります。私は此飼糧難は吾々に課せられた一つの試練であると考へ、時局克服に協力する意味に於て、亦戰地にある軍犬の苦勞を體験させる意味に於て持久戰の覺悟で此難關を克服しなければならぬと決心しました。
實際やつて見ますと、犬は空腹になれば不味い食事でもやはり食べます。健康な平素から食欲旺盛なのは、平氣で食べます。此經驗から、健康な犬ならばどんな食糧難に襲はれても大丈夫だと言ふ自信を得ました。
而し困つた事は、蕃殖母犬と乳幼犬の飼糧です。之には米なり麦なりが絶對に必要であると思ひます。若しも節米が高度に、且つ永く實施される時が來ましたら、吾々蕃殖者は蕃殖を中止するより外ありません。
且又ミルクが自由に手に入らぬ現状では尚更であります。
聴くところに依りますと、ドイツのハウス・シユツテイング犬舎も蕃殖を中止したとか。吾々としても一時止むを得ないと思ひます。真の使役犬が法に依つて保護され、逆にもろもろの雑犬が整備された暁には、〇〇頭位の軍犬の飼糧など問題でないと思ひますが、其様な時代までは之もやむを得ないでありませう。
吾が臺灣に於いては、此節米と飼糧難問題が全國のトツプを切つてやつて來まして、吾々はすでに尊い經驗済みでありますが、内地に於ては最近になつて問題となつてゐる様子であります。是は全國各地に於いて適當に研究し解決される可きであるし、窮すれば通ずる路は各所にあることも發見されると思ひます。
臺灣に節米が實施された當初から種々御心配下さつた本部の方に對し、唯今では臺灣の飼糧難もお互の努力に、經驗により克服されつつありと申し上げ、御安心を乞ふ次第であります。

 

酒井寅次郎『臺灣消息(昭和15年)』より

 

犬

ドッグフード兼キャットフード(昭和11年)

 

【内地の飼糧問題】


続いて食糧難に見舞われたのが内地日本犬界でした。巨大なペット界が存在していたゆえ、様々な打開策が検討された模様です。

 

然し何と云つても非常時であります。況して食糧不足の今日、出來得る限り節米するのは當然でありませう。それ故人間の食料以外の食料で畜犬の飼育が出來るとしたら、これに越したことはありますまい。
其處で筆者は此の畜犬飼糧の問題を夙に考究し、以て畜犬生活の安定を確立し、畜犬報國の一端に資せんものと該問題を提げて來た次第であります。
先づ始めに、飼糧問題を論ずる前に、普通なれば其の順序として、畜犬の効用價値に就て論ずるのが當然であると思ひますが、これは筆者の都合上後廻しにして、茲には飼糧問題のみを説く事といたします。
即ち畜犬の飼糧問題の解決は、飼糧の總合統一を圖る事であつて、それには上部組織として農林省に一般家畜の飼糧行政機関として「家畜飼糧局」を設け、地方の各信用組合の中に家畜飼糧配給機關を置き、全國數箇所に家畜飼糧製造會社を設立し、此處にて製造される家畜飼糧を右の信用組合の一機關として設けた家畜 飼糧配給部へ發送し、茲に始めて家畜飼育者の手に渡されると云ふ仕組なのであります。
そして飼糧の製造會社は國營にても亦民營にてもよいと思ひます。其の會社の數は多ければ多い程便利であると思ひますが、併し國営會社でありますと自然少數より致し方ありますまい。
次に飼糧の材料でありますが、これは一般家庭から二等品三等品と言つた屑の米、麦、粟、黍等を買ひ上げて主材料とし、これに配するに繭から取れる蛹(製糸 家から購入)、水稲の外敵たる蝗、或は田螺、鼠、蛙、榧の實、将又鰯、雑魚等凡そ人間の食料以外の不用品を悉く回収して、以て配合飼料を製造するのであり ます。尚、此の外に満洲・支那産の高粱、玉蜀黍等も至極適當な飼糧だと思ひます。
そして右の品々を買ひ上ぐる方法でありますが、これは先に述べた信用組合の飼糧配給部にて買ひ上ぐるのであつて、此の場合豫め定めた價格にて買ひ上げ、直ちに飼料製造會社へ發送するのであります。
今此の統制機構を圖に示すと、

家畜飼糧局(農林省)→家畜飼糧製造會社(國營若くは民營)→産業若くは信用組合(家畜飼糧配給部)→一般家庭

右は飼糧の行政及び其の配給系統を示したものですが、次に飼糧の材料回収系統を示すと

一般家庭(農家)→家畜飼糧配給部(産業組合)→家畜飼糧製造會社

大凡右様な順序であると思ひます。若し筆者の案にして實施されるとしたら、一般家畜の飼糧は固より、就中畜犬の飼糧問題は立處に解決されると確信するものであります。

そして斯様にして製造された飼糧は榮養の上から言つても正に百パーセントの價値があり、價格の點からも亦實に歓迎に足る可き安價で得られる事と思ひます。若し夫れ此の下に毎日家庭の殘物を畜犬飼糧に充當する事が出來るとしたら、彼れ此れ合して十二分の飼糧となりませう。
茲に於て初めて畜犬の生活は安定し、思ふ存分國家社會の爲めに奉公が出來ると思ひます。

昔から衣食足つて禮節を知るとか言ひますが、本當に自己の生活が安定して居なかつたら、禮節處の騒ぎではありません。先づ生物の活動は生活の安定からであつて、生活が安定してこそ立派に御奉公も出來るのであります。 (酒井照厳)

 
帝國ノ犬達-食料品店
開戦前、まだ内地に余裕があった昭和11年の広告より
 
この案で頼りにされている農林省ですが、実は戦争初期から犬の毛皮資源化へ取り組んでいた張本人です。狩猟法と家畜衛生を管轄する農林省には、ペットの餌ごときに国力を割くつもりなど一切ナシ。
猟犬以外の犬は「狩猟報国運動(農林省が猟友会へ要請した鳥獸毛皮献納運動)」の対象だったのです。


太平洋戦争突入前後から大型犬の飼育は次第に困難となり、飼育を放棄する人も出始めました。ペット雑誌は、「餌が少なくて済む小型犬を飼いましょう」と必死の防衛策を呼びかけます。
シェパードなどは、最寄りの陸軍部隊へ軍犬として寄贈されました。こうすれば飼主の面子も保たれますからね。しかし、他犬種の場合はそうもいきません。
戦時中の警視廳は、飼育登録犬数が減少すると同時に野犬の数が激増したと記録しています。つまり、飼いきれなくなって犬を棄てた人々が大勢いたということです。
その頃、軍用犬関係者は現実的な飼糧対策へ取り組んでいました。

【軍用犬の飼糧配給】

愛玩犬たちが餌糧問題に見舞われていた戦争後期、「国家の役に立つ犬」である軍用犬は問題なかったのかというと、実はそうではありません。軍用犬種(シェパード、ドーベルマン、エアデール)の飼主たちも、犬の飼糧確保に奔走していました。

 

大橋KV理事
何か今後飼糧として使つて見たいと考へられるものはありませんか。
宮本陸軍獸醫學校大佐
私、犬の飼料として使へると思つて使へなかつたのは、上海に行つた時、四百萬圓で出來たといふ東洋一の屠場で、タンケージ(※肉骨粉)が一ポンド六錢なので、私犬にそれを食はせようとしましたところが、どうしても食べない。このタンケージの中に犬の肉が入つてゐるのです。これで犬が食はないわけがわかつたのですが。
刈田KV書記
タンケージとは何ですか。
宮本
つまり屠場で廃肉から脂肪をとつて乾燥したもので、それで病氣のものとか、死んだものとかがあり、犬も混つてゐるのです。それは一ポンド六錢で只みたいに安いのです。馬にも使ほう、犬にも使ほうと考へて居りましたが駄目でした。
佐々木東京帝大農學博士
私變つたものといふお話でありますから、犬の爲めといふよりも、材料を利用する爲めに研究して居るものですが、蛹でありまして、蛹の蛋白質は割にアミノ酸の組成がよく出來て居りまして、羊等に與へると毛質が良くなります。それで蛹を特別に處理して、そのいいところだけとつて、炭水化物や其他のものを入れ て、ビスケツトをこしらへて試驗を農林省蚕糸試驗所でやつて居ります。又鼠を使つてやつて居ります。それは非常に好くやつて居りますが、若し皆さんでやらうといふ方があつたらと思ひます。
相澤晃(エアデール飼育者)
私は蛹をやつた事はありますが、非常に成績がいいですね。
高野慶司(シェパード飼育者)

蛹は幼犬の時から使つて居ります。ドツグ・ヘルプを幼犬の時から使つて居りますが、これは蛹から作つたものだそうです。それがない時には蛹を使つて居りま す。で、その蛹をやりますと、蟲が一寸もわかないのです。蛹をやらぬと蟲がわき、困る事があります。今年はそれをやらないで、一頭殺してしまひました。骨格を造るによい様ですね。
只、量を多くやると必ず下痢をやります。乾した蛹ですと一回六個から八個位手で粉にしてやる様にして居ります。

横井準一郎(ドーベルマン飼育者)
蝗をとつてやつた事がありますが、信州あたりで、魚肉渡河を求めるに困難であつたら、蝗を利用したらどうかと思ひますよ。
高野
餘計やると下痢をしますから焙じたやつを粉にしてやります。非常に發育にいいですね。
坂本陸軍少将
そういふ様なのは朝鮮がいいですね。朝鮮はレバーは全然駄目で、皆人が食べるのですから、材料がないので臓物をやるよりも他のものをやつた方がいいので す。鶏の頭はと聞けば、これも食べると云ふ。殘飯も軍隊からもらへるだらうと云つたところが、それは又非常に高く賣れて了ふので家庭犬の口には入らない と云ひます。蝗なんかいいと思ひますね。

 

『軍用犬飼糧座談會(昭和13年)』より

 

戦時下においては、あらゆる代用飼料がかき集められました。

帝国軍用犬協会登録の在郷軍用犬には飼糧配給もあったのですが、その内容も白米から乾燥獣肉(ウサギとか魚とか)へ、獣肉から魚肉や乾燥芋へと年々グレードダウンしていきます。
他の愛犬家に比べれば、これでも恵まれていた方であったのですが。

軍部は民間人が飼育する軍用適種犬を日本軍犬の資源母体としていました。資源母体の縮小は、軍犬調達業務の崩壊を意味します。
民間の飼育者数を維持するため、飼糧問題の解決は喫緊の課題でした。軍用犬種に対する飼糧配給と畜犬税免除の動きは、昭和15年頃から活発化します。

帝國ノ犬達-飼料配給

帝國ノ犬達-飼料配給
昭和18年の軍用犬種飼糧配給状況。各府県ごとに配給の可否判定が下されました。

 

此の大決戰下、凡ゆる物資が順次窮屈化して來るのは止むを得ない事であつて、我々も其の例にもれず此の際軍犬飼育に相當窮屈な思を感ぜざるを得ないが、萬難を排して是非有爲なる軍犬作出に奮起せなくてはなりません。

今夏各支部に求めた飼糧事情の報告によると、東京、神奈川、埼玉、青森等の特殊事情の下にあつて、どうしても地方廳から穀類の配給が得られない支部もあるが、大部分の各支部は地方廳の厚意によつて引續き穀類が配給されて居て、本部としても感謝に堪へない次第であります。

地方廳としては、各種用途別割當分を特に割いて配分されるので、今後事情によつては現在通りの配給に多少の變動あるやも知れないが、各地支部は極力連絡を良くして軍犬に對する認識を深めるべく努力する事が肝要と思ひます。また此の時局柄假令屑米にせよ穀類の配給を受けて居る以上、これが取扱ひに附いては慎重を期して遺憾な點のない様に善處すべきで、此の點を特に力説する次第であります。

 

帝國軍用犬協會飼糧部長 和田慶介『現下の飼料事情に就いて(昭和19年)』より
 
巷では「軍用犬には国が飼糧を配給した」とか言われていますが、コレは間違い。

実際は各府県と帝国軍用犬協会地方支部が交渉を重ね、承認を受けた地域のみが配給を受けられました。却下された場合、餌の配給などなかったワケです。

 

米の切符制は既に十二府縣の都市に実施されるに至り、愛犬家に一大シヨツクを與へてゐるが、これに對し帝國軍用犬協會は陸軍省並に農林省と協議の上、既に成案を得たが、現在は中央庁の指令でなく各府県で臨機に切符制を行つてゐるので、その府縣にある支部が専ら諒解運動に當り、必要の場合は本部も援助するこ とになつてゐる。

 

帝國軍用犬協會本部(昭和15年)

 

岡山縣主務課並に岡山縣信用購買販売組合聯合會の斡旋により、屑米を購入するのが出來たので、五月分として岡山市在住會員並に郡部に於ける市街地にて之が 調弁不能のものに對し、軍用犬一頭に付一日二合宛を配給することとなし、尚六日以降の分は更めて右と同量を配給し得ることとなつた。

 

岡山県の軍用犬食糧米配給(昭和16年)

 

軍部並に本部の御援助と清沢支部長始め、幹事諸氏の熱心なる諒解運動の結果、六月一日より、會員所有の登録犬に限り一日ニ八六瓦(一ヶ月以上、二ヶ月未満ノ仔犬ハ半量)宛、通帳制米穀割宛配給を受ける事になつた。
支部では会員の便利を計る爲、第一、第二のニ地區に分け事務所を設置、飼犬の調査、登録飼育犬証明書の發行に忙殺され、嬉しい悲鳴を上げてゐる。

 

福岡県の軍用犬飼糧配給(昭和16年)

 

米穀生産縣大分にも統制が强化されて、縣下の各市町村では米麦の切符配給制に成つて來たが、之れに先立ち支部では昨年七月支部長曾根崎大佐、幹事堤茂明、 佐藤宗六の三氏は縣當局を訪問し、軍用犬にも米穀切符を配布される様口頭にて陳情して行つたが、更に具體的問題を陳情書に認め、佐藤宗六、東義夫、堤茂明 の支部役員が十二月二十日縣廳に農務課長を訪問し、種々懇談の上、右纐纈縣知事(※纐纈弥三氏)宛陳情書を手交した。
軍用犬に米穀切符は云ふを受ける可く支部から昨年十二月縣當局に陳情書を提出したが、更に常任幹事佐藤宗六氏は一月十日縣廳畜産課並に衛生課の各主任技師に面談。縣下三市並に消費の主なる町に於ては軍用犬の飼料難であるから速かに米穀配給を配布される様依頼した。

 

大分県の軍用犬飼料配給(昭和16年)

 

上記のとおり、飼糧配給の成立は各地域の軍用犬関係者による努力の成果でした。「無条件で配給を貰えた」とか、誤解もいいところです。

【緊急措置としての軍犬口糧開発】

自治体との飼糧配給交渉が困難を極める中、畜犬団体の中には独自に調達ルートを確保し、オリジナルのドッグフード(時節柄「軍犬口糧」と呼ばれました)を会員に販売するところも現れます。
この辺を実現できたのは広大なネットワークを持つ帝國軍用犬協會と日本シェパード犬協會くらいであり、他の団体は次々と活動休止に追い込まれました。

帝國ノ犬達-軍犬口糧

帝國ノ犬達-軍犬口糧
帝国軍用犬協会による飼糧配給(昭和19年)

 

現在の各支部の受配給量が飼育上必ずしも滿足すべき量ではありませんが、これとても軍の要望に基く地方廳の好意的取計ひに依るものなることを感銘せら れ、今後時局の逼迫に伴ひ更に困難なる状況に立至ることもありとするも、これらは戰爭の状態にして勝つ爲には萬策を盡して之等事情に克ち抜き、優良犬の供出に努力することで、軍犬報國を志す我等の使命と存じます。
勿論本部に於きましても、この點に關しては最も苦心する處でありまして、先年來乾燥馬鈴薯の配布等を研究實施したが、品質の點、輸送の點等に於いて會員側にも本部にも種々配布上の支障を來し、好成績を上げ得なかつた事は洵に遺憾でありました。

其後、今春來北海道小樽に於ける軍犬口糧の製造に附いて、會員である製造家の非常な熱意によつて 着々計畫は具體化され、既に立派な製品も出來上り、配給の緒に附いた事は非常な仕合せと云ふべきで、配給開始以來各地支部は時節柄相當困難を極めて居る次第でありますので、今後は各地支部共幾分の配給豫備品を備へる様努力願ひたいのであります。
猶、此の軍犬口糧の原料である魚粉、澱粉粕等に附いては當分製造家の努力によつて、北海道廳から拂下げを受ける事になつて居るが、これまた何れも國家物動計畫上の物資故、今後に於ては中央で軍犬口糧の原料として相當割當を確保せねばならないのであります。此の點に附いて本部は豫而より農商省農政局飼糧課へ交渉を重ねて居たが、先般昭和二十年度に於ける一般的な對策として、馬政課の御斡旋により農商省の物動計畫に取上げて貰ふべく努力をつゞけ、今や其成功を期待して居る次第であります。
農商省としては今直ちに的確な回答をされる譯には行かないが、或程度の割當は期待出來るものと考へられます。此の飼糧課との交渉は現在の地方廳配給の屑米其他とは別個のもの故、此の協會の交渉が成功し、或程度承認願へれば、軍犬口糧と共に從來不足勝ちの地方へ對しては高粱、魚粉等を配給出來る見込みであります。

 

帝国軍用犬協会(昭和19年)


【副飼糧と代替飼糧の確保問題】

コメが配給制となったことで、人々は代用食で日々の食事を補っていました。
ペットも同じです。
ニンゲンが喰うのに精一杯だった時代、愛犬に食べさせるものが無くなってしまったのです。犬の飼糧については、主食だけではなく副食類の確保も必要でした。

帝國ノ犬達-ゴーケン
飼糧難が顕著になった昭和17年に発売されたサプリメント。戦時下のペットのため、さまざまな栄養剤や増量剤が開発されていました。

万策尽きた帝国軍用犬協会では、各地方支部から飼料確保のアイディア募集までやっています。

 

地方事情による特殊の代替飼糧がある事と思ふが、これ等に附ては既に檢討されて居る事と思ふので、利用者は自己の體験を活かして、其の利用者談を發表される事を切に希望する次第であります。

主飼糧に附ての悩みと同様、副飼糧の入手に附いても同じく困難はあ るが、現在實施されて居る斃死馬の肉の處理につき一段の工夫を加へ、乾燥肉を作る事は本格的な製品が未だ期待出來ぬとしても或程度の貯蔵可能なものを取得できる事と思ふので、これ等に對する創意工夫の公表を望む次第であります。
猶、副飼糧こそ地方的な特殊性があるので、有利な立場にある支部は他支部へ餘分を廻すと云ふ事も考へて貰ひたく、たとへ少量といへども本部飼糧部へ御傳へ願へれば、適當な支部との連繋をつける事は我々も喜んで擔當し得る次第であります(帝國軍用犬協會本部)


山羊
代用食の確保といっても、山羊を飼う余裕があればのお話ですね(昭和16年)

【末期の飼糧事情】

明治・大正・昭和にかけて花開いた日本犬界は、かつての繁栄が嘘のように衰退。「この非常時に犬を飼う奴は非国民」と罵られる、異様な空気が蔓延しつつありました。

「この非常時に犬を飼い続けるにはどうすればよいか?」
戦時下の愛犬家たちは、必死になって生き残りを図りました。

 

最近大東亜戰の決戰態勢への突入と共に、當然、一切の遊休的現象の一掃が行はれつゝあるが、殊に食糧事情の深刻化に伴ひ、無用無意義の事物の拂式には鋭い考慮が向けられて來た。こゝに問題となるのは食糧を必要とする動物の存在で、生産的家畜乃至軍用動物の飼糧にさへ重大な研究を必要とする時、最も世人の注視を蒙りやすいのは、何と言つても一見、使役に關係なき家庭の犬猫の類である。
往年支那事變勃發の當初、一政治家は無差別犬猫抹殺論を唱へて世上の物議を醸したが、今や再び類似の想念の上にたつ種々なる要請、慫慂、そして時には强制さへ起伏しつゝあるやうに見受けられる。就中猫に比し、多量の食糧を必要とする軍用適種以外の一般家庭犬がその對象となる傾向のあるのは當然で、もとより、その着想に異議をさしはさむ餘地はない。
だが、食糧問題を中心とする家庭犬無用論者は、今一應その考慮を檢討する要はないであらうか。先づ犬の食性及び食糧の推定に杜撰なものが多いのを見逃すことが出來ない。例へば、犬一頭が一日に要する米麦を幾何などと計算し、これを基礎として一地方或は全國に於ける一年の消費量を算出し、聲を大にしてその容易ならざる徒費を警告するのであるが、最初からその根拠が實情に添はぬものなのだから、かういふ數字が全く架空のものであることは言ふまでもない。即ち、犬種により、飼育者により、更に地方によりその食性および食量には非常な差のあることを一切無視した暴論であり、且つ今日に於いては既に、犬の食物には所謂残物以外、人間に不要な部分を使用することも相當工夫されて來た事情を知らねばならぬのである。

とは言へ、家庭犬が或る程度、人間と共通の食糧に依存してゐる事實は決して含むことが出來ない。そして、こゝに第二の問題が横たはつてゐるのである。即ち、住居を守り、主人に仕へ、子女の友となつてゐる家庭犬を、單に食糧浪費の物品としてのみ見てよいかどうかといふ事である。言ふまでもなく、我々の生活には物心の兩面があり、そのいづれの一面をもつてしても全しと言ふことは出來ぬが、大體に於て、西洋が物の面を重く見るに反し、東洋が心の方を主とする事は萬人の認めるところである。
而して、近時、我邦が西洋文化に惨毒せられ、危うくその本來の面目を見失はうとしたのは全く物質偏重の觀念のためである事も明白であり、今その桎梏を斷つて、大東亜に精神的光輝を顕彰しやうとする時、何を好んで、敢へて再び唯物の妄想の中に迷ひ入る必要があらうか。もし、我々の中に、無邪至純の從僕を単なる物品視する思想が潜んでゐるならば、それは自ら進んで敵性の思想的陥穽に突入するものと謂はねばならない。
 

日本犬保存会・平岩米吉『戰時と家庭犬(昭和19年)』より


犬
もうダメだ感が漂う、昭和19年秋の飼糧事情。翌年になると、状況は更に逼迫していきます。

このような努力にも拘らず、戦況は次第に悪化。サイパン陥落によって、遂に本土空襲まで始まります。
昭和19年末、商工省と厚生省は軍需原皮不足を理由とした「ペットの毛皮供出」を全国の知事へ通達。そして、厖大な数のペットが殺戮されました。
毛皮供出を免れた軍用犬も、半年後の敗戦まで飢えに苦しむ日々を送ります。

 

今や我々の軍犬飼育は、重大なる使命に向つて邁進しつゝあります。即ち大東亜各地の第一線で活躍する唯一の補給源である事は周知の事實で、我々も亦斯く自覺して凡ゆる困難を排除して精進しつゝあるので、軍當局に於かれても飼糧獲得に附ては格別の御配慮を煩はして居る次第であります。

更に我々は殘飯の一粒たりとも獲得する覚悟は勿論、米麦に代る代替飼糧の利用等につき従來より一段の努力を續けるべきで、北陸支部の或る會員は鳩麦を屋敷 内の未利用地域に撒き、飼糧に引當てゝ居たが、これなども地方支部會員としては當然採られるべき方策であるので、是非共各地支部會員も實行願ひたいもので あります。
 

帝國軍用犬協會飼糧部長 和田慶介『現下の飼料事情に就いて(昭和19年)』より

 

……まあ、焼け石に水だったんですねどね。
硫黄島守備隊玉砕、無差別爆撃、沖縄陥落、原爆投下と戦況はますます悪化。食糧の生産・加工・流通ルートは破壊され、そのまま秋の本土決戦へ突き進めば、イヌの餌どころかニンゲンの食糧すら確保できなくなった事でしょう。
もしそうなったら、飢餓地獄の冬を迎える中で犬達の運命がどうなったことか。

 

 

大阪にて、朝ごはん中のエアデールテリア(昭和8年撮影)


嬉しそうに餌をパクつく愛犬を眺める。
戦争末期には、そんなささやかな幸せすら望めなかったのです。

 

前月の一新聞投書家は「飼犬の食糧は殆ど人間の大人一人分に相當する」と云つてゐるが、この人は全然實情を知らぬ机上論者だ。空想家だ。弄語者だ。
この人は今日の責任感を持つ畜犬家が愛犬の飼育にいかに工夫し、如何に苦心してゐるかを御存知なく、平時と同じやうに、毎日、「人間の大人一人分に相當する」お米を與へて居るものと思つてゐるらしい。
莫妄想。
この人はおそらく犬を飼つたことの無い人、飼つてゐない人であるに相違ない。抑も犬を飼つてゐない人間は、畜犬家に向つて兎や角云ふ資格も權利も持たない。餘計な節介は止めて、僕のするやうに二食主義でも實行して節米運動に協力せよ(※廣井さんは、「食糧がないからペットを殺せと言う者は、まず自分の食事量から減らせ」と主張していました)。
僕はこれ等の人達に告げる。今日の畜犬家は決して「大人一人分に相當する」米を犬に與へて居らん。若しそれ三合足らずの配給米の中から夫れと同量の米を飼犬にやるなら、あとには一粒米も剰さず、畜犬家は餓死する筈に非ずや。畜犬家は斷じて米不足の原因に非ず。時局焦操者よ、請ふ事物を正視せよ。

 

動物愛護会・廣井辰太郎(昭和19年3月)

 

(次回に続く)