秋の愛犬シーズンが訪づれ、又各地に各種畜犬展、訓練會が催されて賑やかなことです。この事變で軍用犬の盛んなのは當然として、愛玩犬種まで非常な活況を呈してゐるのは、些か不思議な現象のやうでありますが、事變が深刻化するに比例して人は一方に於て建設の愛育精神を要求するのでありませう。
殊に兒童の情操教育には、かつても云つた如く、この犬が非常に役立ち、犬の流行の價値は充分ありますが、しかし現在の物資缺乏の非常時に於ては、それ丈けではなんとなく物足りない感がして是非犬を何等か功利的にも役立つ工夫がありたいものです。たとへば軍用犬、獵犬の如く、殊に農山漁村の労力不足の地方では、この犬を輓曳に利用すれば、犬も直接家庭に役立ち、飼育者も増えるであらうし、その指導方法の如何によつては軍用犬資源の充實ともなるでありませう。
白木正光『犬界近時(昭和14年)』より
もうひとつが、「国家の非常時に無駄飯を食んでいる駄犬(ペットや闘犬)」の群れ。
『コドモマンガペーヂ』より(昭和16年)
【戦時中にはペットを飼えなかった?】
困るのは、これら枝葉に過ぎない部分が「銃後犬界の根幹だ」と勘違いされること(犬をネタにした歴史批評でよく見かけますね)。
たとえば「日本人の銃後史」では、根幹たる一般庶民の日常が戦時体制下で崩壊し、戦争末期の焼け野原へと至る過程が克明に記されています。それを無価値だと切り捨てて、軍人や政治家ばかり眺める者に「戦時」を語る資格はありません。
もしもペットを飼えなかったのならば、「戦争末期に毛皮供出の犠牲となった多数のペット」はどこから湧いて出たの?ハナシの辻褄くらい合わせましょうよ。
少女とシェパード(昭和13年)
それでは、「犬の日本史における戦時の実情」はどうだったのか。
戦時におけるペットとの暮らしは、満州事変から敗戦に至る約15年間を通じて徐々に崩壊していきました。衰退の一途ではなく、途中で最盛期も迎えています。
これを前提に、「まず、戦前犬界はこうであり、戦時中のどの時期からどの部分がどのように変化し、何が失われ、何が戦後犬界へ継承されたのか」の流れを整理しましょう。
【戦前のペット事情】
戦前と戦中を比較するために、まず戦前のペット事情から。
日本犬界の国際化・広域化によって多くの「顧客」が生れたことで、ペットを供給する畜犬商は大繁盛。旧来の畜産防疫からペット医療へと踏み出し、犬猫病院を開業する新世代の獣医師も現れました。
こうして、愛犬家たちは「愛犬団体」を結成。畜犬商がペットを供給し、愛犬団体が登録・繁殖・審査を担う分業制へ移行します。
この時代、公的機関も犬の利用を拡大していきました。大正元年には警視庁が直轄警察犬制度を導入(明治43年に導入した台湾総督府や朝鮮総督府が先ですけど)。第一次世界大戦後からシェパードやドーベルマンといった使役犬種も次々と来日し、陸軍歩兵学校も大正8年から軍用犬の研究に着手しました。
戦争の時代が来るまで、日本のペット業界は隆盛を極めていたのです。
【満州事変勃発 昭和6年~】
大量調達システムを維持するため、軍部は資源母体たる民間ペット界の親軍化も図りました。いわゆる「軍犬報国運動」の始まりです。
軍と飼主の売買仲介組織として設立された帝国軍用犬協会は、民間の犬籍簿を掌握するため日本シェパード倶楽部・ドーベルマン協会・エアデール連盟といった畜犬団体を次々と併呑。
軍部は、民間ペット界を資源母体とすることに成功したのです。
上の画像は日中開戦から二年目、昭和14年のペットショップ広告。まだ敵性語の自粛は始まっていないので、横文字も使いまくりです。
というか、軍用犬や猟犬の分野では戦争末期まで外国語OKだったんですよね。配備していたシェパードやポインターは洋犬なので、血統書や軍犬名簿も英字無しでは作成できませんし。
【日中戦争勃発 昭和12年~】
昭和13年以降、軍需皮革の確保を急ぐ商工省は「皮革使用制限規則」「皮革配給統制規則」を次々と施行。翌年の規則改正で犬革(加工革)も統制対象とします。三味線や太鼓などの民需品に使われていた犬革は、これを機に「国家が管理する資源」となりました。
商工省は、行政の野犬駆除へ介入することで犬皮(原料皮)の統制も画策します。
食糧難の到来を予測した農林省も、同時期から「無駄飯を食む駄犬は毛皮にすべき」と商工省に追随。
政治家も「この際だから軍を動員してペットも毛皮にしてしまえ」と議会の場で主張し始めました。
議会で主張された駄犬駆逐論には時の畑俊六陸軍大臣が難色を示し、世の愛犬家も猛反発。幸いにも、この暴論は立消えとなります。
戦時中の昭和14年に繁殖されていたスコッチテリア。スコッチやワイヤーは戦時体制下でも人気犬種でした。
【太平洋戦争突入 昭和16年~】
石油を絶たれた国民生活は段々と息苦しさを増し、誰が強要した訳でもないのに娯楽や贅沢は自粛されるようになりました。
犬界も同じです。立ち消えになったはずの「駄犬駆逐論」が再燃しつつあったのです。
戦時下でペットの飼育を続けるため、犬界関係者は必死の論陣を張りました。
之れを要するに政府當局を始め一般の人々が眞に畜犬に對して理解を持ち、其の効用價値を知る事が先決問題であります。否、知つたとて之れを行はなかつたら知らざるに等しいと思ひます。「働かせる丈働かすが、生活の保証はしない」と言つた調子で食料の配給もしなかつたら、正にそれは堕地獄の沙汰と思ひます。働く者には生活を保証してやらねばなりません。まして他力に依つて生かさして貰つて居る畜犬に於てをやであります。若しこれを成さずして、徒らに奴隷の如く酷使するのは萬物の霊長と言はれる人間の爲す可き行ひではありません。特に東亜の盟主とし、榮光に輝く日本國民の爲す可き事では斷じてないと思ひます。凡そ普天の下、率土の濱之れ悉く皆大君の有にして、而も一視同仁の皇澤に浴して居るのであります。我が畜犬と雖も勿論之れに洩るる事はないのであります。
されば畜犬をして、國家の非常時には日本國民の一員として大政翼賛に参ぜしめ、以つて臣道實践、職域奉公の誠を盡さしむる事は、日本の畜犬として寧ろ當然であると言はねばなりません。
それには先づ、飼育者の指導に俟つのは言ふ迄もない事乍ら、世上畜犬無用論者の蒙を啓き、同時に畜犬飼糧の問題を解決して、畜犬國策を確立されたいと切に要望する次第であります。
蓋し新體制とは人間社會のみの新體制では未だ本當のものではありません。人類に關係ある總てのものに新體制が布かれねばならぬと思ひます。此の意味に於て犬界の新體制は現下の急務だと思ひます。人的資源、勞務資源、將又物的資源不足の折柄、今後畜犬は益々尊重されねばならぬと信じます。
酒井照厳『犬界の新體制と飼糧問題(昭和16年)』より
クレームをつけられた犬漫画は、のらくろだけではありません。
近頃、新聞や雑誌に全國一せいに、翼賛一家といふ面白い漫畫をごらんでせう。これは吾々、日本漫畫家協會と大政翼賛會宣傳部共案で創造したもので、おそらく昭和十六年は、映畫にレコードに、この一家の大活躍が見られませう……。
その中でも、うれしい事はこの横丁隣組にハチ公(日本犬)が堂々と翼賛犬として登場する事です。最初、犬を飼ふとはケシカランなんて投書がありましたが、こんな論は翼賛會でも耳をかさず、堂々と日本犬ハチ公として大いに漫畫の代表犬として活躍させな さいと云ふので、翼賛大和一家の人氣者としてコドモペーヂにも大活躍をする事になりました。皆さんもどうぞよろしく御聲援ねがひます。小川武『ミナサン、ドウゾ、ヨロシク(昭和16年)』より
その流れなのか、行政機関も畜犬取締りを強化します。
厚生省豫防局防疫課では、狂犬病豫防の立場から各府縣の畜犬數、野犬數、飼犬野犬の増減の趨勢見込、野犬掃蕩の實績、廃犬捕獲犬の處分方法等に就いて警察部長よりの回答を集め、五月現在の畜犬頭數等に關する調査の印刷物を各關係官廳に配布した。
『全國畜犬の調査』(昭和16年)より
警視廳獸醫課で調べた今年六月現在の東京府下の畜犬數と昨年末とを比較すると次の通りで、飼犬に於て約二千頭を減じ、飼主も二千人以上減つて居り、反對に野犬捕獲數は約千頭の増加となつてゐる。飼料難から飼犬を斷念する人が増え、野犬がそれだけ多くなつたと思はれる。
『東京の畜犬減少(昭和16年)』より
太平洋戦争突入後、日本犬保存会・帝国軍用犬協会・日本シェパード犬協会といった社団法人を除いては、まだ秋田犬保存会、甲斐犬愛護会、全日本日本テリア聯合会、中央畜犬協会、土佐犬普及会、日本エアデール協会、日本コリー犬協会、日本グレートデン協会、日本婦人愛犬倶楽部、日本ワイヤーテリア倶楽部、日本狆協会、北海道犬協会などが活動を続けていました。
少年とシェパード(戦前の撮影)
【戦争後期】
米軍の反攻が始まると、南洋の戦線は各地で崩壊。輸送船団は撃沈され、農村や漁村の担い手は戦地へ出征し、物資や食糧の不足は深刻化しました。
日本ペット界が力尽きたのは昭和18年のこと。
紙資源の不足で愛犬雑誌は休刊し、犬や飼育用具が入手困難となったペットショップは営業を停止し、大部分の愛犬団体も活動を停止しました。
戦争後期に活動を続けられたのは、帝国軍用犬協会、日本シェパード犬協会、日本犬保存会といった社団法人ばかり。
警察署で飼育登録し、狂犬病予防注射を済ませ、畜犬税を納め、畜犬取締規則を遵守すれば、我が国では自由に犬を飼育することが出来ました。
戦時下でも、粗末な代用飼料を確保しながらの飼育が続けられました。
やがて幾つかの市町村では、「飼っている犬を警察署へ連れてくるように」との回覧板が届きはじめます。唯々諾々とそれに従った家庭では、空になった犬小屋だけが残されました。
モチロン、犬を殺戮したところで戦争に勝てる筈がありません。無能無策の国家には、自分たちへの矛先をそらすための生け贄が必要だったのです。
そんな中、大手を振って犬を飼っていた人達もいたんですけどね。
戦時下において興味深いのは、狩猟界の立ち位置です。
上の画像は、戦況が悪化した昭和18年の狩猟広告。意外なことに、ウインチェスター銃(敵国アメリカ製)やイングリッシュ・セッター(敵国イギリス産)が平然と流通していますね。同時期の世間では「鬼畜米英」とか叫んでいたんですけど。
戦時中の猟友会には、農林省や警察から鳥獣の羽毛・毛皮の献納が要請されました。いわゆる「狩猟報國・毛皮報國運動」です。
お国や行政によるお墨付さえあれば、「鬼畜米英」の猟銃や猟犬を用い、この年から拡大した「敵性語の自粛」などドコ吹く風で横文字も許されたのです。
まあ、こういう世界もあったという事で。
少女とエアデール(戦前の撮影)
「戦争を理由にペットを弾圧するような国家は、戦後に国際社会から断罪されるぞ」「愛犬家が非国民なら、愛犬家の皇族も非国民呼ばわりするのかこの非国民め!」などと論陣を張り、「戦時下で野犬の安楽死措置が疎かになっている」と、警視総監に直談判までしています。
明治天皇が、犬と猫をあはれませ賜ふた御製は已に奉戴したが、大國民らしからぬ戰時生活の焦燥から、昨今、東京都下十萬頭の野犬の撲殺と並行して、この際畜犬(※ペット)も序に處置せよとホザク不心得者があり、日本一億の民草中には、この種の新聞投書にふら〃と釣り込まれる無分別な手合も若干是れ有るべしと信ずるが故に、この輩を戒筋してその妄を啓かんが爲に、億兆の雄弁より荘厳深遠にして、且つ力強き御製を、茲に再び奉戴することにした。
此輩須く襟を正しうして是れを拝誦し、御製に含蓄される哲學と、詩と、八紘一宇の觀念と、固有日本精神と、大慈大悲の大東亜精神とを把握せよ。動物愛護會 廣井辰太郎『聖訓を拝して・迷へる人々に告す(昭和19年)』より
廣井辰太郎の言葉は、しかし誰にも届きませんでした。
昭和19年夏、サイパン陥落によって本土も空襲圏内となります。続くレイテ沖海戦で、日本が誇った連合艦隊も壊滅。
内地の物資不足も深刻さを増し、ペットの愛育が許される状況ではなくなっていました。
「飼糧さえ確保できれば何の問題もないし、それには愛犬家と行政が一致協力して取り組まねばならない」。
そういう愛犬家の願望を置き去りにして、戦時日本は一億玉砕へと突き進んでいきました。国家の存亡をかけた総力戦において、犬の都合なんか二の次です。
戦争指導層には、銃後社会に充満する不安と鬱憤の捌け口が必要でした。その生け贄にペットが選ばれた時、愛犬家に抵抗の術などありませんでした。
一部で勇気ある人々が声を上げたものの、事態は悪化の一途をたどります。
二月二十三日、毎日夕刊「建設」欄に出た「犬と人間」の投書は私も讀みました。欄は建設だが論は破壊ですね。日本人は概して聡明ですが、それでも一億もの中に愚物や馬鹿が相當あるのは免れますまい。貴下の御書面中、私に一矢を酬いて貰いたいとありますが、夫れは貴下の御慫應がなくとも、ムズムズしてしやうがないのが私の性分です。しかしこれを反駁して果して利ありや否や疑問です。私の考へでは、この種の便乗的僻論は凡そこれを黙殺し一括しこれを墓穴に葬るに限るのです。何んとなれば、浮つかり其手に乗つて反駁なぞすると投書家の思ふ壺にハマルと云ふものです。
苛烈な戰局下、常識を喪失した人間は多少現はれませう。没法子(メーファーズ、しかたがないの意)。彼等は狂犬と同様に憐むべき人々ですよ。
「獨り野犬ばかりでなく此際畜犬も處置せよ」とは投書家は言つて居りますが、この種の議論は非日本的な、利敵行爲に属する、低調にして、嫌忌すべき僻説です。私に暫く時を借して下さい。萬一こんな馬鹿氣た議論が反響を呼んで、誤つて取上げられでもすれば、其時こそ私は猛然として起ちます。それ迄は沈黙します。
動物愛護會員・犬儒學士『某氏に答ふる書(昭和18年)』より
戦争は人々の心を荒ませ、追い詰め、余裕を失わせました。犬を愛してほしいという意見すら、戦争末期の日本では非難の対象となりました。
戦争末期にペット供出を呼びかけた警察署の回覧板には、このようなアオリ文句が記されています。
「私達は 勝つために 犬の特別攻撃隊を作つて 敵に体當りさせて立派な 忠犬にしてやりませう」
毛皮となった哀れなペットたちとは別に、本物の「犬の特別攻撃隊」も存在しました。帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会の登録犬で編成された民間義勇部隊「国防犬隊」がソレです。
もしも本土決戦へ突入していたら、米軍へ立ち向かう国防犬隊も悲惨な最期を遂げたことでしょう。
![犬](https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/wa500/b0/44/j/o0636105613657779677.jpg?caw=800)
先に崩壊したのは、日本犬界の惨状を対岸の火事と眺めていた満洲国犬界でした。昭和20年8月9日、ソ連軍侵攻によって巨大な満洲国犬界はあっという間に消滅します。