飾か實用かは別として、満洲でも内地でも御婦人の防寒用ショールとしてキツネの毛皮なるものが相當市中を歩いてゐる様である。で、此のキツネなる毛皮に就いて餘りセンサクしてゐるとアチコチから抗議が出ないとも限らないので『キツネの毛皮は立派ですね』、だが『滿洲方面から相當犬の毛皮が出て行きますよ(※内地に輸入されているという意味)、御注意迄に』と當らず触らずの邊を一寸お知らせ致しませう。
此の犬の毛皮がキツネの毛皮に早變りする點は、園部部隊の間庭獸醫の研究は全く恐れ入つたもので、そのニラミの程恐縮する次第であるが、そことハツキリ申しては婦人の肩でダラリと垂れてゐるキツネ君に對して異状ありと云つた結果になるので差控えるとして……。

 

滿洲鐵路總局 細川伊與三『滿犬スケッチ(昭和12年)』より

 

国家の指導により、個人所有のペットが毛皮目的で殺戮された銃後日本。内地だけではありません。外地や満洲国においても、多数の犬皮が「生産」されていました。
集団ヒステリーで犬のジェノサイドをやらかした日本と違い、こちらは純然としたビジネスでしたが。


犬
南満州鉄道株式会社の調査資料より、中国産偽造高級毛皮の一覧。犬皮はキツネやオオカミだけでなく、ヤマネコ皮にも偽造されているのが興味深いですね。

今回は、外地(南樺太、台湾、朝鮮、関東州、南洋諸島などの総称)や満州国の「銃後犬界」に目を向けてみましょう。

内地と外地の犬界事情で、大きく違っていた部分があります。
それが、犬を外貨獲得の資源としていたこと。まあ、生きた犬ではなく毛皮のコトなんですけど。

満洲では、建国前から大量の狗皮が「生産」され、製革され、集荷され、ユダヤ系やロシア系の毛皮商によって欧米へ大量に輸出されていました。
そこへ、後からノコノコやってきたのが日本の毛皮商。当初は犬皮が生む利益に気付かなかった彼らも、やがて本格的に参入しました。

こうして大陸産犬皮の日本流入は拡大したのです。

犬
満洲産の狗皮サンプル(満鉄資料より)

【満州産狗皮】

満洲各地から購買された野犬の毛皮は、下記の様な流通システムによって輸出市場へと集められていました。

 

滿洲及蒙古は犬皮の世界的産地であつて、商業上に犬皮と云へば支那犬皮を意味する程である。
犬は體躯大にして毛が深く、光澤に冨み恰も狼の如きものあり、産額大で色の種類も極めて多いと云ふのが其特徴で、其需要も近年頓に増加し、價格は年々急激なる騰貴をなしつゝあり。
品位は奉天にては北路もの西路もの東路もの南路もの(※奉天を中心にした東西南北エリアのこと)朝鮮ものと分ち、北路もの即ち北満のものが最も品質優良にして右の順序で次第に品質劣る。天津に於ては蒙古もの奉天もの山東ものと分ち、品質右の順に従つて上下あり。
右の區分の後、更に毛皮の大きさ、皮の状態、品質、毛の長短、皮の軽重、毛の色彩により上物、並物に分類して評價取引なす。右の内特に重要なるは毛皮の大きさで、朝鮮もの山東ものは小さき爲、劣等品とせらる。毛の色は黑色を可としたるも、最近は毛色による優劣は少くなつた。蓋し犬皮は其儘用ひらるゝことは稀にして、大概染色したる上使用せらるゝが爲である(満鉄資料より)

 



犬
生産された満洲産皮革が、輸出と国内向けに分離する構図

満洲各地で猟師や畜産家から得た細皮(テンやカワウソの皮)や粗皮(綿羊、山羊、犬の皮)は、生産者から商人へ売却されます。毛皮は種類によって取扱地域が違い、犬皮の場合は奉天・天津・錦州が主たる集荷・輸出拠点でした。
そこから先は、分業制による国内流通および輸出システムが構築されていました。

皮販子 地方の市場を拠点に「原産地」の毛皮を買い取る商人
山貨店 地方の猟夫や牧畜家に日用品を売り付け、対価として毛皮を受け取る雑貨商
貸桟(皮毛桟) 老客貨(皮販子・山貸店)から毛皮を委託され、売買を代行する問屋
皮荘 地方の毛皮集散地に店舗を構え、買い出した毛皮を輸出商へ売却する商人
跑合兒 毛皮輸出市場で売買を仲介して手数料を得るロシア系商人
輸出商 西洋とのパイプを持つユダヤ系毛皮商と、直接海外と取引する中国系毛皮商

20世紀になると、アメリカ、イギリスが競合する満洲毛皮市場にドイツが参入。列強が激突する中、日本毛皮商が遅れに遅れて乗り込んできたのは大正後期のことです。
こうして中国市場へ参入した日本毛皮商は、犬皮の価値に全く気付きませんでした。

 

輸出取扱い上には英國、米國系猶太商、露商が最も勢力を有し、近年獨逸商の臺頭は注意すべきものあり。邦國の内には日本毛皮貿易株式會社其他一二の商人が時に取扱ひをなすことあるも未だ見るべきものなく、滿蒙に斯る資源のあることさへ今日迄知られざりしは實に遺憾千萬である。
満鉄資料より(昭和4年)

 

安価な量産品だった満洲産狗皮も、海外需要の高まりと共に10~20倍に價格が高騰。満洲国建国以降は、これに拍車がかかりました。
昭和12年には、満州産毛皮の権益をめぐって日本と満洲の毛皮商が衝突したなんて騒ぎも起きています。

 

支那の犬皮の如きが其價値を認められたるは極めて最近のことにして、大正十三、四年頃迄は支那苦力(※クーリー・荷役労務者)の防寒帽子等極めて低級なる用途に限られたるものであるが、一度外國に於ける之が利用法發見せらるゝや需要は急激に増加し、毎年數十萬枚の輸出をなし一躍重要輸出品となり、先に述べ たるが如く大正十三年頃一枚一元餘りの相場なりしものが昨年(※昭和3年)七、八元より甚だしきは二十元を唱へる迄に暴騰した。

 

南滿洲鐡道株式會社 臨時経済調査委員會の資料より(昭和4年)

 


犬
 

毛皮


満洲における獣皮製革工程の様子

天津や奉天の輸出市場には、膨大な原皮が集積されます。そのうち、汚損・腐敗し易いものは工賃の安い地元製革工場でのクリーニングや鞣し加工を経てナフタリン粉による防虫処置を施し、サイズごとに郵便小包や圧搾梱包し、ようやく船便での輸出となりました。

 

最近哈爾濱の毛皮商は毛皮を長春迄汽車便で送り、該地より日本郵便にて發送する者増加せり。外國輸出に對して日本郵便局を利用するは、日本より外國行の便船多く運輸が確實なるに因る。之に對し支那郵便による時は、支那當局が有利なる條件にて外國行の船腹を得る爲に、小包が大量に纏まる迄長期間海港に留置し爲に小包の到着時日が不確實である(満鉄資料より)


犬

 

元來一般支那人の購買力が比較的少であることは茲に多言するまでもない。随て近年の如く毛皮相場が累年昂騰しては彼等は到底之を用ふること難く、生活上に必要とせらるゝ毛皮以外は外國に向つて輸出するは自然の勢で、事實は明確に之を物語つてゐる。其數も特異の例を犬皮の場合に見る。
由來犬皮は下級民の敷物、或は帽子、足袋、手袋等の材料として用ひられて居たが、近年其相場が暴騰の結果、犬皮は支那人の購買能力の埒外に出でゝ、大部分輸出せられることゝなつた。因に犬皮敷物に代りて洋毯子、即ち安價なる毛布が使用せられ、又中流者の袍子、大襖、馬掛、坎肩子等の裏に用ふる毛皮に代りて、所謂駱駝毛製の羅紗等が用ひらるゝこゝとなつた。蓋し毛皮を必須としない地方又は場合に於ては、外観触感がよく保存にも便で丈夫である、斯かる代用品が用ひらるゝことゝなるは當然である。斯くの如くして外國に於ける毛皮の需要が増加し、相場が騰貴して或程度を越ゆれば、従來支那人の消費して居たものも輸出品に仕向けられ、それが國土の廣いだけに驚くべき數字となつて現れて來る(満鉄資料より)

 

【偽造キツネ毛皮】

当初、満洲産狗皮は全体の80%がアメリカで消費されていました。大正後期になるとヨーロッパでの需要も高まり、ドイツや日本の参入もあって輸出バランスも変化していきます。
欧米では「安価な代替品」であった満洲産狗皮も、日本では偽造毛皮として売り捌く詐欺行為が横行しました。


帝國ノ犬達-犬の毛皮
満蒙毛織株式會社原料課調査班資料より(昭和12年12月)

上の画像は昭和6~8年の奉天における毛皮相場表(単位は元)。
狗皮に比べ、狐や狼の毛皮は随分と高価ですね。満州国での総流通量も犬皮60万枚に対し、狐皮は7千枚。因みに猫皮の価格は0.9元~0.5元で山猫の毛皮よりも遙かに安値でした(全満での猫皮流通総量は8万枚となっています)。
この価格・数量の差が「偽キツネ毛皮」として犬毛皮が重宝された理由です。

「犬とキツネの区別くらい出来る」と思われるでしょうが、実際は贋作技術の方が消費者の眼を遙かに上回っていました。
偽造キツネ毛皮に関して、当時の皮革業関係者は「染毛や裁断に手を加えれば、外見で犬皮と狐皮を見分けるのは困難」と証言しています。

犬
満洲からの輸入原皮と朝鮮・台湾からの移入原皮も、商工省の統制下に置かれています。
上の図は外地産毛皮が日本へ持ち込まれるまでのルート。これに犬皮が組み込まれていたかどうかは不明。
商工省の資料より(昭和15年)

【朝鮮総督府の犬皮輸出計画】

満洲と同様、朝鮮半島でも古くから犬皮が利用されてきました。しかし、朝鮮総督府が犬皮に注目したのは戦時中のことです。

 

長期戰下、犬皮は軍需用品として防寒具に加工される外、最近は牛皮の代用としてその効用を認められて來たので、慶北道では先づ道内三十六萬戸の農家を主體に「犬を飼ひませう」の標語をもつて畜犬の増殖に乗り出すこととなつたが、現在慶北の畜犬は約二十萬頭と推算される。

京城日報(昭和13年)

 

「日本人が朝鮮の犬を殺戮した」という主張は、この辺の犬皮奨励策が源流なんですかね?
昭和18年、総督府は半島各地で朝鮮土着犬の毛質調査に着手。これは、「野犬駆除と不要買上犬で得られた犬皮を外貨獲得の資源にしよう」という計画でした。
昭和14年より、内地の商工省では外地産皮革移入(当時の朝鮮半島は日本統治下だったので「輸入」ではありません)の制度を整備しています。しかし戦況が悪化しつつあった当時、朝鮮産犬皮の移入が実現したのかどうか。

この計画の顛末については不明です。

 


帝國ノ犬達-タイトル

・朝鮮犬と其の毛皮
本報告は鐘淵紡績株式會社の受託に係る林野皮毛鳥獸の増殖に關する試驗に關聯して、本場技師高木五六の調査せるものにして、朝鮮犬の改良及優良皮毛増殖上に資するところあるを以て茲に之を公にするものなり。
昭和十八年二月

朝鮮總督府林業試驗場長
林學博士 鏑木徳二

帝國ノ犬達-犬毛皮

1.緒言
朝鮮固有犬は珍島犬、豊山犬として近年相次いで天然記念保護物に指定され、其の系統及優秀形質が廣く世に紹介された。朝鮮に於ては犬は夙に供食用とすて旺に飼養され、犬毛皮の價値は餘り認識されなかつたが、近年毛皮の需要激増し、特に軍需資源向としては更に其の増産が要望されて居る。然し毛皮の品質、純系の保存に關しては本質的に檢討攻究し、其の向上對策を講ずる要があり、之が爲には朝鮮犬に関する諸般の實状調査が肝要である。
本邦文は上述目的に對し調査試驗を了したものを上載した。因より尚殘された多くの重要事項がある。之等は其の完了を俟ち他日公表の機あるを信ず。
本調査試驗は林業試驗場長鏑木博士の渝らざる支持督励の下に行はれ、又鐘ケ淵紡績株式會社津田社長の科學に對する好意と理解ある支援に預る所が多く、本場嘱託梅谷博士も終始援助の勞を執られた。
尚、調査試驗實行上、朝鮮陸軍倉庫を始めとし、當該官署當務義術員諸氏、中川前朝鮮皮革會社々長及本場雇員永田鍵君等を煩したる點多く、李王職技師下郡山誠一氏は特に同所々蔵繪畫より貴重なる數點を選択撮影の上寄贈された。
茲に明記して深謝の意を表す。

2.朝鮮犬毛及毛皮の生産及取引状況
従來朝鮮に於て軍需民需若くは輸出用として供出された。犬皮は広く農山漁村民が任意供出の飼養犬皮及警察當局監視の下に野犬と認めて撲殺した畜犬皮等であ つて、之等は撲殺後乾皮として生産者より直接毛皮商に売込むかまたは毛皮仲買人の手を経て毛皮商に渡され、全く自由取引消費體制が行はれて居た。
昭和13年8月以降、皮革が軍需並に生活必需資材として強力な需要調整を圖る必要上、國家は先づ比較使用制限に関する法令(昭和13年8月23日付 朝鮮總督府令第176号)を發布し、次で昭和14年3月15日には皮革の配給統制に関する法令(昭和14年3月15日付 朝鮮總督府令第31号)、更に同15 年3月8日には犬皮、犬毛皮の販賣制限に關する法令(昭和15年3月8日付 朝鮮總督府令第26号)の發布となり、全鮮的に原皮統制機關として朝鮮原皮販賣株式會社が設立され、特別の事由以外は道知事の認可なくしては皮革の使用消費を禁ぜられ、仲買人は買受原皮を販賣業者又は仲買人以外のものに販賣し得 ず、總てその販賣使用は朝鮮賣督の許可制とし、犬皮、犬毛の自由販賣購入消費が許されることゝなつた。
鮮産犬毛皮の年産量は大體10~15萬枚、多き年は50萬枚に上り、今次事變に會し軍需向大量生産を要望され居るも、特に供出の増加を見て居ない。
犬皮の價格は昭和11年頃は1枚に付50錢~1圓50錢、最高2圓70錢に取引されたが、昭和15年8月28日付朝鮮總督府告示第885號に準じて朝鮮産犬毛皮の再興價格が次表の通り指定された。

第一表 犬毛皮(毛長3糎以上にして綿毛の密生せるもの)

帝國ノ犬達-1

尚、夏季の屠殺犬毛皮又は比較的毛短く防寒用として不適當な毛皮は脱毛の上鞣して代用毛皮に供されて居る。犬皮及其のクローム鞣用革の公定最高價格は次表の通りである。
 

帝國ノ犬達-2


3.犬皮及犬毛皮の用途及将來
犬毛皮は從來大衆向衣料資源として主に米國其の他に相當多額の輸出を見た。其の綿毛の密なるものは保温力大きく外観狐毛皮に類似し強靭且安価な點は防寒其の他の實用向毛皮として優る。唯皮の過重が欠點とされて居る。
夏季屠殺の毛皮、南鮮温暖地域成育のものは比較的毛短く防寒に不適のため、寧ろ脱毛して牛ボツクスやキツトに代用される。
然し此皮は強度弱、厚度薄、伸度大、収縮力少き等の欠點ありて牛豚革に比べ實用價値劣るも外觀キツト革の如く頗る美麗で現時皮革類不足の折柄、重要資源たるを失はぬ。
戰時下毛皮皮革の用途は頓に激増し、特に犬毛皮は航空用防寒被服資源として珍重され、其の増産に對する期待は時局下益々大を加へ、假令將來平時に復しても外貨獲得上の重要物資となり、平戰時を問はず正に國策的重要資源である。
犬皮及犬毛皮の用途は大體次の如し。

毛皮
軍需
・毛皮 外套裏地、航空服衣料、敷皮
・革 衣料部分品

民需
・毛皮 擬毛皮(灰色は狼、白色は白狐、赤褐は狐)、コートのトリミング、上服の裏地、防寒用胴着、外套裏地、防寒帽、ハタキ(尾を使用す)
・革 
靴裏皮、靴甲皮(牛ボツクス、キツト代用)、袋物用

帝國ノ犬達-犬毛
 
帝國ノ犬達-3

犬毛皮檢査規格 昭和15年10月 朝鮮陸軍倉庫

一、種類 朝鮮産在來犬トス
ニ、屠殺年齢 概ネ一年以上ヲ標準トス
三、剥皮時期 冬季(概ネ11月下旬ヨリ3月初旬ニ至ル間)

四、區分
 

帝國ノ犬達-犬表


五、毛質
(イ)毛生ノ密度多ニシテ毛並均一ナルコト。
(ロ)毛引強ク綿毛多キコト。
(ハ)糞尿其ノ他ニ依ル毛縺レナキコト
(ニ)洗浄シ得ザル汚レナキコト

六、毛長
約3糎(1寸)ヲ標準トス。

七、毛質
(イ)強靭ニシテ厚度0.7粍ヲ標準トス。
(ロ)張リノ程度ハ前項標準厚度ヲ保チ得ルヲ限度トス。
(ハ)乾燥ハ自然乾燥トシ、脂肪ハ完全ニ之ヲ除去スルコト。
(ニ)油燒、血燒、噛ミ傷、變敗等ノ缺點ナキコト。
(ホ)四肢、尾部、耳等ヲ付着セザルコト。

八、疵引
毛質及皮質ニ於テ上記各項ニ反スル部分ハ其ノ實績ヲ疵引シテ大キサ區分ヲ定ム。
帝國ノ犬達-4

 

これら満洲や朝鮮産の犬皮は、日本産犬革とともに軍需品として流通しました。
また、戦前には樺太地域から満洲へ犬皮が輸出されていたという逆パターンも記録されています。犬皮の輸入・移入ルートは想像以上に複雑だったのでしょう。

 

樺太犬の皮が防寒用毛皮として滿洲地方に百圓以上に賣れると云ふ、養殖狐と一寸間違はれ相な話がある。樺太廳畜産係東技手は「樺太犬の皮は樺太島内でも良いものは三十圓も四十圓もするから、満洲方面では百圓位はするかも知れぬ。しかも犬は狐や其他の毛皮動物 と違ひ、非常に飼ひ易いから百圓が五十圓でも十分引合ふだらう」と愈よ樺太犬も養殖狐なみに副業飼ひが始まり相である。


『毛皮になる樺太犬(昭和8年)』

 

同時期、内地では犬革(加工革)の統制が犬皮(原料皮)へ拡大されようとしていました。

そして犬皮の原料も、野犬から畜犬(ペット)へ及んでいったのです。


(次回へ續く)