時は昭和十年一月廿日、處は秋田縣土崎港將軍遊園地演舞場、記念すべき東北給金定とも云ふべき全國鬪技犬大會、晴の鬪技の幕は切つて落された。

われこそ榮冠を得んとて集つた名犬は、大阪の宮島號、福島の大劍號、次郎長號、新潟の雷光號、山形の八州號、丹下號、盛岡の出雲號、陸奥舘號、大舘の隆號、大雷電號、凾舘の天刃號、地元秋田全縣の各協會代表犬九拾餘頭であつた。

正面觀戰席には、京野氏寄贈の優勝旗七八流を始め、拾數流及び同氏寄贈犬カツプ二個其他主催後援者寄贈の中小カツプ多數飾られ、榮ある持手を待つの觀があつた。

主催者土崎愛犬會長岩間政之助氏代理邑崎氏は先づ立つて開會の挨拶を述べた。

 

「遠く我が東北の斯界を回顧するに、昔から大舘鬪技場に於て年中行事將又東北名物として爾來數十年地犬の猛技に親んで居りましたが、大正の中期に至り湯澤町星華園主人京野兵右衛門氏が、鬪技犬と鬪技の改良を叫び、巨額の私費を投じて本場土佐より古今の名犬横綱雷電を初めとして、吉良小、高陵館、久保、次郎丸等の逸物を續々移入し、日夜鬪技の改良名犬の作出に盡瘁せられ、其の結果幾年ならずして土佐種として東北を代表する大部分は雷電系久保系に覆はれ、數百金を以て縣外へ移出せるもの實に數十頭。

本場土崎にまで逆輸出するの勢力を確保し、改良犬としては不世出の名犬ブラツクを始め、多數の名犬を作出し、中央東京を始め遠く四國、北海道からも斯界の大家が雲集し、其の統制された盛會振りは言語に絶するものがありました。

其後京野氏の不撓不屈なる愛犬精神は益々犬種の改良に、また各縣下愛犬家の親睦につくされたる結果、各縣各地に鬪技犬大會が催されるに至り、春秋二回東北大會が湯澤に開かれました。

其の頃の大會は鬪技界に於ける四國の給金定につぐ不問の内の東北の給金定であり、登龍門でもあつたのであります。

從つて我々は氏が主催する湯澤の大會を目指し、晴れて輸贏を決するを樂しみとして競つて飼育し訓練したのでありました。東北各地鬪技犬の在る所必ず京野氏の足跡あり、氏の足跡在る所には必ず名犬作出家の居つたのを見ても、如何に氏が斯界の啓發達成につとめ、良く説き良く指導したかが明かなのであります。

現在關東、關西、四國方面にまで東北の鬪技犬として特別な味を以て優位に對抗し得られるまでになつた事は一に氏の奮鬪努力の賜に外ならないのであります。

如斯界東北鬪技犬界の偉大なる功勞者であり恩人である京野氏は、都合上先年住居を東京に移しました。

吾々後輩は氏が殘した幾多の足跡を追慕する念やみ難く、こゝに氏の徳を記念する意味をもつて、全國の鬪技犬協會に懇請致しましたる處、幸に目下關西に覇を鳴らす苦島號を始め各地代表犬の参加を得まして、吾等の京野氏に對し聊か報恩に供したく一日親しく往時をしのびながら、空前絶後の名取組を滿喫し、一方この機會に斯道の聯絡を諮り、春秋大會を開催し、今後の發展親睦の一助たらん事を希ふ次第であります」

 

時に午前九時、主賓京野氏は云ふに及ばず、遠く土佐より久川氏、大阪より苦島の持主及び司號の飼育者森氏、東京より當普及會理事中島氏、會津若松の林氏等、さしもなる演舞場も觀戰者早朝よりつめかけ、既に立錐の席もない程の有様であつた。

主審秋田縣増田の伊藤辰治氏、山形縣酒田の伊藤三郎氏、秋田縣能代の柳田兼治氏、タイム秋田縣十文字の邑崎氏、いづれも斯界の權威。

龍虎相搏つ猛鬪は、開始せられたのである。

 

土佐犬普及會鬪技犬部記者 昭和10年