昭和14年に陸軍省医務局が採用した失明軍人誘導犬の記録については、『戰盲勇士の誘導犬記』というレポートに纏められました。

このレポートは舛田宇三郎准尉とカロル(陸軍での通称はボド)、平田宗行軍曹とリタの部に区分されています。当ブログでは双方を集約した内容しか掲載していなかったため、今回はリタの部分をどうぞ。

 

帝國ノ犬達-りた

陸軍病院で障害物回避訓練中の平田軍曹とリタ(陸軍省医務局撮影)

 

戰盲勇士の誘導犬記 日誌抜粋(※原文はカナ文です)

歩兵軍曹 平田宗行

 

誘導犬リタの略歴

犬名 リタ・フオン・デル・リユツツエルブルグ
一九三六年一月二日生ル。牝。毛色、黑黄色斑。
一九三九年一月十七日ポツダム誘導犬訓練學校に入學。
同年四月十七日卒業。
四月十八日獨逸ブレーメン港を出發。
五月二十六日神戸港到着。
相馬安雄氏の所有となり、同氏邸に於て再訓練をなし、八月七日臨時東京第一陸軍病院第に外科に來る。

※相馬氏は入院中のため、リタの日本語馴化訓練はなされませんでした。

 

八月七日 第一日 月曜日

日本シエパード犬協會の蟻川(※定俊)氏に連れられて正午病院に到着。先づ出來る丈け犬を愛する様に言はる。夫れは犬に對し私を主人と思はしめ懐かせる爲である。私は嫌つて傍へも寄り付かないだらうと思つたが、其の様な事もなく案外馴れ馴れしくして呉れた。何分我國では最初の試みなので大きな責任を感じた

八月八日 第二日 火曜日

協會の蟻川氏が指導に毎日來院されることになり、午前八時御出になつた。蟻川氏も犬の私に對する親しみを大變氣にして居られた様子だつたが、一晩私のベツトの下で寝た丈けで大分私に懐いたので、幾らか安心されて居た様子であつた。夫れでも蟻川氏を見ると「リタ」は喜んで飛び付いて行つた。早く自分のものにしたいと思つてゐる私にとつては何かしら淋しい様な氣がした。

今日は簡單な命令語を與へて、犬に實施させるのであるが好くやつて呉れた。今日一日は早く私に懐かせる爲めに凡ゆる手段を採つて『リタ』の氣嫌を取つた

八月九日 第三日 水曜日

今日はすつかり懐いて私のものになつて了つた様な感がする。蟻川氏も喜んで居られる。引綱を外して自由にさせ、私の所へ來る様に呼ぶと、何うかと思つたたのか、直ぐ足許に飛んで來た。其の時の嬉しさは丸で子供の様であつた。もう大変懐く様になつたので室に置いて屋外に出ることが可愛想に成つて來た。

八月十日 第四日 木曜日

蟻川氏が豫想以上に「リタ」の懐きが早いと云ふので、愈々本格的訓練を初める爲めに誘導把を持つて來られた。初めて手に觸れた時、此の把手を握つて誘導されるのかと思ふと、一縷の光明を得た様に思つた。

話には聞いて居たが、誘導把を付けると犬は大きな責任を負はされた様に非常に緊張する。先づ訓練の爲誘導把に掴まつて屋外に出た。蟻川氏に指導されて誘導法をイロイロ行つたが中々慎重に誘導して呉れた。訓練を済ませ、室に歸り誘導把を外すと、ベツトの下に飛び込んでぐつたりとした様子だつた。夫れは誘導把を付けると犬が非常に緊張するからだそうである。夫れで外すと責任を果したと思つて樂な氣持に成るのである。

今日はもう大變好く懐いて、食事の時ベツトの下に置いて私一人が食卓に行くと「クンクン」鼻を鳴らして淋しがる。早速傍に連れて來て食事をしたが、もう大丈夫と思つた。若し一人で室を出た後、歸つて來ると飛び付いて來て何故連れて行かなかつたと言つた様な恰好で顔を摺り寄せて來る。斯んなに馴れるとニ、三歩犬から離れるのでも連れて歩き度い様な氣がする。「リタ」に大變蚤が居ると云ふので、婦長殿(※藤川ハナ氏)と二人で藥湯を使はせた。婦長殿も大變熱心に世話して下さるので、其の都度教へられる所が非常に多い。

八月十一日 第五日 金曜日

朝起床の時刻が近付くと人の足音も次第に繁く成つて來る。すると「リタ」はベツトの下から飛び出して私に頬擦をして來る。多分起きろと言ふのであらう。斯うした事が只親しむこと丈けでなく、家族的味ひを持たせて呉れる。盲目の自分にとつては人に分つ事の出來ない樂しさである。

もう朝のラヂオ体操に屋上迄誘導して呉れる。何時もの時刻に蟻川氏が御出になつて直ぐ訓練に出た。

今日も誘導訓練を行つたのであるが、「リタ」は環境にも馴れたらしく、一擧一動が大變落付いて來た。從つて誘導法も適格である。訓練を終り、病室に歸り蟻川氏に誘導犬に關する先輩の言葉や文献を、或は讀んで頂き或は話して頂いて、認識を其の日其の日に深くする。

八月十二日 第六日 土曜日

今朝も「リタ」に起された。廊下の九官鳥が「お早やう、お早やう」と始めると、「リタ」は早速ベツトの下から飛び出して鼻先で私の横顔を突つくのであつた。今迄と違つて「リタ」に斯うして起されることは重ね重ねも嬉しいことである。

何時もの時間に蟻川氏が來られ直ぐ訓練に出る。朝の爽快な氣持ちで「リタ」と共に遊び共に訓練することは一日の間で最も樂しい時である。今日は簡單な障害物回避訓練を行つた。誘導法は大變上手で大きな確信と安心を與へて呉れた。訓練終了後、病室に歸り例に依つて蟻川氏から文献を読んで頂いた。蟻川氏は熱心に、而も親切に指導して下さるので非常に嬉しい。

八月十三日 第七日 日曜日

今日は何時よりも早く蟻川氏が協會の磯部氏(※盲導犬ボドの異母兄妹、盲導犬リチルトの寄贈者である磯部坤三JSV理事)と二人して御出になつた。少し雑談を交して直ぐ訓練に出た。外に出る迄の誘導法も日毎に好くなつて來る。階段を幾つも降りるので、朝毎に好く誘導法の進捗が目立つのである。
今日は同じく障害回避訓練である。昨日よりはずつと難かしい物を行つたが、昨日同様結果良好であつた。

 

訓練中に感じた事
(一)「リタ」は丁字路、十字路、極度の高低、曲り道、比較的大きな障害物は誘導に注意するも、比較的小さい物、比較的高低の少い段などは無關心なるを以て訓練を要す。
(ニ)「リタ」に誘導されつゝある時、「リタ」の方で行く可き道を認識しつゝ歩いて居るにも拘らず、人の方で方向を間違つて居る様に感じ、無理に我が方に犬を引き向け様とすることは「リタ」の誘導上の自信を損する恐れあるを以て注意を要す。
(三)「リタ」を信頼する事。夫れは甚しく危險なものは犬の方でも好く解るから、人も危險が伴はないことを理解し、訓練しなければならぬ。
人が躊躇すれば犬も亦躊躇するからである。
(四)杖の活用。歩行の責任を犬にのみ負はせてはならない。犬に誘導されつつある場合犬の左方前方は絶對に安心なるも、人の右前方に危險を生ずる恐れあるを以て右手杖によつて人は右前方を擔當し、歩行の安全を保ち、犬の足らざるを補ひ、杖を巧みに、而かも有利に使用して犬の好き補佐役として補はなければならない。
(五)立体訓練の必要。横の訓練は比較的容易なるも、上方の障害物(例へば樹木の枝、干物竿の如き)に對する訓練は困難と思ふが、之も絶對に必要なことである。此の事に就いては指導者の蟻川氏が既に腹案を持つて居られる事であるが、痛切に感じたる事の一つである。
(六)好結果を得る爲めに性急に苛々して訓練することは禁物である。相手は動物である丈けに濡手で粟を握む様な急遽に萬點を得獲することは早計である。先づ長い訓練を要すと思ふ可し。

「リタ」との融合親和
初めて犬と起居し、自分に犬を懐かせる爲めに出來る丈け數多く犬に接し、犬の喜ぶことを多く發見し、之を巧みに犬に處して人犬相互の間に溝なきを計り好き伴侶としなければならない。尚親和に全力を盡し過ぎる時は、主人が甘く見られる恐れあるを以て賞罰の施し方に留意するを要す。

週末の感想(第一週)
前略……、斯うして私に懐けば懐く程「リタ」への愛が増して來る。此の様にして盲目の自分と犬とより親しくなつて行く事は堪らない喜びである。將來増々親和を密にし、室内に於て、外出に際し、一身一體となつて生活をすれば我々盲人の生活の上に、大きな慰安と喜びを與へて呉れ、家族的な潤を持たせて呉れるであろう。盲人は社會をより廣く、より明るく生き度いと冀ふ。誘導犬によつて以上の如くに樂しみ喜べるから、夫れは焼付く様な眞夏の太陽に木蔭と微風を與へた如く、仲秋の名月に澁い枝振りの松を添へたるが如く、又穂薄を添加する如く正眼者に味ふことの出來ない「パラダイス」であろう。リタよ、眼となれ、心となれ。

 

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八月十四日 第八日 月曜日
前略―、側面より進行する障害に對しては通過するを待ち犬自ら前進す。
八月十五日 第九日 火曜日
前略―、同一訓練は反覆長時間を行ふ事は犬に訓練を嫌はせる恐れある故、潮時を見て止める事が良い。
八月十六日 第十日 水曜日
前略―、今日は體の「コンデインシヨン」が惡かつたらしく、眞劔でなかつた。こんな時には加減して、犬をして訓練を嫌はしめぬ事が大切である。
八月十七日 第十一日 木曜日
前略―、自分一人で歩けば怪我をする様な所を巧に誘導し、好成績を擧げた。

「リタ」は馴れない人に對し吠へるので(※猫と蠅にも異様な敵愾心を持っていました)、迷惑をかけたが二日間の矯正によつて殆んど吠へなくなつた。

同十八日 第十二日 金曜日

全文略。

同十九日 第十三日 土曜日

全文略。
八月二十日 第十四日 日曜日
前略―、病院屋内の障害に對する回避法は確實且つ安全である。上の障害物以外の障害物に對しては、充分なる安全感を持たせて呉れた。

訓練中に感じた事
(一)犬に誘導され歩行しある時は無論、人犬相互の共同作業であらねばならない事言を俟たない。故に誘導されつゝある人は誘導把に生ずる感覺によつて、犬の意圖並に行動を察知し、犬をして長時間躊躇せしめぬ様注意を要す。
(ニ)不斉地訓練の弊害としては、道路に對する觀念を阻害する恐れあることを指摘し得る。夫れは將來道路を誘導される爲めの訓練が主であるからである。
(三)或る程度障害物に對する訓練を終了したならば、犬に自己の行く可き目標を明確に與へ命令された場所に安全に誘導せしめる様の訓練が必要である。夫れは犬である丈けに何か注意を曳かれた場合に他所見をして立停まるから之を矯正する爲め必要である。

週末感想(第二週)
保健と誘導犬。眼を失つた事によつて自由を失ひ、從つて運動を著しく減殺され、盲人は運動不足となり遂に健康を害する恐がある。盲人はこの弊害を如何にして除去し如何にして健康を保つ可きか、私は此の意味に於て誘導犬を第一に數へたい。野外の散歩等に於て、犬を相手に各種各様の運動を行ふ事が出來る。單獨若しくは人を相手として行ふ事の出來ない運動が出來るから、盲人の保健更に健康増進に誘導犬の寄與する所は非常に多い。將來私は誘導犬を相手として「スポーツ」も研究して見度いと思ふ。

 

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八月二十二日 第十六日 火曜日
各個の訓練課程を終へ、今日は道路の觀念を訓練する。就中左右の觀念を與へる爲め、第一日として左側を通過せしめ左を確認せしめる様訓練した。蟻川氏の適切なる指導により、進歩は目覺しいものがある。當局の御熱心により服装も輕快なる運動衣を與へられ、朝の大氣を全身に吸ひ、何んの危險も感ぜず歩行した時は、恰も雛鳥が巣から初めて飛び立つた様な爽快さである。恐らく戰盲の人で此の様な爽快さを味つた者は無いであろうとさへ思はれた。

 

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訓練中に感じた事
(一)人犬相互の歩度の整一。歩度の不整なる時は犬が人よりも早く前進する爲め勢ひ人が犬に引張られる様になる。從つて犬も人も疲勞する此の種の疲勞は出來る丈け除く様心掛けねばならない。尚又誘導把の持ち方は握り締めるよりも寧ろ握把を掌中に遊ばせて誘導される様にしなければならない。斯くする方が握り締めて居るよりも手に來る感覺が細かいからである。誘導把より手に齎される感覺は一種の電氣作用的でなければならない。之が爲めに歩度整一をする可く訓練を要す。
(ニ)犬を理解する事。犬を好く理解することは犬をして人を理解せしめることになる。斯くして賞罰の與へ方に意を用ひ人犬一如となつて誘導法の進捗向上を計らねばならない。
(三)歩行中に自己の擔當區域を注意する事は勿論であるが、犬が停止した様な場合必ず杖を以て周圍を探つて見なければならない。犬が停止した時、夫れが通過不可能な障害に當面したのか、命令した目的地に到着したのか解らない場合があるからである。

週末感想(第四週)
米国の盲人ゴルドン氏が誘導犬を持つた事によつて獨立と自由を贏ち得たと言ふ。羨しい限りである。將來我國の盲人も此の「レベル」に迄到達したならばどんなに明るく幸であろうか。今週に入つて私は人に分つ事の出來ない喜びを感じた。夫れは當局の御配慮によつて「スリツパ」を靴に穿き代へ、白衣を運動服に着代へて初めて訓練に出る時の氣分である。身も輕く、心も輕く、朝の爽かな空氣を吸つて歩行した時の爽快さは全く自己の不具を征服し切つたかの感があり、今事變の戰盲の人々が未だ嘗て此の様な味ひをした事がないであろうとさへ思つた程である。私と運命を共にした勇士が來る可き社會を誘導犬にによつて、街路を颯爽と闊歩出來るならば、神が我等に與へて呉れた慰安と喜びであると言はなければならない。又之を心から希ふものである。

 

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第四週訓練中に感じた事
(一)訓練を始めて滿四週目になる。そろそろ自信を持ち出したので、旺に暴冒險をやつて見たくなる。之は初歩の者にとりて大いに自重しなければ危險を伴ふ心す可き事である。
(ニ)犬の個癖を知らねばならぬ。犬は夫々性質が異ると同時に特有の個癖もあるから、之を發見して誘導作業に支障なからしめ、其の進歩を計らねばならない。
(三)障害物に對する誘導に際し、回避して誘導す可きか、又停止して臨機應變的に円滑に誘導する様訓練する可きである。
週末の感想
私は今週に入つて這ひ廻つて居た赤坊が初めて立つて二足、三足歩きかけた時の様な喜びを得た。今週に入つてからは毎日訓練後散歩を兼ねた自然障害に對する訓練として、院内を一巡したのであるが、此の間は一人ではとても歩く事の出來ない難コースを征服した。一米足らずの道幅、而かも急斜面や起伏、凸凹あり、更に雑木が覆ひ冠さつて居る場所で、宛ら登山の様であつた。

初秋の朝、木の葉の露を全身に浴びて難路を征服した爽快な心地、神ならでは察する事が出來ないであろう。將來は平坦地の道路は勿論、正眼者と同道すれば登山迄も可能である事を信じて疑はない。

神は人類の爲めに宇宙に存在する凡ゆるものを與へられたのであるから、人は凡ゆる神の恵みに感謝し、之を最も合理適切且つ有効に活用しなければならない。此の意味に於て誘導犬も亦神が我々盲人に與へし眼とも言ひ得やう。犬をして我々の生活に交渉を持たせ、善き歩行の伴侶とし、心の慰めともして明るく其の日其の日を家庭に職場に過すならば、よし小さくとも犬をして再起奉公の一助ともする事が出來るのである。

 

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九月九日 第三十三日 火曜日
今日は殊に誘導が圓滑且つ適確であつた。行程約二千米、此の間殆ど蟻川氏の指導なく而かも道は至つて複雑多岐であるが、悠々之を突破して病室に歸つた。又障害に對する應用動作も随所に感ぜられ、實に喜ばしい。「リタ」シーズン第十七日なるも少量の出血を見る。
第五週の訓練中に感じた事
犬に誘導されて歩行する事は、密切なる人犬の共同作業である可きは言を俟たないが、誘導される人は犬の訓練以上に感によつて方向を定める様自己訓練を爲すことが絶對必要である。人は常に犬を指導す可き立場に在り犬をして當面する障害のみを擔當せしめ、人は何時も方向を知つて置かねばならない。人に方向の觀念がなければ必然的に犬を躊躇せしめ、基礎訓練に於て習得せしめるものを阻害するから、訓練は犬よりも寧ろ人に在るから、應用訓練を行ふ時道路の方向及び關係を知つてから始める事が必要である。
週末感想
今週に入つて犬と起居を共にしてから滿一ケ月になる。毎週末に記した感想を一括して月末の感想としやう。

先ず誘導犬を持つ事は、盲人の生活をより明るくする。此の一言に盡きるのであるが、列擧すれば慰めと喜びを與へ、而して生活に潤を持たせ日常の自己の行動に對し、好き伴侶となつて呉れる。飼育も頗る簡單である。從つて飼育費も輕少である。僅か一ケ月間の犬との共同生活によつて既に自由と解放とを感じて居る。


以上の體驗と將來の確信とを以て過日、東京盲學校澤田教諭の指摘された誘導犬の缺點なるものに對し一言して見よう。

※読売新聞昭和14年8月20日夕刊で報じられた、東京盲学校澤田教諭の盲導犬不要論は下記のとおりです

盲導犬・日本人には不適當 / 座敷に不向きな上經費が莫大にかゝる / むしろ妻帶が第一 
・澤田氏の發表

祖國に光明を捧げた失明勇士の手とも、足ともならうといふ盲導犬が果してわが勇士たちに適すかどうか…。薄幸な失明者更正教育觀察のためアメリカ・ボストンのパーキンス盲學院で約一年間光明學を研究して去年末歸朝した東京盲學校教授澤田慶治氏(三九)は光明教育に注いだ眞摯な研究から、『盲導犬は現在のところわが國に絶對不適當です』とわが國情と生活状態を無視していたづらに鵜呑みする外國模倣の非を警告してゐる。

同氏は今厚生省、傷民保護院そのほか救盲諸團體の依嘱をうけて、尊い經驗と研究の成果につき講演や座談會などを行つてゐるが、その都度“盲導犬不適當”の點にも言及してをり、早くからわが國に入つてきた盲導犬やセント・ダンスタンス式盲人集團生活等の可否について獨自の研究を發表してセンセーシヨンを起こしてゐる。
澤田氏の意見によると、犬は日本座敷に不向だから失明者の常住座敷に付添ふのに不適當なうへ、訓練の至難と相俟つてその經費は莫大なものとなる。アメリカでは富福な財政を得て、この飼育費にあてられてゐるから經濟的にも成立してゐるが、根本的な經濟状態が違ふわが國では極めて困難である等々、盲導犬の不適當な點を指摘し、むしろ失明者は直ちによき半身を得よと妻帯を强調してゐる。
以下小石川の自邸で熱心に語る氏の盲導犬不適當論である。
『大きな犬を必要とする盲導犬は日本家屋に不向きなことは看過出來ません。また四、五歳位からでないと使ひものにならないので、その寿命も至つて短いのです。そのうへ高價な犬ですから、さうたやすく買ふことは出來ないでせう。勇士達には極力妻帶をすゝめてゐます。
盲導犬に代るもの、これこそ躍進日本が創り上げなければならないものだと思つています』


氏は我が國に於て盲人が犬を使役する事は外國の模倣であるとした。恐らく自國の文化の向上の爲めには、其の國獨特のもののみではいけないであらう。短を省き、長は廣く海外に求めて各分野に於ける進歩、向上を圖らなければならない。諸外國に於て犬を盲人誘導に使役してゐる事は實役に大いに役立つからであつて、彼等は不利である事は絶對に行はない筈である。
此の意味に於て我が國に於ても誘導犬を大いに研究す可きであると思ふ。

宇宙に存在する凡ゆるものは神が人類に與へし洋遠なる恵であるから、人類は一木、一草に至る迄、合理適切且つ有効に使はなければならない。一つの鑛脈を持つ山を發見したとしても、之を發掘して世に送り出さなければ其の山を唯景觀するに過ぎない。

一方に於て鑛脈を掘り、他方に於て景觀もしたならば山としての眞價を現はす事が出來、夫れが唯一の神への感謝でなければならない。

尚又氏の言ふ、我國の家屋に不向きであると云ふ點に就いて、將來への信念を述べて見やう。

犬は内國産の犬も外國産のものも、犬そのものには大差はないであろう。外國に生まれた犬は幼い時から其國の生活様式に添つて育つて居るのであるから、我國に生れた犬は我國の生活様式に合致する様訓練すれば何等不便を感じないのである。假に夜間犬舎へ入れて置いても、誘導作業に支障を來す心配はない。要するに犬は教育次第で何うにでも仕上げられる事を知らねばならない。
次に氏は、犬よりも配偶者を與へよと言ふが、犬を配偶者の對象にする等笑止千萬と云はねばならない。人は配偶者を持つ可き事必然の事である。盲人で誘導犬を持つ事は外に於ける補助伴侶とする爲である。

或人は犬を持たなくても、獨歩しても好からうと言ふかも知れない。又人に手を曳かれれば好いではないかと言ふであらう。然し恐らく盲人として獨立、自由、解放を希望せぬ者は絶無であらう。

假に一人の盲人で杖を頼りに覺束ない足取りで不安氣に歩行する所へ、誘導犬に導かれた盲人が颯爽と闊歩して行く所を第三者が見たならば、見た目丈でさへ格段の相違がある。況んや兩者盲人の心境の相違は正眼者の決して察する事の出來ない大なるものである。又、人に手を曳かれるとしたならば盲人一人の爲に餘計な人が一人無駄となる事がある。此の意味からすれば盲導犬は人的資源の補ひともなるのである。
尚又價格に就いてであるが、誘導犬は一々海外かに仰ぐから高價となるのであつて、内國産のシエパード犬を訓練し使役するなれば比較的安價である事は當事者が言明して居る所である。將來もつともつと廣く犬を實役に使用するならば、犬に對する一般の認識も深くなり、從つて増殖も計られ、勢ひ値段も安くなるであらう。
又或る盲人團體が、盲人が誘導犬を持つ事は盲人の地位を犬に迄低下せしむるものであると言つたそうであるが、之は謬見も甚しい。神聖なる仕事を犬に與へたに過ぎないのである。先進國では誘導犬を公僕と呼んで居る。誘導犬シエパードは從順性に富み、主人への思ひ遣りが實に深く、忠僕の御手本とも言へる。

尚又人は馬を使役し、牛を利用して居る。牛の如きは乳を以て人の榮養の糧とし、更に肉迄も食用に供して居るではないか。もつともつと廣く大きく物を考へて貰い度ひものである。

最後に盲人の保健と誘導に就いて一言しやう。

盲人は光りを奪はれたと同時に遍く運動の機會をも奪はれたものである。從つて身体が虚弱に成り易い。誘導犬を持つて居るならば此の弊害を防ぐ事が出來る。

犬の有無は歩行の點丈けでも全身に與へる運動に非常な相違を與へる。私は誘導犬を持つ迄は一人で歩いても手を曳かれて歩いても、何となく足許が地に落付かず正眼者當時の様に大地を踏み占めて歩く様な感がしなかつた。夫れが最近では犬と歩けば一歩一歩がさも歩いているらしく感ぜられ、誠に歩き心地が良い。又最近訓練中に於て、起伏、凹凸、而かも急斜面で甚しい難路な小山にも登つて見た。此の時犬に誘導されゝば登山も可能であると言ふ確信を得た。

之は人に連れられてでも出來得る事ではあるが、犬に導かれて頂上を極めたならば其の獨立の喜びこそ千金に價するであろう。尚其の他一般野外に於て人を相手として行ふ事の出來ない運動を、犬と共に出來るから、此の事は大いに强調したい点である。
以上を以て澤田氏の指摘された點は自ら解消するものと思ふ。要するに言葉の人でなく、實行の人であれば良いのだ。新分野の開拓する時は批評もあらう。批判もされ様。眞の滿場一致の議決は恐らくは何處にも無いであろう。

 

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第六週の訓練中に感じた事
(1)命令の徹底。之は基礎訓練に於て最も大切な事であり、從つて之に意を用ひ訓練するのであるが、日を經るに從つて犬への愛が倍加されて行く爲め、犬をして實施せしめなければならない事を鷹揚に見逃す様になり、遂には犬が命令を厳守しない迄に甘やかす怖れがある。初めて犬を飼ふ人が必ず一度は經驗する事であるが注意を要す。
(2)誘導作業の厳正。犬への愛情が増して弊害を齎す點は少くないが、誘導作業中に於ても人犬相互の共同が密になり、馴れるに從つて犬をして停止せしむべき所を停止しなかつたり、人が杖を以て探つて然る後に行進を起す可き所を探らずして行進したりする様に成り勝ちである。之は誘導される者の最も注意す可き點である。生兵法大怪我の基ともなり、折角の基礎訓練を崩して了うから如何に熟練はしても、當然行はなければならない事は決して疎かにしてはならない。
牝誘導犬の「シーズン」に就いて
「リタ」の「シーズン」を發見して終了迄十八日間。此の間精神状態には大して變化はない。少し氣持ちが苛立つ様であつたが、取るに足らない。第十二日目より第十六日迄の五日間は目立つて異性を慕ふから、交配を許されないものは注意を要す。尚「シーズン」が終了して後に、三日間は非常に氣持ちが苛々する様である。
週末の感想
犬に對する教育の進度に連れて事情が許すならば、徐々に訓練の程度を上げ、且つ實際的訓練を施し、訓練法の進歩を計らねばならない。現在程度に迄教育が出來上がつたならば一週間の訓練豫定を作り、或は一日は命令の徹底訓練をなし、或一日は障害回避訓練とし、又一日は左右及び幅の觀念並に階段昇降の訓練をなし、或る一日は野外即ち街路に出て實際訓練を施すと言ふ風にするのが良いと思ふ。將來の目的は街路の誘導に在るから、之は特に數多く行ふ方が良い。

第七週の訓練中に感じた事
犬が誘導中に失敗のあつた場合、之を寛大に見逃してはならない。基礎訓練終了後と雖も誘導の厳正を要求し、失敗の場合は其の場所に於て誘導の惡かつた事を知らしめ今一度、同一場所を通過せしめ、再び同様の失敗を繰り返させぬ様心掛けねばならない。

之は誰しも感ずることであるが、初心者は犬が可愛い余り兎角小さな事は見逃し勝ちになり易いから、要求す可き點は厳格になし、愛に溺れ誘導作業の不確實にならぬ様注意が大切である。犬の訓練と同時に人も自ら訓練を怠つてはならない事は幾度となく痛感した所であるが、犬の夫れ以上に人の訓練に心掛け、其の事によつて出來る丈け早く犬を信頼する様に成らねばならない。其の絶對に必要なる事を一例を擧げて見ると、歩行中に何等かの障害によつて人は氣が散り其の瞬間錯覺を起し、進路の方向觀るをあやまる場合がある。此の時人が進路を右と思ひ進まんとするが、犬の方では盛んに左に引き立てる。不思議に思つて犬の誘導に任せ進んで見ると、「ハツト」氣が付く。

犬が正しい方向に進んで居たのである。此の場合、犬を信頼しなかつたならば道を誤る許りではなく、犬の信念をも犯す事に成る。故に斯くの如き場合は、犬の動作によつて判斷しなければならない。誘導把に生ずる感に據つて、犬が確信を以て進むのか、或は覺束なく進むのかを機敏に察知せねばならない。夫れが爲めに、人の自己鍛錬と、夫れに基き犬を信頼する事が大切である(以上)

 

リタは平田軍曹の故郷石川県で過ごした後、陸軍病院へ返却。続いて安部米吉曹長に貸与され、終戦まで大分県での誘導任務にあたりました。

戦後しばらくして、フィラリア症の悪化により死亡したとの事です。