舊臘廿一日夜、阿波の鳴門獵區へ入場する爲に兵庫島上商船待合に駆付けた獵士四名あり。曰はく、南蠻骨増田凸坊、谷川青水、及び本編の主人公須磨縣知事有坂忠平朝臣だ。

凸坊は神戸獵犬學校より、朝臣は田丸獵犬訓練所より買求めた御自慢の獵犬の頭を撫でながら、えー氣分に浸つてゐる。

此方は變骨「今頃の獨逸ポインターにしては二頭共可なり整つてるが、此肥え様はどーだ」

青水「鳴門の山は大きいとは云へぬが、樂な山ではない。一日續くかしらん」

變骨「いや半日が心配だ。併し豚としては申分ない。船會社が獵犬として取扱ふや又豚と認定するかは頗る見物だぜ」

こんな惡口は御兩人共毛頭御存じないのはお芽出度い。―それもその筈だ。御兩人の頭の毛と來たら甚だ心細い―併し凸坊が旨く船會社の男を誤魔化して兎も角犬として、乗船切符をせしめたのは御手際だつた。こんな事には餘程慣れてると見える。

暫く待つてゐる間に汽船が桟橋に着いて、客はぞろ〃乗船し始めた。

朝臣はお歳のせいかすたこら〃船の方へ犬も連れずに急いで行つて了つた。

犬はがら明になつた待合所の柱に繋がれながら、主人の無情を喞つかの如く「クン〃」鳴いてゐる。青水は嘗ての獵の歸りに、此待合所で犬を盗まれた事がある。

青水は嘗て獵の歸りに、此待合所で犬を盗まれた事がある。仲々油斷のならぬ所だ。

狩獵家にとつて一番大切な犬、その犬を寒い待合所の柱に繋ぎ忘れて、自分は暖かい船室に収まらうといふのは、如何に朝臣にしても鷹揚過ぎる。

一行の誰かゞ小買物の爲に遅れて此有様を見、驚き注進すると、流石の朝臣もこれには愕然。あはてゝ犬を連れに行つてやつと出帆に間に合ふた。

一行は此思はざる喜劇に、腹の皮が痛くなる程上機嫌の裡に出帆した。

こんな暢氣な手合でも、阿波の雉は柔順なと見え、翌夜一行が再び此待合所に歸つて來た時には、各若干の獲物を腰にしてゐた。先づは芽出度し〃。

 

青水記『獵犬を忘れた話・今様朝臣のしくぢり』より