第三、甘味料の取得案

砂糖其物は仲々容易に得られないものであるから、その代用品を得ることが先決問題である。元來佐藤は日本では昔は使用して居なかつたもので、實際上砂糖が無くても別に困ることはなく、結構他の材料から得られたものである。

即ち糖分は甘蕪などに依存しなくても蕪糖果糖等種々の糖分が他の方から得られるもので、それで立派な體格を作つて來たのであるし、餅などは葡萄糖取上大なる役割を持つて來たものである。

何も結晶性砂糖を必要とせず、又この純粋に近い結晶性のものを摂取することによつて却つて胃腸を害し健康を壊はし不利有害の結果を招くことが多いのである。
昔の人はこの點から見ても身體が強壮であつたのである。
砂糖の消費量は文明の尺度になるなどといふ説もあるが、文明必ずしも人生の幸福を意味するものでなく、一方的斷定ではないかと疑はれるのである。事實砂糖の過食により胃腸疾患、齒疾が増加してゐる。
犬など昔から砂糖を必要としてゐない。只人間が間食する際に接伴さして菓子類を與へるために甘味に慣れて來て、終には無性に欲しがる様になつて始末を惡くしてゐる傾きがある。
しかし發育上砂糖を與へることはその適當量の使用により有利であるし、又調教馴致の場合之を用ふるのが得策であるから、多少考へてやらなければなるまい。
勿論生れ立ての時から砂糖分を與へない様に躾をすることは最も好ましいところである。蛔蟲豫防や佝僂病防止に餘程役立つ譯である。
只淡い甘味、甘鹽加減のもので犬の味覺を賑はして喜ばしてやることは愛敬關係を繋いでゆく上に或程度必要であらうと思はれる。
次に大體の甘味取得法を述べて見よう。
穀物及蔬菜から得る方法として、は甜菜、蕪、大根、砂糖キビ(高粱)、高粱飴、麦飴、西瓜、甜瓜、南瓜、胡蘿蔔、甘薯、甘薯の切干、甘味噌、麹。
果樹類からは葡萄、葡萄酒、梨、林檎、杏、棗等があり、特に柿は甘柿の外澁柿でも之を干柿とすれば勿體ない甘味が得られることは周知の通りである。
動物質では蜂蜜がある。
砂糖が絶對必要のものでないのは前記の通りであるが、肉類も概ね之と同様なことが言ひ得ると思ふ。
犬は肉食獸であるから是非鳥、獸、魚骨をやるといふのは謬見で、この觀念で軍用犬を飼つて居る人が相當數に上つて居ることは否定出來ない。人間でも肉食を禁じて居る僧侶があり、又菜食主義で通してゐるものがあつて、優れた健康と智能とを持つて人一倍の活動をしてゐる實例が無數にあるのである。
又馬や牛や羊の體肉は草食によつて化成生れたものであることに想到すれば、何も他の生命を犠牲にしてまで食てゆかねばならぬといふ眞理はない筈である。
實際上からも理論上からも全然成り立たない問題ではないか。
即ち犬には必ずしも肉を與へるに及ばぬのであり、又事實肉なしで立派に育てて居る人もあるのである。
普通の人間でさへ肉なしで通すことがあるし、田舎では年一、二回の肉食といふのがザラにあるのであるから、肉の取得に就いては特に大なる考慮苦心を必要しないといふことにあり、只安價に得られる場合には與へてやれば大喜びであり、大助かりである。
問題の究極は蛋白質の給與にあるので、動物性蛋白(主として肉類)にのみ依存するのはこの時勢に於いては不適當であり、又食糧問題解決上速かに是正さるべき事柄である。
植物性蛋白としては大豆もあり、其他蛋白質は多少の差こそあれ大概の食物に含まれてゐるし、生理上特に多量の蛋白分を攝らなくても自身の肉を増し又之を維持してゆくことは出來るものである。
一方蛋白質の過量攝取に基く諸害(疾患)、蛋白食料の特に高價なることを考へて見る必要がある。
贅澤は敵である。人の喰ひ剰しの肉類骨類を利用して與へても結構珍味となる筈である。
肉が無ければ喰はぬとて頑張る人もあるが、飢餓處置では兜を脱ぐものであるから、之が矯正も時局柄必要なことである。野良犬でも塵溜漁りで頑丈な體軀と旺盛な氣力を持つてゐるのがあるが、これ等を見る時、屢々此事に思ひ到るのである。

※次回へ続く

 

満州軍用犬協会 吉本豊繁『戰時犬糧の擴充と經濟的給與法(昭和18年)』より