英吉利産と拂蘭西産では余程相違して居るのであるから、其を區別する爲めにはイングリツシユ・ブルドツグ、フレンチ・ブルドツグと云はねばならないのは勿論であるが、我國へはフレンチ・ブルは殆ど輸入されて居ないから、此所では單にブルドツグと呼ぶのは英ブルのことであると豫め了知を願つて、扨、そのブルドツグであるが、一次は實に飛ぶ鳥を落すほどの全盛を誇つたもので、大阪の小菅米策氏が當時としては法外な四千圓を投げ出してカクラス・ハート(呼稱ブラー號)を手に入れられた頃など、彼ブルドツグは英國の國犬であり、亦た我が犬界の王座を占めて居たものであつた。
それが怎うかした機會からか頓に人氣を落して、昨年あたりは殆ど顧みるものもなくなつたと云ふ程な慘めさであつた。
一時人氣の高潮に乗つて居たゞけに、ブルドツグとセターの犬界から閑却されたことは殊更に物の哀れを覺へさせられる。
とは云へ、彼ブルドツグには彼のグロテスクな顔に何となく愛嬌があり、而も主人に對する愛情のこまやかなこと、凡そ犬の中でも彼の右に出るものはからうと云はれるほどであるから、一度彼を飼つた向は彼に對する執着を如何ともすることが出來ないのである。
其故に最近はシエパード種の特別の進出に人氣を持つて行かれた形ではあるが、天が人に勝つ自然の時が來れば、彼ブルドツグが再び犬界人の愛情を取り戻すことは殆ど疑なき所であろう。
只それが果して九年度中に實現するか否かは、ブル黨の努力如何に懸つて居ると云はねばなるまい。
 

淺黄頭巾『昭和八年の犬界を顧みる』より