生年月日 昭和3年生れ
犬種 アイリッシュ・セッター
性別 牡
地域 東京市下谷区西町
飼主 小林富五郎氏

帝國ノ犬達-ジョニー
小林さんとジョニー

ジョニーは何故か交番が好きで、いつも警官のパトロールについて回っていました。
昭和8年7月19日(20日)の真夜中、ジョニーは上野の路上で現金70円が入った紙入れを拾います。通行人に横取りされそうになるのを突破して交番へ駆け込み、現金は落とし主に戻されました。
昭和9年には御手柄犬として表彰、一躍有名になったジョニー。

しかしその後、彼は悲惨な運命を辿りました。

※手術の画像があるので、苦手な人は閲覧をお控えください。

 

名犬ジョニー

犬の一生にも榮枯盛衰がある。
今から二年前、昭和八年七月十九日未明の一時頃、人影の絶えた上野驛前で現金七十圓入りの財布を拾ひ途中横取りしようとした人間を追拂つて感心にも車坂交番に拾得物の届出をした天晴れ名犬ジヨニーが、今日はからずも犬殺しの網に引掛かり、昨日に變る餘りにも悲惨な運命の皮肉を歎いてゐる。

十二日の日曜日の朝十一時頃だ。
黒い車を引いた野犬狩の爺さんが上野驛前の御徒町三丁目の小路でやつれ果てた汚ない浮浪犬を見付けて早速、商賣意識を發揮した。
勿論泥だらけの首には首環もなければ畜犬票もない。
名犬の落ぶれた姿とも知らぬ爺さんは、近所で聞いてもとの飼主下谷區西町元酒商小林富五郎方を尋ねると、妻女のみきさん(三九)が二つ返事で「どうぞ持つて行つて下さい」―。
そこで一緒に最寄の上野署に出頭して正式に廃犬届をした上、爺さんが犬を探しに引返して見ると恐ろしい運命を豫感したものか哀れな犬は車坂交番の前に哀願するやうに慄へてゐる。
無表情な爺さんがノコ〃出かけて、犬殺し用の針金の輪を犬の首に引掛けたとたん「こらツ!何をする!!」と大喝一聲。その昔名犬ジヨニーの名前を全國に轟かした七十圓事件のお巡りさん白鳥文雄君(四〇)である。
見るに見兼ねた白鳥巡査からじゆんじゆんと名犬のいはれを説き聞かされた犬殺しの爺さんも、商賣そつちのけでスツカリ感激し、直に警察に逆戻りして、先刻差出したばかりの廃犬届を取下げるといふ人情味のシーンを演出した。

さて上野名物の名犬ジヨニーはどうして轉落したのか?
當時「民衆警察」の偉大なマスコツトとして全國の少年少女達から山のやうな禮讃の手紙と贈り物を受取つたジヨニーよ、温情な巡査と元の飼主にそのわけを聞いてみよう。

 


ジョニーの腹部にできた腫瘍。佐治正次郎氏撮影


白鳥巡査談
この犬をなんとか助けてやつて下さい。あの名犬がこんなに落ぶれて了つたのです。
一ヶ月も前から野良犬になつて町のゴミ箱を漁り歩いてゐますが、ひどい病氣で弱り切つてゐます。
毎日交番に来て苦しさうにうづくまつてゐるので、私達が弁當を分けてやつてゐますが、今日は犬殺しに到頭捕まりました。
法律上とめるわけにはいきませんが、一先づ見合せて貰ひました。この間になんとか町内有志に相談して救済方法を至急講じたいと思ひます。
あの頃は町内自慢で町内を引廻はして歩いたものですが……。

飼主小林みきさん
實はねエ、棄てたわけではないんですがね、一昨年秋から酒屋をやめて引越し、こゝで呉服行商をはじめたので犬の面倒が中々みられない所へもつて來てジヨニーは昨年八月から股に大きな肉腫が出來て御徒町の犬猫病院で六回も手術をしたが益々惡くなるばかり。
この三月頃から腫物がくづれて汚物は流れ放題、玄關につないで置きましたが家中惡臭でやり切れないので主人と相談の上、半月ばかり前から外へ出したのです。
本當にあの頃は名犬と評判され遠方から見にくる方が澤山あつたのにこんな始末で―。
あの親のパールも十一歳でこの三月死にましたよ。
ジヨニーは今年七歳ですが、寿命とでもいふのですかね。

 

佐野正次郎獣医とジョニー。


廃犬ジヨニー入院
十三日朝、下谷車坂交番へは薬壜を提げたり、圓タクを乗り付けたりする人で立番のお巡りさんも応接に忙しい。
既報「廃犬ジヨニー」を助けたいといふ人々だ。
早朝どこかのお内儀さんが硝子の一升壜に「鑛泉の水」をいつぱい入れて持参、「これを塗けてやつて下さい。宅の猫が同じ病氣で癒りましたから」と來るかと思ふと、次には貝入りの油藥を持つて来るなど後から〃交番や飼主呉服行商小林富五郎さん(四〇)方に殺到する。
結局必ず引受けて治すといふ大森區田園調布の犬猫病院佐治正次郎氏がジヨニーを圓タクに乗せ引取つた。
ジヨニーは當分入院。

東京朝日新聞記事より 昭和10年

報道では事実を誤認している部分があった様で、ジョニーを治療した佐治先生はこのように記しています。
 

佐野獣医の診察を受けるジョニー。

佐治正次郎
白木氏からジヨニーの病氣の經過に就いて御問合せがあつたので、病氣經過と併せて、過日新聞の報道の誤れる部分を讀者諸賢に御紹介する。
ジヨニーの飼主小林氏に関して、可成無情の人間の様に書かれてあつたが、事實は其れと反對で、大の愛犬家であると云ふことを知ることが出來た。
それでは何故、名犬を野犬狩の手に渡すに至つたか。
ジヨニーの犬舎は小林氏宅の厳寒の一隅に、簀ノ子板を敷き、其の上に藁を置いてあるのだが、惡性の肉腫?から發散する臭氣は、餘り廣からぬ屋内の隅々まで匂ひ、良く今日まで我慢して來られたものだと感心する程であつた。
近時事業に不遇であつた愛犬家小林氏に取つては、あゝもしてやり度い、こうもしてやりたいとは心に思ふばかりであつて、ジヨニーに對する不憫さは、日毎に増して行つたのであつた。
かつては町内の人氣者、民衆警察の一役を買つて警視廳初め、朝日新聞社に於ても表彰された名犬でも、榮枯盛衰、今日では誰一人として顧みる者も無く、子供に近づけば汚ないと云つて、其の母親に石を投げられ、近隣の家に入れば臭いからと云つて棒で追はれる。

手術中のジョニー。


小林氏はジヨニーの爲めに貧しい財を割いて、治療を求めたことも數回あつたさうだが、結局不治の病であると宣告された。
自ら殺すに忍びず、警視廳の手に依つて安らかに眠らせてもらつたならと考へて廃犬届を出したものゝ、引かれ行く哀れな姿を見ては耐難く成り、ジヨニーは再び主人の手もとへ戻されたのであつた。
自分は昨年の秋、永年飼育した犬コリーを失つて、淋しく暮らして居る矢先でもあつたから、ジヨニーを見舞つた際に、若し小林氏が飼ふ意志が無いものなら、飼つてやらうし、飼ふ意志があれば、病氣を癒してあげ度いと話したのであつた。
病氣の癒る癒らぬは、人力の如何ともすることの出來ぬ處であつて、筆者は新聞紙上に報道された如く、必ず癒るの、引受るのと云つたのでは無く、唯力の及ぶ範圍の治療をして見ようと云つた訳であつた。


ジョニーから摘出された腫瘍と人の拳の比較。
中央が包皮外へ露出していたポリープ塊、左が包皮内より剔出したポリープ。

ジヨニーの病名はポリツプ。
本病は牡牝生殖器及び乳房にのみ出來る腫瘍であつて、本犬に於いては包皮内全面と、海綿體の一部にも喰込んで居り、更に包皮外に極めて稀に見る大型のポリツプ塊を露出して居る。
手術は可成り順調に進み、約三十分で終つた。
ポリツプは人の癌腫と同様に、少しでも病的組織が殘つて居ると、後日再發の恐れがあるから、十二分に切り取つて、更に烙白金で病根を焼切つて表皮を縫合したのである。
幸に今日の處経過も良いが、絶對的の樂観は今なほ許せない。
筆者この名犬が全快して澁谷驛に於けるハチ公の如く、上野のジヨニーとして主人の許に歸る日の、一日も早からんことを祈る次第である。


手術翌日の様子。元気そうで何よりです。

『名犬ジヨニー救はる 病因と治療經過の報告』より 昭和10年5月17日記



無数にあった人と犬との物語は公にされることなく、「個人的な思い出」としていつしか消えていきます。
ジョニーのように、後日談が記録されている例はごく僅か。それ故に、こういった話はとても貴重なのです。
有名になろうが平々凡々に暮そうが、主人に看取られて生涯を終えることが犬にとっての幸せなのかもしれません。