あなたは犬をどの程度に愛しますか?と訊かれたら、もしその訊かれた人が愛犬家なら、非常に愛しますと答へるだらうし、犬嫌ひなら、犬なんて眞つ平御免だよと、素氣なく否定の答へをするでせう。

すべて好き嫌ひは、人の好み、嗜好であり、誰れがなんと云つたつて、嫌ひなものは飽くまでも嫌ひ、好きなものは死んでも好き、と云ふのが人情です。このことはここで取り立てて云ふまでもないことです。

結果としての好き嫌ひは誰れになつて無造作に云へる譯ですが、それでは、どうして好きになりましたか?と訊かれれば、ハタと當惑して返答にグツと詰まらうと云ふものです。

そんな面倒臭い訊き方は止せ、好きだから好きなまでだ、と云ふ人もありませう。犬の顔が氣に入らない、と顔から受ける惡い印象が原因で犬嫌日になる人もありませう。

成る程一應はそれでもいいようなものですが、すべて好きになつたり嫌ひになつたりするまでには、いろいろな動機、原因、事情が先行するのです。いはゆるこれらの先行條件がまづ存在してゐて、ここから結果としての好き、嫌ひの心的態度が出來上る譯です。

 

私は今、犬嫌ひの人たちを私の視界から追ひ出してしまつて、犬フアン―と云つて惡ければ(フアンと云ふ言葉の持つ意味は低級性があります)愛犬家と云ひ直しますが、その犬を愛する人たちのみを視界の中に取り入れて、彼らがどうして愛犬家になつたかと云ふことに就いて、ちよつと書いてみることにしました。

が、斷つておきますが、これは發表しようと思つてライテイング・テイブルにしがみついて、参考文献から知識の一片一片を切り取つて來て、理論をでつち上げるために企てた計劃ではありません。ほんの當座の氣まぐれで、思ひつきをいい加減に書きなぐつたまでです。

ですから眞面白に讀んで貰つては困るインチキの與太つぱなし。可笑しくつて讀めないでせうが、そこんところをまあ我慢して讀んでいただきませう。

 

まづ私たちが考えるのは先天的と後天的と云ふことです。つまり生れながらに犬が好きな人と、何かの理由なり原因があつて犬好きになつたと云ふ人との二つの型が考え得られます。

この二つの型が、犬好きの人たちの根本の原型と云ふべく、現在犬を愛し、飼育してゐる愛犬家、畜犬家はこのいづれかに属する譯です。

先天性の愛犬態度は即ち遺傳的のものです。兩親が愛犬家であり、その兩親の血を享けて犬が好きだと云ふのです。

しかし世間には兩親は犬嫌ひであるが、その坊ちやんなり嬢ちやんが犬フアンだと云ふ例があります。

これは一體どうした理由だと反駁されるかも知れませんが、何あに、これは別に理屈に合はぬ現象ではないのです。と云ふのはメンデリズムの少しでも承知してゐれば問題にならないからです。

例へば酒嫌ひの親父を持ちながら酒が好きで、授業料もアパート代も酒に飲んぢまつたと云ふ學生の話はよく聞くことですが、これと同じ理由によるもので、これと同じ理由によるもので、親父は犬が嫌ひでもその親父、即ち祖父さんが犬好きであつたため、この特殊の血の要素が親父に出ないで孫に出た譯です。遺傳學ではこれを還元遺傳と云つてゐます。

從つてこの場合の愛し方は本能的です。體内の血が犬を愛するのです。明けても暮れてもただ犬です。

犬と共に起き、犬と共に寝ることに滿足を見出すのです。

この種の愛犬家の生活―、人生は犬に始まり犬に終るのです。

本能的なるが故にその態度は盲目的です。ですから、犬種が何んであらうが、そんなことはどうでもいい。

と云つてもそれは極端な場合で、盲目的だ、本能的だと云つても、やはりおとなしく愛してゆく愛犬家が多いです。ただ問題の特殊の血が強過ぎる場合、その愛し方が狂的になり、第三者の眼に異様に見えるのです。

 

後天性の愛犬態度は環境によるものと、反抗心の現はれによるものと、利益を目的とするものの三つの型に分かれます。

環境によると云ふのは、愛犬家の家庭に育つとか、近所の愛犬家に愛犬思想を吹き込まれるとか、好きな映畫スターが愛犬家だから自分も愛犬家にならうと云つた風に、自分の環境によつて影響されて愛犬家となつた場合を云ふのです。

反抗心の現はれとしての愛犬態度は、例へばひどく虐待される犬の悲惨な有様を見て、その虐待行爲に對する反抗、動物愛、正義感と云つたような人間的な純粋な感情の發動として犬を愛するようになる場合を指します。從つてこの種の態度は強く理性的である筈です。

 

利益を目的とするものは説明を要しません。賣るため、儲けるための畜犬、愛犬です。

こゝで考えなければならないことは、その利益を目的とする愛犬、畜犬態度が、一番眞劍であり、その意味で一番理性的で、犬にとつての最善のコンデイシヨンと云ふべきです。

何故か?云ふまでもなく、よりよき犬をより高く賣りつけんと欲するのが人情であるからです。私は時々考えますネ。

現在の如き犬界の隆盛は未だ嘗てなく、名犬は數千金を投じて賣買され、犬が大事か人が大事かと訊けば、人が大事だと臆面もなく云ひきる愛犬家のゐる今の時勢に、何故私は犬に生れて來なかつたかとしみじみと後悔するのです。(をはり)

 

川島一郎『犬好きの型』より

 

愛犬家が「非国民」と罵られるようになったのは、昭和14年の節米運動が転機となりました。

それ以前の昭和10年、「個人の愛犬家」は現代と似たような状況ですね。しかしこれが畜犬団体になると、派閥や人間関係やマウント合戦が加わってカオス状態と化します。

ちなみに昭和8年、毒舌家で知られた日本シェパード犬協会の中島基熊理事は下記のように愛犬家を分類しておりました。


その1:溺愛家
犬にチヤン〃コを着せたり、負着でおんぶして乳兒同様に弄んで悦ぶ者。

その2:盲愛家
犬を我儘にし放任してなすがまゝにしてやたらに美食をさせ、下女を付添はし縮緬の布團に寝かせて食事にも箸で食べさせる等である。

その3:鬪争優越家
種類の如何優劣の如何を問はず、無闇に喧嘩が強く鬪争をさして勝つ犬を好む。

その4:犬學者
外國雑誌をやたらに読んで、寫眞を見て何種犬はかうの、何犬は何國の産でと犬の種類は何でも知つている通人。
而し實物を見たら見當の付かぬ先生である。

その5:犬の考古生理學者
犬の歴史沿革を研究する考古學者、犬の頭蓋骨等骨格や毛の細胞を研究する生理解剖學者。

その6:犬通
何處に何犬が居る、誰の犬は何の子でどうしたとか、或は何年前に何處で生まれたのがどうの、何時組合わせたら敗けたの、何年のジーガーで何席の何の兄弟とか、何は米屋に買はれて行つたと等々、色々の通を振りまはして相手を煙にまくのである。

その7:犬政治家
やれ何會の幹事でと、犬の事は研究もせず會員がどうの、會費が會報がどうのと愛犬家の團體の政治を好む。

その8:繁殖家
黙々として自己の犬の改良發達を圖る。分娩、飼育、訓練等自ら實際に當つて、花草でも作ると同様に楽しむ者。

その9:慾犬家
牡を買つて交配さして交尾料を目的に儲ける。牝を買つて分娩さして廣告して賣つて儲けるの連中。

その10:蓄音機大家
自分では實際の體験乏しく、本や雑誌のみで研究もせず、道聴途説の大家。

その11:犬キ
と、偉さうに理屈を一通り云う僕の如きは盲目滅法の溺愛家の犬キの第一人者である。

日本シェパード犬協會中島理事 『愛犬家の種類と犬通』より 昭和8年