日本犬は田舎で粗食で飼はれてゐたものだから、美食を與へると弱くなる。

田舎の犬が都會へ來ると屹度病氣をして、死亡率も非常に高い。その原因は美食の結果であるとよく聞く。

成る程田舎の犬は昔から特殊獵犬のほかは殆んど放し飼ひにされ、飼主から與へられる食物は特に調理される等と云ふ事はなく、家族と同じ晝飯、それも殆んど半麦飯が大部分で、もつと酷いのになると山奥などでは粟や稗飯(現今は交通機關が發達してそんなものを定食にする治方は極稀に成つたが)の、しかも家族の物の食べ殘りの焦げ附や鍋や櫃の洗ひ落しなどで飼はれたもので、それさへも食事時に顔を見せないと忘れられ勝ちであつた。

現今でも當地方では『飯の焦げを食べると犬に吠へられる』、又當に成らぬ事を『アカの晝飯』とさえ云つてゐる位である。

それでゐて現在の犬とは總ての點で勝り、大型で六、七貫位は普通で、大きいのになると拾貫以上もあつたもので、鳥の揚木撃に使ふ小型犬を捜すのに苦労したもので、現今大型犬を捜すのに苦心するのと同じで、丁度事情が正反對に成つた譯である。

昔は粗食でしかも大型であつたものが、現在では美食を與へられながら何故小型に成つたか?と云ふと、昔は全國的に猪、鹿、狸、兎等總ての野棲獸類が非常に多くゐた爲、放し飼ひの犬は夜晝の別なくこれらの野生の獸類を斃しては飽食し、肉食動物の本能を發揮してゐたので、家庭で粗食を與へられても偉大なる體軀と頑健さを保持し得た譯である。

其の後野棲獸の減少に伴ひ、犬の體軀も漸次小さく成り今日に至つたもので、實用上小型に淘汰した事や飼育上の缺點も手傳ふが、最も大なる原因は自然餌料の缺乏に依るものである。

昔でも野棲獸類の少なかつた平坦地方の犬は比較的に小型のはその關係であり、現今でも肉屋の犬が大型に成るのも是を裏書する譯である。現今當地方の放し飼ひの犬は毎日の様にキヤン〃追鳴きをしつゝ兎を追つてをり、繋いである獵犬でも夜だけは大抵放してやるから兎その他の小獸類を捕食し、人から與へられる餌料の不足を補ふ譯で、田舎の犬は何處でも大抵同じである。

田舎では粗食で昔から麦飯や粟飯を僅かづゝ貰つて居たものだから、美食はいかぬと云つて穀物や野菜許り與へてゐては決して健康犬になりつこはない。

日本犬は獵に使へば、洋犬が主人のための獵をするのに對して、彼等は自分の獵をする。即ち洋犬は主人に獲らせるために働き、日本犬は自身獲るために獵をするのである。

山野に獲物を求める率も洋犬より多く、從つて野性に近いと云ふべきである。

愛犬家中の僅かとは云へ誤解せる人達のために、犬は肉食動物であると云ふ事を強調する次第である。田舎の犬が都會で出て弱く成るのは、第一運動不足の上に太陽の光線に恵れず、加之に空氣が惡く、その生存上惡い條件計りの上に加へて食物との均衡がとれぬからである。田舎の犬は決して粗食故に頑健でない事が理解されなければならぬ。

 

平井賢一『日本犬飼育寸言』より

 

当時の畜犬取締規則では、狂犬病発生地域や咬癖のある個体などを除いて放し飼いはOKでした。ゴミ箱の生ゴミを漁ったりして、足りない分の栄養を補給していたのでしょう。

高価な洋犬や狆は特別扱いだったかといいますと、舶来のドッグフードを与える人もいれば、味噌汁のぶっかけ飯で済ませる人もいました。

明治時代の種畜場では牧羊犬に穀物だけ与えていましたが、放し飼いされている間にネズミとかを食べていたんですかね。