私としては、全道の軍用犬は本土に比して、前に述べた通り、とても體型では駄目だから訓練一點張りで行かうと決心して、色んな本を取寄せ極めて貧弱な訓練を始めて見た。

其の當時北大の黑澤教授はアイヌ犬をとても熱心に研究されてゐた方であつたが、この方に、其後の如く北海道支部として全道を一括してゐた時でないので、東北支部札幌支部長をして頂いて、大に軍犬發達に盡力して頂き訓練に就ても共に研究を進めた次第である。

そこで私が考へたのは、到底北海道では體型の完成を期することは全然駄目だから、北海道は北海道産の軍用犬を作ることだ。訓練一點張りで、傳令、捜索など使役出來得るものを作るのが、一番國家に奉仕する譯だと思ひ、其の方面に向つて奨励したので、現在の如く内地に劣らず、訓練に對しては進歩した。私の考としては恐らく日本一と云つても良い位と思ふのである。

回顧して見ますと八年四月に、たつた二頭のS犬、會員四十名内外を以て發會したる北海道支部も昨年初めて全道大展覧會を小樽で開催した時、數に於て、又訓練に於ても、隔世の感があるほど發達して居たのには實際感慨無量でありました。

本部より關谷(昌四郎)少佐も出張審査されたが、出陳の三分の二以上は何れも訓練に出場して、日頃修業の實を競はんと意氣込んで居たのを見ましては、筆舌には盡し難いものでありました。

訓練競技も第一部(即ち軍犬候補済)、第二部(未だ候補試驗を受けないもの)と區別して、第一部を關谷少佐、第二部を私が擔當して審査しましたが、第一部だけでも三十二頭、第二部を合すれば展覧會に出陳された數の大部分が訓練大會へも出場した形となり、關谷少佐も悲鳴を擧げられた事を良く覺へてゐます。

出場した犬は人との親和が實に良く取れて居り、こゝで初めて北海道の訓練は内地に比して決して劣るものではなく、恐らく日本一ではないかと思つた位でおりました。

これは笑へない話でありますが、毎年施行する軍犬候補も五月、九月に全道で凾舘、小樽、札幌、釧路、旭川と二回やりましたが、一時に三十二頭も出場されて、係員を面喰らはしたるものもあり、出場犬全部が自信あるかの如く、皆一定の科目は殆んど甲乙なくやつてのける、だから皆合格となる。自然に嚴密となり、十年の五月の試驗の時なんかは、餘り本部あたりがやるのとは程度が高過ぎるとか、點が辛いとかの抗議を受けた事もある、それだけ訓練に關しては何れの愛犬家も關心を持つてゐる事になるのです。

現在では、凾舘に訓練所が出來てから三年になり、札幌には三國訓練學校があり、常に四、五十頭の犬が入校して居り、旭川には吉川と云ふ訓練士が居り、これが又熱心家で、家は印刷屋の二男坊であるが、忙しい時には兄貴迄引張り出して、印刷屋は第二と云ふ位迄にやつてゐる人である。成績はと見ると、全道で札幌が第一位、旭川第二位、小樽第三位と云ふところではないかと思ひます。

次に犬種の進展であるが、ドーベルマンは北海道に移入されましたのは前述の如くでありますが、エアデールが來ましたのも先年小樽に三頭來まして、それから段々發展し、現在ではドーベル、エアデール合して二十頭か三十頭位のものと思つてゐます。

仔犬の育つ率と申しますか、蕃殖とでも申しますか、死亡率の尠いのは恐らく北海道ではないかと思ひます。

師團に於ても、九年一月に初めて仔犬十一頭産みましたが、完全に全部育ち、民間に於ても殆んど完全に全部が全部育つと云ふ好成績を擧げてゐます。

寒さには非常に強く、S犬の蕃殖は日本中でも北海道が最適地ではないかとさへ思はしめます。軍用犬を飼育するなら北海道でと云ひ度くなる位であります。デイステンパーも知らずに居たものが多かつたが、極最近になつてこの様な病氣に罹るのがチヨク〃出て來たとの話であります。

樺太にも手を延ばすべく、昭和八年七月、私が滿洲から歸へつてから、樺太警察課長が熱心に盡されて、樺太へ普及されたのであります。

現在では相當の數に達してゐると思ひます。

又北海道の各學校、刑務所、警察署等から盛んに師團に参觀に來られてゐる故に、近き將來に於ては、警察犬方面にも拍車を掛けて邁進するものと考へられます。

顧り見れば、昭和八年四月僅か二頭のS犬、四十名足らずの會員を以て支部が設置されて、星霜四ヶ年の間に、現在では全道に貳百名以上の會員となり、四百―五百頭以上の軍用犬を保持して、師團に於ても四十頭を飼育して居り、急速の進歩發展を遂げたことは、私は實に感慨無量の念に打たれ、吾國軍犬の力強いものを一般民間に於て大に認識された事は、眞に祝福してやまないものであります。

終りに臨んで此等軍犬の前途を祝福して私の話を終りたいと思ひます。

 

前KV北海道支部長・蟻川獸醫少將談 昭和13年