帝國軍用犬協會が設立されまして、北海道にも軍犬報國の念が、一般に盛んになり、昭和八年四月には旭川偕行社に於て、其の北海道支部が設置されることゝなり、これが發會式を擧行したのであつたが、當時會員數は四十餘名、軍犬はS犬二頭と云ふ、實に貧弱なものであつた。

時に私が旭川第七師團獸醫部長の職にありました爲めに、支部長の椅子に推されました。

それからと云ふものは、大いに軍犬に對して凡ゆる意を拂ひ、大阪方面へ或る有力者を派して十頭ばかりS犬を北海道に移入しました。

之がS犬が北海道に入つた最初であります。

師團では牝牡四頭の献納を受け、殆ど型ばかりの軍犬班が出來上つた次第であります。

それから大いに私等は同好の士達と發達向上に邁進したのでありますが、どこでも有るが如く、御互に持主が人身攻撃をやつたりして、中々うまく行かなかつたもので、支部設置當初は實に苦心したものであります。

そこで北海道では内地の様に蕃殖がうまく出來ないから、一つ軍用犬訓練の一點張りで行つて、體型の惡い所は訓練で補はうと云ふことになり、師團にも犬舎を建て、兎に角初め献納を受けて牝牡四頭を収容した。

さて訓練を始めるとなると何様、訓練の訓の字も知らない人達ばかりであるので、歩兵學校から下士官を招いて教えてもらうとしても、來て呉れず、個人々々で訓練の本をあれかこれかと買ひ集め、其の本に依つて自己流に訓練を始めたものでありました(これが北海道で現在の如く訓練熱を高くしたものであらう)。

同好者は毎日集るが滿足に出來得る人は一人もなく、實に今日から見ると無鐡砲なものであつたと汗額の至りであります。

當時北海道では全くS犬一點張りで、寫眞ではドーベルマンとかエアデールとかは見た事はあるが、實物を見たものも實に尠なかつた。それから幾ら經つたか、初めてドーベルマンが凾館に移入された。

尤も現在でも凾館は最初にドーベルを移入した程あつて、同地軍用犬種の三分の二以上はドーベルマン種である。

エアデールは此等から見ればズツと後に來たので、師團でも、確か九年の二月と記憶して居るが、その時分にやつと飼育し始めたものである。

前KV北海道支部長・蟻川獸醫少將談 昭和13年