此の家に飼はれる犬は幸福だ。御主人は云はれる。

犬でも猫でも、動物はすべて物を云はないものだから、人はその態度に依つて彼等の心理を察してやらねばならぬ。

どこが痛いのか、ひもじいのか、其の素振態度に依つて彼等の要求するものを悟つてやらねばならない、と。蓋し、動物を飼ふものに取つて最も戒心すべき一言であらう。

現在テリヤと露西亜犬が一頭。露西亜犬の方は、曾て露西亜パン賣りが出立の時、其の空家に棄てゝ行つたものを惻隠の情から引き取つて育てゝ居るものだとか。

顔も細長く毛も長く、コリー種の雑種でもあるのか、犬舎の中にのゝ字にまるまつて眠つてゐる。

此處の御主人は御客様が愛犬を少し押し退けるやうな態度をしたゞけでもう其の人とは絶交すると云ふ位の犬狂ぶり。

犬を洗つてくれてゐられるのを通行人が眺めて、子供にさへ手が届かないのに、と罵つて行く人がありでもすると、直ちに食つてかゝると云ふ猛愛ぶりで、野犬狩に金子を與へて買ひ助けた犬は何頭あるか知れないと云ふ位の愛犬家である。

『仙臺市内愛犬家を訪ねて・東△番地の右田さんの巻』より 昭和13年