此頃、犬が少し下火になつたと云ふ。
下火と云ふのは、恐らく着實化したことを意味するのであらう。私はそう思ふ。
或日、古書籍店を訪ふて、繪紙を一枚買つた。
市瀬君が「僕は昔の犬醫者の繪紙を一枚持つてゐたが、それを板垣先生に差し上げたよ!」と云つたことを思ひ出して、自分も、是非犬醫者の繪が欲しいと思ふ。
そう思ひ乍ら或る畜産關係の史料に繪紙を一枚買つたのであるが、その時、古本屋のおやぢから何か聞き出さうと思つて、「どうです、犬の雑誌が此頃賣れますか?」と云つて見た。
すると意外の返事を得たのである。
「へい、此頃は下火になりましてナ、雑誌も一と頃十錢以上したものが、今ではグツと落ちましたよ」と、盛んに下火を連發する。
だが、私は、それでいんだと思ふ。
下火と云ふのは古本屋から見た下火と、私が考へることに大部差があつて、私のは「ウン、漸く落ち着いて、着實になつたんだナ」と云ふ意味である。
テンデ犬を解しない人々が、犬の値が出た、犬の話がもてると云ふんで、犬の本、犬の雑誌を多く買ふ頃は、それは少し上調子で危險なものと云へる。今が一番健實になつたんである。
白井紅白『犬界雑記』より
翌年の日中戦争勃発でシェパードブームが再燃すると、この辺の界隈も盛り返したのでしょう。
……昔の神保町でも、犬の古本なんか二束三文で叩き売りされていたものですが(日本犬界史の調査をはじめた貧乏学生にとっては有難い時代でした)。