明治14年に警視庁が制定した畜犬取締規則は、大正10年と昭和11年に改正が重ねられていきます(他府県はもっと早くから畜犬取締規則を施行しているので、通説と違って東京は先駆者ではありません)。

今回は昭和11年の改正時における愛犬家の反応を取り上げましょう。

 

畜犬取締規則(大正十年三月八日警視廳令第三號)
第一條
犬を飼養するものはその頭數、名稱、種類、牡牝の別、毛色、年齢及特徴を記し三日以内に所轄署に届出づべし。
飼養者その住所を変更したる時も亦前項に同じ。

~(中略)~

第七條
人畜を咬傷するの虞ある畜犬には繋留、口網その他適當の施設を爲すべし。
前項の規定に依り爲したる施設として警察官に於て不適當と認めたる時、その他必要ありと認めたる時は、特に適當なる繋留、その他の施設を命ずる事あるべし。

 

(改正)畜犬取締規則(昭和十年十二月六日警視廳令第二十八號・昭和十一年元旦施行)

第一條
犬を飼養する者は左の事項を具し、五日以内に犬の飼養地所轄警察署長(以下単に所轄警察署長と称す)に届出づべし。但し届出たる犬(以下単に畜犬と称す)の分娩したる仔犬にして生後九十日を經過せず且其の飼養者に於て飼養するもの及商犬は此の限に在らず。
一、所有者の住所氏名
二、飼養地(所有者以外に於て飼養する場合は其の氏名を併記すること)
三、犬の名稱
四、牝牡の別
五、飼養開始年月日
前項第一號の事項に變更ありたるときは五日以内に所轄警察署に届出づべし。

~(中略)~

第八條
人を咬傷したる犬の飼養者は直に繋留其の他適當の措置を爲し、其の旨所轄警察署長に届出で、解除の指示ある迄之を継続すべし(咬傷犬に對する繋留其の他の施設は所轄警察署長に於て咬傷後一箇月を経過し危険の虞なしと認めたるとき之を解除する事を得、繋留其の他の施設を解除したるときは其の年月日を臺帳の備考欄に朱書すべし「同規則執行心得・第9条より」)

 

警視廳當局が、吾々愛犬家の爲めを思つて、その畜犬取締規則なるものを改正してくれたことは大いに感謝し、且つ敬意を表さなくてはならないことである。多忙なる今日の時代に、愛犬家の便宜を計つてやらうと云ふその心根の程は、感謝しても感謝しきれないものがあるのである。

然し乍ら一面から考へて見ると、その根本的の出發精神には、幾重にも感謝しながらも、吾々愛犬家は、未だ〃安心が出來ないのである。行ふには最も簡易、然も實際上には最も大切極まる點が、全然除外されて居るのだ。

如何にも、今度からは便利になつた點がある。從來の三日以内に本署に出頭して届(※飼育届)を出すのから考へて見ると、五日以内に口頭を以て、近所の交番に云つてもいゝのであるから、確に便利だ。

然しながらこんな手續の少々面倒な位では、愛犬家は閉口しない。閉口しない證據には、交通の便なき然も三四十分も徒歩を要する本署へでも、面倒臭いと云ひながらも、可愛い犬のことであるから、行つて手續をしたり、又どうしても本人が行かれぬ場合には家人をやつたり、或は又酒屋の小僧に頼んだりしても、出來ないことはない。ウルサイと云ひながらも從來は、皆がやつて居つたことである。

只、天氣が惡るかつたり、多忙だつたり、或は中には、慣れたら届を出さうなどゝ云ふ横着なものもあつて、三日以内と云ふのが、十日以内になつたり、一ヶ月位になつたりすることは、往々あるやうであるが、然しそれでも、何時かは届出をやつて居つたのである。

要するに技術的な枝葉のことは幾ら改正されても、便利にはなるが、決して明朗にぞはなりはしないのである。

然らば何が故に明朗にならぬか。曰く放飼犬を根絶しない限り、何年先きになつても明朗化するどころか、愛犬家はいつも憂鬱な思ひをしなければならぬのである。

先づ試みに考へて見て貰ひたい。

一匹のサカリのついた牝犬に十數匹もの野良犬がタカツテ居るなどは實際困りものだし、又時と場所を考へず、賑やかな町中で交尾でもやつて居る現場には、男も女も顔をそむけて歩かねばならぬのだ。まして青少年子女に及ぼす惡影響、更らに街の風教、外觀を傷つけることに思ひ至らば、心あるものは絶對に犬の放飼には反對すべきである。

又日本國中を通じて、犬に咬傷されるもの一ヶ年に一萬件以上に及んで居るが、これらは何づれも放飼することによつてのみ起る現象だ。

喰ひ附かれてから、やれ獸醫だ、やれ鑑定だ、注射だと云つても間に合はないのだ。

犬を繋いでおきさへすれば、これらの手數だけでもどれ丈け助かるか知れないのだ。

以上の二つのことを考へても、犬の放飼が如何に社會風教上に害するかは判る筈である。その上都會地に於いては、犬の交通犠牲は年々その數を増して來て居るのだ。ヨケイナ犠牲である。

近所にサカリのついた野良牝でも居た日には、喧嘩をしたり、騒いだりして幾夜も寝られぬことすらあるのだ。

然し以上は社會的見地からの、犬の放飼反對の根據であるが、範囲を狭まくして愛犬家丈けの立場から見て見よう。

 

可愛いテリヤをつないで朝晩の散歩に出て、十貫もあるやうな土佐雑種にむかつて來られた日には、全く腰も抜ける程喫驚したり、癪にさわつたりするものである。訓練しようと思つて、喜び勇んでシエパードなんかを曳いて歩いて居ると、いきなり二、三の野良公の襲撃を受けたりする不快を味はねばならぬ。

で、犬は絶對放し飼ひをするな。外出時には鎖を付けて歩るけと云ふ命令を、それこそ何んの苦勞もいらぬ。たつた一ト言の命令を出せばそれでいゝのではないか。

又狂犬病は咬傷に據つてのみ起ると云ふ現在の學説に根據を於て考へると、繋いで置けば狂犬病など發生しなくなるのではないか。

尠くとも豫防上には大いなる結果を示すであらう。

犬の濫造防止と稱して、去勢して犬に痛い目を遇せたり、やり損じて殺したりするが如き、無駄なことをせずに、犬を繋留せよ、繋留して居ない犬は、野犬狩りせよ。

かくすることによつて、不体裁な雑種犬は自然と淘汰され、野良犬は居なくなり、引いては社會一般の爲めになるのだ。

現在の如き程度の、手續上のことなどはいくら便宜に改正しても、只末節的に便宜になるのみで、根本的には少しも改良されることはないのである。言葉が少々不遠慮であるかも知れぬが、敢えて直截に明言させて貰つた次第である。どうか更に一歩進んだ愛犬家の利福を考慮して戴き度い。

中村勝一『畜犬界雑爼』より

 

忠犬ハチ公が渋谷駅をウロウロできたのは、飼主に繋留の義務がなかったから。お使い犬などが存在できたのも同じ理由です。

警視庁が繋留を義務付けたのは咬傷癖のある個体のみで、大多数は放置されたままでした。せいぜい「飼養者は犬の濫殖を防止するに必要なる措置を講ずべし(第10条)」でやんわりと制限をかけている位でしょうか。

結果として野犬は増え続け、昭和14年の失明軍人誘導犬輸入計画では「盲導犬の誘導が野犬に妨害されるのでは?」という懸念が出されたり、東京オリンピック誘致では野犬駆除手段の改善が論じられたり、甲府へ転居した太宰治先生が野犬群に纏いつかれたりしております。