時代の寵兒は、なんと云つてもシエパードである。シエパードは現在仙臺市内に四十頭位ゐる。其のうち訓練受けた犬は何頭位ゐるだらうか。

第二師團管下にゐて、いつも軍用犬の展覧會とか競技會とかの時、率先して活躍する伊橋英氏を、訪問すれば仙臺市内軍用犬の大勢が判るだらう。

同じ愛犬家の大町五丁目三原時計店で聞くと、伊橋氏の自宅は北一番町だと云ふ。

 

行つて見ると、玄關口に貼札あり。軍犬訓練中に就き御注意ありたしと出てゐた。記者はオツカナビツクリ玄關の戸を押し開けると、蔭の方でウツウオと、記者の來訪を聞き咎めて唸る聲がするので、急いでタゝキに立つて玄關の戸を閉めた。

來意を告げると、通されたのが伊橋氏の居室。

 

炬燵に差向ひて「この間帝犬東北支部の役員が改選となりましたよ。僕辭退したけれど副支部長なんてことになりましてね。片平町に別荘持つて居られる大川幸路さんが支部長ですね。えゝ軍用犬ですか。現在は一頭丈けですよ。他にセツターが一頭ゐますがね。

此の現在ゐるアオ號の仔が二匹共出征しましてね。上海戰線で勇ましい戰死を遂げましたよ(仙台から出征した軍犬のうち、無事帰国できたのは菊池精次氏の愛犬フリーダのみでした)。えゝ僕が訓練したのですがね。現在殘つてゐるのは其の親ですよ。訓練はなんでも出來ます」と云はれる廊下を隔てた内庭には、ブラツク・ターンのシエパード犬アオ號が毛の長いセツターと二匹で仲よく日向ぼつこに寝轉んでゐる。

 

「えゝ學校ですか犬の。訓練所はあればいゝですけどね。どうも、市内の人達は、シエパードさへ持つて居れば何等の訓練も施さなくても、それが直ちに軍用犬として役立つものと思つて居られるから困つたものですよ。

どんな名犬でも訓練が出來てなかつたら普通駄犬と何等撰ぶ處なきものですよ。そこを考へて貰ひたいものですよ。訓練を御目にかけますかね」と、氏は寝巻のまゝ起ち上つて―「どうも斯んな寝巻なんか着てゐると訓練の時犬は緊張しませんでね」と、廊下に立つて「アオ、下駄持つて來い!」と命ずると、蔭の方へ行つて下駄を、片つ方づゝ二度に咥へて來て、氏の前に置くのを突つかけた氏は、アオを連れて外へ出た。

 

先づ氏の支へた棒飛び越えから始まつて、捜査に移れば、氏は「どんな處に隠すか、君一つ見て下さい」と記者を案内して、犬の咥へ棒を隠した處がやはり内庭の柵に板を立てかけた蔭の處。

だがアオは、二三分にして發見して咥へて來る。それから手袋の捜査から、噛め!では氏の持つた咥へ棒に嚙みついて離さない。等々の訓練實驗を見せてくれられた。流石に氏は仙臺での軍犬熱心家ではある。

『仙臺市内愛犬家を訪ねて・北一番町の伊橋英氏の巻』より 昭和13年