住宅が密集した現在からは想像もできませんが、戦前の代々木上原は緑豊かな丘陵地帯でした。昭和初期にはNSC(日本シェパード倶樂部)が訓練場を設置しており、狼谷(葬祭場や消防学校のあたり)にはシェパード愛好家が集っていました。

「あんな藪蚊の多い場所で訓練するからNSCのシェパードはフィラリアに感染するのだ」などと陰口を叩かれるだけあって、代々木上原一帯には野犬群も出没していたそうです。

咬傷被害が相次いだため、東京のド真ん中で猟友会が投入されたのだとか。

 

 

NSC狼谷訓練所の様子。昭和8年

 

猛暑を避けるランデブーの名所、澁谷區代々木幡ヶ谷、狼谷に夜な〃十數頭の狼が出没するといふうわさがパツとひろがつた。はじめは眞夏の夜のナンセンスと笑つてゐた警視廳獸醫課に「わたしお尻をかまれました。何とかして下さい」と、水茎のあと美しいSOSが入つたので、獸醫課でも捨ておけず調べて見ると(戦前の畜犬行政は保健所ではなく警察の管轄でした)、野良犬の仕業と判明した。

どういふものかこゝには犬の棄兒が多く、昨年の暑氣と榮養不良でやせ衰へたワン公の面相が狼化してゐるところへ夕涼みがてらの桃色の體が闖入して來た。

もと〃嗅覺の鋭敏なワン公のこと、死に場所の空腹の境地を喋喃(ちょうちょうなんなん)組に荒されてはたまらないと見え、齒をむいてかみついて來るので、かう傷被害は女の子ばつかりだ。

そこで代々木署では附近のルンペンに野犬狩をさせて見たが、ワン公の方で近寄らないので一計を案じて、獸醫課では六日夜ストリキニーネをまぜた毒團子數十個で毒殺計劃を立て、七日朝檢視に出かけると裏をかゝれて毒の部分だけ殘して團子だけきれいに失敬されてしまつた。

そこで蹶起したのが獵友會のお歴々。七日夕刻に覺えの獵銃で退治しようといふことになつたが姿を現さず、とう〃骨折損。

やむなく一日延期して決行するこゝとなり、天狗連腕をさすつて躍起の體である。

『市内に野犬群の跳梁』より

 

結果はどうなったんですかね。