生年月日 昭和8年頃
犬種 シェパード
性別 牡
地域 東京府
飼主 坂本健吉陸軍少将→警視庁

昭和13年、警視庁が採用した直轄警察犬。

ロクに調べもしない人々から「防犯課所属なので、せいぜい防犯キャンペーン用だったのだろう」などと誤解されている戦時下の警察犬ですが、実際は強盗・窃盗をはじめとする犯罪捜査へ投入され、犯人の足取りを突き止める功績を挙げています。

日本の警察犬史はナゼか東京エリアの記録しか取り上げませんが(実は西日本方面が主流だったんですけど)、その警視庁警察犬ですらこのような説明に終始。酷いものです。


警察犬
警視庁警察犬ヒローと根本訓練士(中央)。眼鏡の人は警察犬編で登場した名犬ベル公の主人、警視庁警察犬係の朝倉巡査。もう一人が片岡警察犬係。

 

ヒローが記録に登場するのは昭和12年、警視庁が「オーデン・フオン・ハウス・マツムラ(シェパード)」「クラール・フオン・テイケン(〃)」「クーゲル(〃)」「隼(〃)」、「暮雲(エアデール)」を採用した直後のことでした。

 

警視廳の警察犬は赤羽の帝犬養成所に借住居ながら、將來大東京の治安維持に當る大責任を双肩に担つて、既報の通り四月一日雄々しい産聲をあげた。警視廳警察犬舎の表札も鮮やかに、目下五頭の警察犬の卵が、元氣一杯で納まつた。

シエパード成犬及びエアデール成犬各一頭、シエパード未成犬三頭で、規定の六頭には一頭足らぬが、これは近く入舎する筈である。

『警察犬初見参 朝倉壽氏に抱負を訊く』より 昭和12年

運用訓練中の警察犬たちは早々に能力を発揮。まずボン公(暮雲のアダ名)が窃盗容疑者を逮捕しますが、これは散歩中に不審者と遭遇した偶然の賜物でした。やがて訓練を終えたクラールたちはタクシー強盗、窃盗事件などへ投入されていきます。

正式な捜査活動で最初に成果をあげたのが、最後に採用されたヒローでした。
 

まさに名探偵以上 
天晴れ 鼻の捕物 警察犬初の大手柄

出征兵士の留守宅を襲つて證據一つ残さず逃走、檢擧の手懸りもなかつた強盗犯人を警視廳自慢の警察犬が犯人の足跡を嗅ぎ出して檢擧させ、警察犬創設以來初めての本格的殊勲を樹てた―。

人間の刑事さんたちを尻目にこの大手柄をたてた警察犬は府下武蔵野町境九〇帝國軍用犬協會第一養成所で委託訓練中(※鮫洲の警視庁警察犬訓練所が完成するまでは、帝国軍用犬協会の軍用犬養成所で訓練していました)のヒロ號(シエパード牡四歳)で、去る二月十日午前一時ごろ府下武蔵野町境一二五五農、高橋義雄さん(出征中)留守宅に侵入し銃後を守る妻女のふじさんに「金を出せ」と脅迫、騒がれて逃走した賊につき田無署では現場に物的證據のないところから警視廳防犯課警察犬係に協力を求めて来たので、即刻同課から訓練係の朝倉・片岡兩巡査がヒロ號を連れて出動したところ、ヒロ號はその鋭い嗅覺で犯人の地下タビの足跡を嗅ぎ出し、畑から道路へと約五百メートルを追跡し、同町高橋茂作方に到るや同家をぐるぐると廻り胡散臭さうにワンワンと吠えたてた。
田無署員が同家を取調べると、果して茂作長男窃盗二犯、人夫昌作が前夜深更同家に金の無心に立寄り断られて立去つたことが判明。同日夕刻同居先の同町〇〇〇大橋又二郎から同人を檢擧し田無署に留置取調べをつゞけたところ、十五日夕刻に至り「恐れ入りました。犬の畜生に足とりを嗅がれたとは残念です」と犯行一切を自白した。
讀賣新聞 昭和12年

他にもうひとつ。

警察犬ヒロ號の殊勲により強盗容疑者を逮捕したが、事件後五日の十五日午後に至り犯人の自白によつて、ヒロ號の鮮やかな勝利が確證された。

事件は二月十日午前零時半頃、府下武蔵野境高橋義雄氏(三六)方で主人が上海方面へ出征中の留守宅へ覆面の強盗が押入り騒がれて一物も得ず逃走した時の事である。訴へにより所轄田無署では直ちに捜査を開始したが、同じ武蔵境にある軍用犬協會警察犬部では所内で最も嗅覺の鋭敏な名犬ヒロ號を防犯課警察犬係朝倉巡査が連れて犯人逃走後約十時間を經た午後十時ごろ現場に赴いたところ、ヒロ號は俄然附近に殘されたゴム足袋の足跡を追つて約五百米離れた同町高橋茂方へ刑事を案内した。

高橋の長男昌作(ニ八)は窃盗嫌疑で二回田無署へ檢擧されたことがある男なので、ピンと來た刑事は直ちに大橋久次郎方に同居の昌作を逮捕取調べたところ、初めは確證のないため頑強に犯行を否定してゐたが、遂に二月十五日午後一切を自白するに至り、ヒロ號の完全な勝利に歸した。

殊勲ヒロ號はシエパード犬種の四歳で帝國軍用犬協會副会長坂本健吉少將の愛犬であつたが、嗅覺が特に鋭敏な爲め警察犬にしたらと昨年九月警視廳で買上げたものである。

『嗅出したり十時間後に』より 昭和12年

 

因みに、これは直轄警察犬設置当初の出来事。本格的な活動は昭和12年以降となります。

 

当時の警視庁警察犬は防犯課所属だったので、ヒローたちは防犯啓発の巡回キャンペーンにも参加していました。しかし彼らの本業はあくまで犯罪捜査であり、きちんと調べれば立派に働いたことが分かります。

不幸なのはデビューの時期が日中開戦と重なったこと。戦況激化と共に警察犬ハンドラーが出征したり、遂には警察犬自体が軍犬として戦地へ出征するに至り、直轄警察犬制度自体が再び廃止されてしまったのです。

 

「警視庁の警察犬史(「日本の警察犬史」と勘違いされていますが、警視庁の警察犬記録は「東京エリアの警察犬史」に過ぎません)」でもこの惨状。

その存在すら忘れ去られた他府県警の警察犬達に比べれば、まだマシかもしれませんけれど。