昭和25年の狂犬病予防法施行以前、畜犬行政は保健所ではなく警察の管轄でした。狂犬病対策を巡って内務省と厚生省が押し付け合いを演じたこともありましたが、邏卒の時代から飼育登録や野犬駆除は地域の警察署が担当していたのです。

警察の介入を招いたのは、愛犬家の自業自得。放し飼いや捨て犬の横行によって増殖した野犬群は、地域住民の脅威となっていました。これを問題視した行政機関は明治初期から飼育マナーの啓発につとめ、畜犬取締規則や畜犬税によって飼育頭数の抑制をはかります。これに狂犬病対策が統合され、警察の委託業者による野犬や廃犬(飼育放棄されたペット)の駆除活動が制度化していきました。

もっとも、当時は安楽死ではなく街頭での撲殺駆除が中心。捕獲ノルマ達成のほか、三味線素材や大学への実験動物として転売するためペットを盗む悪徳業者まで跋扈しており、愛犬家からの批判も少なくなかったのです。

批判される側の警官や業者も命がけであり、職務中の狂犬病感染による殉職者も続出していました。そのように緊迫した状況下に愛犬家のワガママが通じる筈もなく、日本警察と野犬の死闘は約80年間に亘って続きます。

 

犬の事に付て少しく申上度く。

犬の保護の不完全なる事實にて慨嘆に堪えざる今日より甚しきはなしと思ふなり。昔は徳川何代の將軍か忘れたれども、所謂「お犬様の御通り」てふ時代を想起(おもひをこ)さゞるを得ず。

先頃は某國公使の愛犬を一寸の間に撲殺せられ、今は又山本日本銀行總裁(※山本達雄)の犬もしてやられたりと。嗚呼我警察は何ぞ犬を輕視するの甚しき哉。

而して吾輩の特(ひと)り了解に苦しむものは、野犬と稱するものは何を云ふやに在り。蓋し飼主なきものを稱するに在らん。

然れ共、天の生物を生ずる、飼主の有無に因て其用の有無を判別すべきものに非ざるべきを思へば、仮令飼主なきのら犬と雖も、決して犬殺しの爲すが儘に放任すべきものに非ざるを信ず。

而して犬殺しの目的とする所は皮を得るにあれども、十中の九は其肉も亦人間の食需に充たす。犬の皮を得ざれば果して人間必須の需要を充たす能はざる乎。豈如斯の理由あらん哉。

況んや其肉を人間食料以外のものと知りつゝ販賣するに、時に或は詐欺(牛馬肉と)を用ふるに於ておや。左れば假令飼主なきのら犬と雖ども、之を殺さしむるは天理に戻り造物主の意に背く事。蓋し佛教徒を待て後知らざるなり。

若し我輩の説をして誤りなからしめん乎、我警察は何故にこの天理に背き、而して時としては償ひ難き悪事を爲すの犬殺なる營業を認むる乎。啻に其營業を認むるのみならず、聞く處に依れば一疋五錢とか十錢とかの錢を犬殺に與ふとか。果して然るや否は未だ之を確めざれ共、不幸にして之を信ならしめば、我輩亦慨然云ふ所を知らざるなり。

特に我輩の希望する所は爾來犬殺なる營業を全く認めず、假令飼主なき犬と雖も、之を撲殺する事を嚴禁せられ、而して其結果として多數蕃殖し、時に或は狂犬を生じ、人畜に害を及ぼすに迨んで始めて之を撲滅するに在り。之れ蓋し眞の警察の職務たるべきを疑はず。果して非歟敢て大方識者の教を待つ。

芝一兵卒『筆のまに〃』より 明治33年

 

同時期から在日外国人や宗教家が主導する動物愛護運動も始まり、日本人道会や動物虐待防止会といった団体の設立へ至りました。里親制度や去勢手術の励行も、昭和初期からスタートしています。

さらに昭和15年の東京オリンピック誘致に成功すると、「野蛮な撲殺駆除は来日外国人に恥をさらす」との意見により捕獲式駆除へ転換。

これで状況が改善されたワケではなく、日中戦争が始まると犬は軍需原皮とみなされるようになりました。

昭和13年には商工省が犬皮を統制対象とし、昭和14年を境に政治家やマスコミも「畜犬撲滅」を公言。そして昭和19年のペット毛皮献納運動へと至りました。

欧米からの批判によって野犬安楽死措置が導入されるのは、戦後になってからです。