満州事変以降、日本犬界を席巻したのが軍犬報国運動や猟犬報国運動、そして日本犬保存運動です。

この風潮は日中戦争勃発と共に加速し、太平洋戦争突入前後から「国家の役に立つ軍用犬や猟犬や天然記念物以外は無能犬」と見なす異様な状況へと暴走。昭和19年末には、軍需省と厚生省が「軍用犬、警察犬、猟犬、天然記念物以外のペットは毛皮にしろ」と全国の知事へ通達。いわゆる、畜犬献納運動の大虐殺へと至りました。

シェパードや日本犬やポインター以外の飼い主たちは、非国民扱いを避けるため「どうにかして愛犬を御国の役に立てよう」と奔走。「餌が少なくて済む小型犬を飼おう」「役犬(運搬犬)の活用で燃料節約に貢献」などと涙ぐましい努力を続けました。

そんな中、満州事変から日中開戦前まで妙な方向へ吹き上がっていたのがコリー愛好家。

彼らが目指した国家貢献はコリー本来の緬羊事業で羊毛増産……ではなく、何をどう血迷ったのか治安任務でした。警察犬の空白時代、コリーに参入の余地ありと勘違いしてしまったのでしょう。

他犬種の団体も巻き込んでの警察犬復活を目論んだようですが、結果は芳しくありませんでした。

 

六、警察犬に關する事

軍用犬は國家の不祥事に際する用途として其活用は何十年に一度有るかなきかの稀有の事に属するも警察犬の事は警戒、捜索、豫防等社會の安寧に資するものにして人間の生活に寸時も缺くべからざるものなり。從來其應用が企圖されたる事一二ならざりしも、今に其活用を見ざるは遺憾也。

本倶楽部の顧問諸氏の中には曽て其途の大官たりし人現に高官等不尠執も此事に賛意を表せられ相當の御盡力を請ふ筈なれば役員に於ても大に意を强ふし其實行に奮励努力する事を申合はされたり。會員諸君に於ても斯意を體し所管警察署と交渉し適宜應用の方法御講究相願致し、猶當倶楽部は他の團體に交渉して一意目的の貫徹に努力する筈なり。

此件に關し由井理事長より砂田顧問(※衆議院議員の砂田重政)の紹介を得て藤沼警視總監に面接交渉の端を開きたるが總監より直に良好の返辞は得ざりしも直接其任に有る部長に紹介されたる次第等の報告有りたり。

日本コリー倶楽部第三回役員會より

 

大正時代の警視庁探偵犬たち。写真の他にレトリバー雑種のリリー號、グレートデーンのスター號が加わっています(当時、まだシェパードは来日していませんでした)。

 

警視庁の素気ない対応にはそれなりの理由がありました。

大正元年に直轄警察犬としてラフコリーのバフレー號を配備した警視庁ですが、科学的な鑑識作業を理解していなかった当時のマスコミによって「探偵犬無能」とバッシングされた挙句に警察犬廃止へ追い込まれます。以降、昭和12年に警察犬制度を復活させるまで犬の活用には消極的でした(その辺を勘案したのか、内務省が警察犬研究を勧めた相手も大阪府警や京都府警となっています)。

大正期の探偵犬を再評価した警視庁が帝国軍用犬協会や日本シェパード犬協会との合同研究に着手したのは昭和11年のこと。翌年に復活した警視庁警察犬はシェパードの独壇場となり、どちらにしてもコリーの再登板はなかったのです。

戦時下において、コリーの飼育頭数は激減。北海道に残存していた個体群をもとに、戦後の復興がはかられました。