1、昭和十六年度犬界に於ける最大の印象

KVの驚異的發展、S犬のインフレー相場、疑似日本犬の増殖。
 

2、昭和十七年の貴犬舎の計劃

智能犬を専門に蕃殖。

 

3、犬界の新體制的發展の具體的方法手段等

S犬の飛躍的流行甚だ結構であるが、展覧會に比して訓練競技會の淋しさは主客顛倒である。團體主脳部は須らくS犬の使命と時局に思を寄せ、訓練會とか鍛錬競技會に重點を置き、莫大の賞金を呈して奨励すべきこと。

日本犬も實用に重きを置き、大型犬は防御犬と輓曳犬、中型犬は獣猟犬と番犬、小型犬は小獣猟犬と都會地の室内番犬と、以上を明確に區別し、其の性能を調査し、其の適するもののみを殘して他は盡く淘汰し、無用の徒食犬を全部葬り去ること。

S犬、日本犬共に展覧會至上主義は金儲連に悪用さるる機關と化すであらう。

 
大阪 日本犬協会 高久兵四郎 『前年度の犬界印象その他』より
 
「日本犬保存活動の歴史=日本犬保存会史」とかいうイメージは完全な誤りで、実際は文部省、日本犬保存会、日本犬協会、各地の日本犬愛好団体が群雄割拠する状態でした。「同じ志を持つ日本犬愛好家が仲良く共存」ではなく、しょーもないケンカを始める団体まであったのです。
特に、日本犬保存会と不毛な抗争を繰り広げていたのが関西を拠点とする日本犬協会。その精神的指導者である高久さんは、日米開戦前に足利市から大阪へ移り住んで日協の活動に専念しました。
日保憎しのあまり知性を疑うようなヘイトをまき散らしていた日協メンバーの中で、高久さんは洋犬の知識も豊富で広い視野を持つ人物。しかし「日本犬に人生を捧げない奴は絶対に認めん」というストイックさから、その周囲は威光にすがるイエスマンか徹底拒絶派へと分かれてしまったのでした。
結局、幅広い層の愛犬家から支持された日本犬保存会が生き残り、異論を排撃し続けた日本犬協会は傍流に甘んじたまま消えていきました。