1、昭和十六年度犬界に於ける最大の印象

十六年度の印象としてはシエパード犬が餘りに行き過ぎはしなかつたかと云ふ事です。發展は誠に喜ぶべきですが、犬種の本質に根底を置かない異常發展はその反動が恐ろしいと思ひます。シヤルク、テインテイスの二名犬の輸入もこの國際情勢の下では印象的なものでした。

 

2、昭和十七年の貴犬舎の計劃

小生は犬舎を持つてゐませんので、一般的に計劃して頂きたい事を申上げます。それは一言にして云へば「犬舎の特徴を固定せよ」と云ふ事です。換言すれば牡犬の選擇を賞歴とか世評に置かず、自己犬舎の牝犬を最も補償すべき系統的體型的良遺傳質を持つ牡犬に置けと云ふ事です。

 

3、犬界の新體制的發展の具體的方法手段等

この御質問に御回答申上げるためには相當の紙數が必要で、とてもここには記し切れません。

 
東京 日本シェパード犬協会 蟻川定俊 『前年度の犬界印象その他』より
 
有坂光威騎兵大尉によって帝国軍用犬協会から日本シェパード犬協会へヘッドハントされた蟻川さんは、昭和14年の失明軍人誘導犬輸入事業でも大きな役割を果たしました。
ドイツから来日したリタ、カロル(日本軍の呼称はボド)、アスター(同じくアルマ)、リチルト(同じくルティ)に加え、千歳、利根、エルザといった国産盲導犬も誕生。失明軍人社会復帰支援のため盲導犬配備を拡大したかった陸軍省医務局ですが、陸軍省上層部は戦地へ送るシェパードの確保優先。あまりの消極姿勢に盲導犬推進派の三木軍医中将も匙を投げてしまい、昭和16年6月には日本シェパード犬協会への事業丸投げ案表明へ至ります。
盲導犬輸入に際しての「盲導犬事業は日本国家が責任を持つこと」というドイツ側との約束を反故にされ、激怒した日本シェパード犬協会は事業から撤退。しかし蟻川氏が指導した誘導犬訓練ノウハウは東京第一陸軍病院へ継承され、傷痍軍人の臼井眞氏たちは敗戦の日まで懸命の盲導犬育成を続けたのです。
蟻川さんにとって挫折の年となった昭和16年ですが、翌年からは海外畜犬輸入ルートが途絶するなど状況は更に悪化していきました。