戦時中のペット業界は衰退の一途を辿ったように思われていますが、日中戦争前期は軍犬報國・狩猟報國運動によって軍用犬や猟犬の需要は増えております。業界においても新規参入や弟子への暖簾分けは継続されていました。
しかし翌年の節米運動(食糧パニック)、そして太平洋戦争突入と愛犬家を取り巻く状況は急速に悪化。昭和19年に日本犬界が、20年には満州国犬界も崩壊しました。
 
 
私の信じ、且つ永年實行してゐる子弟の養成法を申上げます。
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その前に順序として、畜犬商に成功するにはどんな資格が要るかを申上げねばなりません。たとへば将來の畜犬商は尠くも中等教育程度は修了してゐなければなりませんし、慾を云へば英語か獨逸語位は讀める語學の力もありたいものです。又生來動物好きであつて、動物の取扱ひの上手なもの、そして忍耐強く誠實であり、商才もあり、又身體も強健でなければならないなどいろ〃條件を上げればいくらもありますが、こゝではそれ等の話には触れないことにして、どこへ出しても恥かしくない、眞面目な一人前の子弟を作る順序丈けを申上げます。
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こゝに一人の畜犬商志願の少年があるとして、それが将來の見込みがあると思へば入所させ、最初は糞かきから行はせます。糞かきと云ふのは犬舎の掃除です。この掃除を専門に受持たせます。犬舎の掃除をやつて居れば自然犬にも馴染み、犬の取扱ひも慣れて來ますし、糞かきも上手になつて、犬舎は何時も清潔です。今日多くの畜犬商や訓練業者はこの根本をおろそかにしてゐますから、私から云はせれば本當の犬の取扱ひは出來ません。又この糞かきを半歳も眞面目にやつて居る人物ならば、将來の成功はまづ受合へます。
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偖て、糞かきを半歳もさせて、もう大丈夫の見込みがつけば今度は餌ねり、即ち食餌の面倒を見させます。これを一年位も續けさせ、同時に犬の病氣の手當や、看護も修得させます。しかし、この時代はまだ犬は運動に連れ出す程度で、訓練は一切厳禁してゐます。それは犬の管理がまだ十分呑み込めない中から訓練をやり、犬が多少動くやうになりますと、自然心が奢り、根本の仕事がお留守になるからです。それで一切訓練を禁じ、その代り犬が病氣でもすれば、一緒に寝て看病する位の熱心さで行はせます。
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かくて、飼育管理一切の技術に卒業し、見てゐても危なかしげのない見極めがつけば、初めて勝手に訓練させます。この際も親和のとれた犬一頭に限り、矢鱈に犬をいぢらせることは厳禁です。犬好きのものならば、既に先輩などの訓練を見習ひ、自分もやりたくて溜らないのを強いて止められてゐるのですから、このお許しが出れば早速訓練の眞似事を始めますが、その方法は別に教へなくとも門前の小僧で、既にちやんと心得てゐます。そして自分と一番親和のとれた犬一頭を熱心にやるので、その進歩は早く、訓練も確實について、皆で競技をすると却つてこの方が成績がよい位です。
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訓練もかやうにして、十分修得させて、初めて他の犬も行はせ、十分經験が積めば、預り犬を訓練したり、出張訓練を行はせもしますが、もうかうなれば一人前で、その後は本人の腕次第と云へます。かやうに私の子弟養成法は根本から築き上げるやうにしてゐますが、幸ひその成績は御存知の方には判つていただけると思ひます。
 
脇坂音五郎『畜犬経済學 一人前に仕立てる子弟の養成法』より
 
「仕事は見て覚えろ」式の職人教育法に異議が唱えられるようになるまで、これから80年近くを要するワケですが。