時計と首つ引きで車に乗つて居ると、四十哩で馳つて居るのが馬鹿に遅いやうに思はれて氣が氣でない。併し、一行には氣をもみ乍らも初めて見る裏富士の白雪を戴いた秀麗さに見惚れて頸を振り向ける。

「河野君がケンネルネームを富士とつけたのも無理はない、成程富士だ」と又相馬さんが獨り合點をされる。砂塵を飛ばして馳る事卅分、漸く車は豊村に入り河野氏の御宅の前で止つた。

昔風の落付いた平屋建、鶏舎に餌を拾ふ鶏、そして遠くには南アルプスの連山を望み、又一方には富士の霊峰が高く雲を衝いて其の優勢を現はして居る様は東京などでは思ひも付かない程の景色である。

 

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自動車の爆音に訓練衣を着た異様な姿で出て來られた河野氏は浅田さん相馬さんの來訪と知つて「一寸待つて下さい」と云つて家の中に飛び込んで行かれたが、やがて洋服を着て出て來られて「何の豫告もなしに突然御出になるなんて酷いですよ。すつかり面喰つちやつた」と云ひ乍ら先づ犬舎へ案内して下さる。

鶏舎に隣接して建てられた南向きの犬舎には昨秋の訓練競技會の覇者シラー號と其の仔が二頭、一行を迎へる。

シラーは千葉の畜産試験場以來のお馴染の犬。充分なる運動と御馳走によつて申分のない良いコンデイシヨンである。其れにも増して二頭の仔犬の發育の素晴らしいのには大いに驚かせられる。九ヶ月だと云ふのに親譲りの立派な體格、其の上に訓練も河野氏の御努力により大變進んで居ると云ふ事である。流石に甲府切つての名ブリーダー訓練家たる河野氏の秘蔵犬であると一同感心させられる。

それから河野氏は他の自慢の一つである軍鶏を見せて下さるため鶏舎に案内して下さる。河野氏が苦心の結果、作出されて食用鶏として毎月中村屋に多數の鶏を納められて居るとの事。好きな犬の飼育に訓練に又養鶏に、自然を相手として暢んびりとして暮して居られる河野氏が尠なからず羨ましく思はれ出した。

鶏舎も一通り拝見した頃、河野氏の御両親も出て來られて引き留められたのであるが、時間にせき立てられて無理に御断り申上る。「飯野さんは酷いなあ、折角の東京からの御客様を自分一人で獨占するなんて」と飯野氏が抗議を申込まれる。

 

時計を見れば汽車の發車迄には餘す所四十分しかない。慌てゝ車に馳せつけて見れば、弱り目に祟り目とでも云ふのであらうか、車は先刻からの虐待にパンクして了つて居る。時計の指針は遠慮なく進んで行く。

案内役を承つた飯野氏が中に立つてしきりに氣を揉まれる。或は今日は飯野氏にとつて厄日だつたのかも知れない。再三再四瘠せるやうな思ひをさせられたのであるから。かうなつては仕方がない、代りの車が見付かる迄無理をして乗つて行けとばかり河野氏をも入れて總勢七人を乗せて車はゴトン〃と音を立て乍ら街道をひた走りに馳る。

暫く馳る間に先方を馳つて行く甲府驛行の電車が目についた。アクセルを強く踏む。車は前にも増して物凄い音を立て乍ら電車を追ふ。やつと半停留場追越して停留場に馳け込んで危く電車に乗り移る事が出來た。

それから電車が驛前に着く迄の時間の長かつた事。十分餘り乗つたのが四時間も五時間も乗つて居た様であつた。

電車が驛前に着くや否や、既に到着して居る列車目掛けて一目散。ブリツヂを渡つて列車に乗り込むや否や發車のベル。帽子を脱いで汗をふき、ホツとする間もなく汽車は動き出した。プラツトフオームでも飯野氏荻野氏が汗を拭き乍ら帽子を振る。

餘り短時間の訪問であつたため河野氏が別れを惜んで「鹽山」迄送つて來られたが、河野氏が下りられてからは一同話しをする元氣もなく慌たゞしい一日の行程にすつかり疲れ切つてウト〃として居る間に汽車は笹子峠をも越して早や武蔵野の平野を馳つて居た。

(三月廿二日夜記)

 

小杉良和『甲府訪問記』より 昭和8年