日本犬の権威、高久兵四郎は栃木県足利市で清掃業を営んでいました。後に日本犬協会が設立されると関西へ移住、ライバル団体・日本犬保存会との仁義なき抗争を繰り広げるのです。

そんな高久氏の郷土犬界録をどうぞ(後年もそうですが、この時代からスパルタ全開であります)。 

 

 

外國人が日本に來て驚くのは、駄犬の非常に多い事であるさうである。自分は世界の犬界の事情は知らぬが、支那邊りでも犬の型は日本よりは一定して居る事は事實である。斯の如く對外的に駄犬は一種の國辱であると共に、對内的には常に放飼せられてる結果、狂犬病に罹るのも殆んど駄犬の一手販賣であるし、尚ほ郊外に於ては充分なる食飼を與へて居ない爲め、鶏泥棒をし交尾期等には三三五五、群をなして喧嘩をなして安眠を妨害し、勝手口を窺いて盗み食はする、通學の小兒を威喝し自轉車を追ひ、糞尿を遠慮なく垂れて歩く。田畑を荒すと數へ來れば其弊害の多い事は想像以上である事は敢て贅を要しないのである。

先日昭芳園の伊東氏、池上の木下氏や鳥政老、神戸の田丸氏主催で明治神宮外苑の青年會館で愛犬家懇談會が開催された。不肖私もす出席したが、其席上駄犬一掃の動議を出した處が相當の犬通も實際に於て日本の畜犬界の事情を深く知らぬ人が有つた。一般に畜犬家は全部が愛犬家と認めて居るが、實は甚だ相違して居るのである。

勿論セパードやブルドツグの如き種類を飼ふ人は別であるが、他の種類、殊に猟犬を飼ふ狩猟家側には愛犬家は十人の内一人の割合にも當らぬ程しか居ないと云ふ奇怪な現象である。狩猟家の大部分は犬は好きではないが、鳥を獲る爲には犬が居ないと獲れないため止むを得ず犬を飼ふと云ふ次第である。結果勢ひ手軽に手に入る駄犬を飼ふと云ふ事になり、而して一匹では間に合はぬから二匹三匹と飼ふと云ふ珍現象が生ずるのである。

元來犬が嫌であるため非猟期中は食事も碌々與へず、彼等は市中を彷徨して辛うじて餓を満しつゝあるから、前述の通り他人の迷惑となる事は云ふ迄も無い。私は他處の事は深く解らぬ故實例を私の郷里に就て申上げれば、足利郡人口八萬餘、昨年狩猟免許を出願せるもの百三十名程で、此人々の飼ふ犬數約二百餘、内純粋種で相當管理せられて居る。犬數二十頭内外に過ぎず、他は盡く駄犬で非猟期中は塵芥箱を漁り、盗食いを常習となしつゝあるから驚かざるを得ない。他の非猟犬に於ては約八百頭以上の駄犬が居るのである。食糧問題から見ても何とか方法を樹てゝ解決しなければならない事と思ふ。

弊地は栃木・群馬の両縣否地方として犬は進んで居る所である事は自他共に許して居るのに不拘斯の如き状態である。況や他地方と來ては問題にならないのである。

足利郡の隣り安蘇郡は人口面積共足利郡の倍程あり、狩猟家も足利郡より三割程多いが、純粋種は犬伏町の板橋六郎氏が一頭飼養するに止まり、他の二百數十頭は盡く駄犬である。他の郡に於ては愈々駄犬の數を増し、宇都宮市の如き足利市に倍した人口を有し堂々たる富豪の狩猟家が居るのに全部が野良犬然たる駄物であるに至つては、開いた口が閉がらないのである。

群馬縣下に於ては前橋市の縣廳の特高課長が英セツターを二頭とコリー 種を飼ひ、他に小暮氏が二頭英セツターを飼ひ、桐生市に三頭純粋種が居り、縣下を通じて約二十頭のものが居るだけで他は全部駄犬である。最も駄犬を飼つて居る本人に言はせると、駄犬とは言はない。毛が長ければ英セツターとか、毛が短かければ英ポインターとか、ゴマ斑が澤山あれば獨ポインターとか言つて居るが、實は毛長が駄犬で毛短かゞ駄犬である。

斯の如く駄犬が居るが、之れに加へて駄犬の種類には闘犬家が連れて歩く駄ブルに駄テリア等のものを數へ來れば日本は何と言つても駄犬國である事は事實が證明して居る。

一体犬は生産的動物と見る事は一寸難かしい。何れにしても趣味的娯楽的動物である以上、他人に迷惑を及ぼさぬ様管理すべき義務が畜犬家に有ると思ふが、駄犬だと無價値な關係上知らず〃公衆道徳を無視する事となるのである。

 

高久兵四郎『駄犬亡國』より 

 

さらに「全国規模のペット統制機関を置いて駄犬を飼う奴には重税を課せ」とかいう高久氏の提言が続きますけど、足利犬界とは無関係なので以下略。