日本シェパード倶楽部訓練所が狼谷に設置されたのは、あの辺一帯の宅地化が進んでいた時代のことでした。これを書いた楢林氷雲とやらは碓氷元さんのペンネームかな?

 

 

あの場所は誰が捜索したか、兎に角、ありや、普通ありきたりの人間の選んだ場所ではない。詩心の満溢した人―風聲に、落葉に、林の月に、鳥の羽ばたきに、少くとも心の動く人であつたであらう。

小田急で新宿から煙草一ぷくの間だ。それが大東京の中心新宿からですよ、代々幡上原で車をすてると、驛の名所案内に日本シエパード倶楽部第一訓練所と墨痕淋漓として浮いて居る。電車の去つたあとのホームに立つて、回顧する。少し詩心のある人の胸には猛烈に迫つてくるものがある。獨歩の様に何も御叮嚀に傾聴し、睇視し、黙想しなくても回顧しただけで武蔵野の俤が、風趣が両眸にあふれて餘りある。

たとへそれが高利貸の様に殺風景であつたとしても、一首詠まざるべからず。一句一吟亦口ずさまざるを得まい。

新宿の雑踏に一酔した面に、遠くシエパードの吠聲を交へた清風が触れて心地よい。心が躍つて歩が忽ち訓練所にと急ぐ。人影點綴の路、両傍にスゝキの黄葉が風に鳴る。又シエパードが耳に入る。目を轉ずれば起伏の楢林が蒼空高く思ひ切つた詩趣を動かして居る。

極端は極端に通ずるとか、歌も詩も心から抜け去つて、わしは只白紙の様にうれしくなつてしまつたのだ。桂月かなんかに云はせたら「心自ら天地に合す」なんてやるかも知れんが迚も迚もそんな比ではない。

「ワ、ワ、ワ、ワアー、ワ、ワ、ワ、ワアー」とわしや歌ひ出してしまつた。所が又「ワ、ワ、ワ、ワアー」と、今まで黙つて居た丘山が、くりかへす軍歌の様に、太い聲での山彦だ。と歌姫の様な白雲の一片が楢の梢をステツプしながら舞つて居るではないか。やア!夢かと思ふ景色だ。何んとなく浦島太郎が竜宮へでも來た心地だ。

足もとから一匹のシエパードが飛び出して枯れた灌木の小山の中へ、ガサガサと這入つて行つた。何んだ、わしやもう訓練所の門へ來て居たのだ。ア!今行つたのは松本さんのヘルガだ。捜索の實演だなア。躍る心で門から飛び入ると、居たわ居たわ、南、玉置、中島夫妻―いつも、おむつまじいい事だ―北海道から來られた安達氏、松本主任、わしの知らないメンバー二人、それに碓氷と云ふ奴が加はつて、皆犬狂の面貌。そこへ相馬氏が一頭引つ張て挙手の禮をしながら山の方からやつて來る。どれもこれもシエパードの血が通つて居る様な顔つきだ。あのゴワゴワした防禦衣をつけて攻撃の練習をする。

中島さんのグレダが入學したが、世の中はうまく出來て居るものであると、わしや感心した。天下の配剤亦妙なる哉、と呼ばざるを得なかつた。と云ふのは中島さん御夫婦は、どちらかと云へば、御存じの方は御存じの様に、まあ小形の部類であらせられるが、その埋め合はせに、グレター氏日本にも稀な偉夫人である。威風堂々あたりを壓すると云つたかたち。まあ、あんなのが女代議士にでもなつたなら日本はうまく治るだらうと思つた。

環境は絶好、捜索には山野の起伏思ふ存分、障害物には川あり崖あり、攻撃には屈強な助手が二人も居る。環境と健康、健康には持つて來ひだ。こんな所へあづけたら先づ大抵の犬でも丈夫になつてしまふ。

わしや思ふ。訓練のすんだ犬でも、市内あたりに飼はれて居る犬は、一年に二度か三度こゝへあづけて、この大自然の山野を思ふ存分馳けづりまはしたら、先づ東京から病犬は絶えると思ふなア。

事務所の廣ひ土間へストーブを、どかどかとたき、紅一點の中島夫人の顔もほてつて、犬談が花が咲く。それから又新宿の中村屋で一茶一飯して、犬談の花の返へり咲き。正月の早仕舞ひの時間が過ぎて、ボーイさんの帰へれよがしの表情も氣がつかばこそ、犬談の花今や百花満開である。

 

楢林氷雲『訓練所風景』より